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16/初めて夢を語ったその先に待っていたのは、、、
翌朝、ゲストハウスでコーヒーを飲んでいる時に、チェックアウトを済ませたブルガリア人の旅行者と話をする機会がありました。
彼曰く、どこからの情報かはわからないけれど、シェムリアップからプーケット方面へのツアーが出ているとのことでした。
夜シェムリアップを出発すると、翌日の夜には着くというのです。
一緒にそのツアーを探しにエージェントを廻ることにしました。
この頃になると、なんだかタイの島に行く彼が羨ましくもなってきていたのです。
パンナに会いたい気持ちはあるけれど、見つからないままに貴重なお休みを終えるか、他の皆んなには会えたのでここできりをつけて、残りの数日を久しぶりにタイの島でゆっくりして過ごすか。
日本を出発する時には、それも頭に想い描いていたことでした。
皆んなに会えたら、その後タイの島で少しだけゆっくりして帰って来ようと。
日本で生活をしていると、長期のお休みもそうそう簡単には取れません。
だから、シェムリアップで皆んなを探すことも大事だったけれど、当時を想いながら久しぶりにタイの島でゆっくりしたい気持ちもありました。
あの頃とは違い、また今度いつ来られるかなんてわからないからです。
もし、一番近い国境付近の島へ寄るとしても、明日がタイムリミットでした。
そうなると、今日中には翌日のバスの予約をしなければなりません。
かといって、パンナに関しては特に進展もありませんでした。
どうしようかと悩みながらも時間が迫ってきていました。
もし島へ行くのならば、遅くても夕方までには予約しなくてはならないのです。
どうしよう、、、。
散々悩んだ末に、ここでパンナに会うことをあきらめて帰ったら、きっと後悔することになるだろうと思い、そのままギリギリまでシェムリアップに残ることにしました。
もしかしたら、これが最後になるかもしれないのだから。
タイにはYingたちもいるし、彼女たちと連絡を取ることは容易で、その後も行く機会があるかもしれないけれど、もしかしたらシェムリアップに来るのはこれが最後になるかもしれないと思っていたからです。
この時点では、そう思っていました。
いつか来れたとしても、その時になって皆んなに連絡をして、その時間の経過と共にまた連絡がつくかどうかさえもわからないし、その段階でさらにパンナを探し出すことを考えると、今回がどれだけチャンスに恵まれている状態かがわかるからでした。
この日は、夕方から皆んなと約束していたので、その前にタンナがゲストハウスまで迎えに来てくれることになっていました。
そろそろ戻らなくてはなりません。
結局プーケットまで行くツアーは見つからず、彼は一旦夜出発のバンコクまでのバスを予約して一緒にゲストハウスに戻ることに。
私たちの泊まっていたゲストハウスは、四つ角に建っていました。
彼とおしゃべりしながらゲストハウスに近づいて行くと、玄関先になんとなく見覚えのある顔が見えたのです。
ゲストハウスに向かって歩いている私たちの方に向かって、背を向けて立っている欧米人の旅行者と何か話をしています。
あれっ!ウソでしょ?
もしかしてパンナ??
皆んなから、パンナが太ったとは聞いていました。
もし聞いていなかったら、気がつかなかったかもしれません。
確かに昔と違って太ってはいるけれど、顔は間違いなくパンナでした。
距離にして3、4メートルまで近づいた時に、向こうも私に気がついたようでした。
お互いに、「えっ!?」「あっ!?」という感じです。
私の方も探していたとはいえ、ビックリしました。
まさか、ここで会えるなんて思ってもいなかったから。
彼からしたら、想像すらもしていなかっただろうから、驚きでしかなかったでしょう。
その時のパンナは、空港から自分の車に乗せたお客さんを、たまたま私の泊まっていたゲストハウスに連れて来ていたところでした。
たぶん、彼がゲストハウスに着いて、お客さんがゲストハウスを見ていた時間を含めても10分経っていなかったのではないかと思います。
数ある宿の中から、このタイミングで私の泊まっていたゲストハウスにお客さんを連れてくる確率としたらどれくらいなんだろうか?
しかも、同じようにパンナが来ていたとしても、私が部屋にいたらわからないで終わっているのです。
結局、このお客さんは他へ行くことになりましたが。
「久しぶり、元気だった!?」
「探してたの、会えてよかったー!!」
不意をつかれたことによるあまりの驚きと時間の経過に、それ以外の言葉がすぐには出て来ませんでした。
お客さんをすぐそばで待たせている状態だったので、携帯の番号だけ交換して別れました。
私が戻って来るのを待ってくれていたタンナも、その様子を見て驚いていました。
長い間パンナのことを見かけなかったからと。
それからまた60ロードへと向かいました。
今日は、レンの家族も、タンナの家族も、そしてアダムの家族も一緒です。
皆んなで60ロードでピクニックです。
ゴザをひいて持ち寄ったものや、近くのお店で買って来たものを広げて楽しみます。
感嘆深いものがありました。
まさか、こんなことができる日が来るなんて。
レンの奥さんと顔を合わせるのも結婚式ぶりです。
写真を眺めながら涙していた時からは、想像もつきません。
皆んなの家族同士が会うのも初めてのことでした。
思い出に残る、とてもとても楽しい夜になりました。
そして、その翌日は、アダムと約束をしていました。
アダムがゲストハウスに迎えに来てくれて、そのまま娘を迎えに学校に行きました。
昨日会った、ティンティンです。
10年前には考えられなかったけれど、この頃になると子供たちは学校にも通い始めていました。
ティンティンを学校でピックアップしたあと、アダムの家に遊びに行きました。
彼の実家はシェムリアップから15キロほど離れたところにありましたが、結婚して奥さんの実家に住んでいました。
カンボジアでは、奥さんの両親や兄弟姉妹と一緒に住むマスオさんが主流でした。
そして、奥さんの作るカンボジア料理がこれまたとても美味しかった。
オーキデーで皆んなで食べたご飯を思い出します。
この時に、実はシェムリアップでオーキデーのようなゲストハウスをやりたいと思っているんだという私の話から、アダムが奥さんの実家に住むようになる前に借りていた家の隣がゲストハウスで、それを今貸しに出しているから試しに見に行ってみようということになりました。
アダムたちの家からそう離れていませんでした。
一通り中を見せてもらって、オーナーさんに紹介してくれました。
家賃を聞いてみたら、不可能ではないかも?と思えたのです。
その時の私には、日本で宿泊施設を経営するとなると無理でも、カンボジアでなら可能かもと思える金額だったのです。
それまでは、実際にシェムリアップでゲストハウスを経営するなんて、遠い夢のように思えていました。
気持ちはあるけれど、現実が追いついていないような感じでした。
それが、10年ぶりに皆んなに会えたことと、このゲストハウスを見たことで、少しだけ現実味を帯びてきたのです。
その後、仕事の終わったレンやタンナも合流してアダムの家で盛り上がりました。
その翌日には、レンの家にも招待してもらいました。
こうして残りの数日を皆んなと楽しく過ごし、帰国に向けてポイペトへと移動することになりました。
その後、パンナとは電話でしゃべったけれど、残念ながらあれ以来会うことはできませんでした。
あの時一緒だったお客さんを乗せて、プノンペンに行ってしまったのです。
それでも、あの一瞬のチャンスに会うことができただけで、私の中の10年間の想いがクリアになったのを感じたのでした。
国境でパンナが声をかけてくれていなかったら、皆んなとも出会えなかったし、オーキデーでの忘れられない夏休みもなかったのですから。
レセプションをしていたホンにも会えました。
レンとタンナを誘って、レンの働いているホテルの近くで三人で朝ごはんを食べている時でした。
同じお店にテイクアウトしに来たのです。
今は英語のガイドをしているそうです。
そして、その時に一緒だった娘さんこそが、あの時の赤ちゃんでした。
今回は10年前とは違って、皆んながどこにいるのかもわかったし、一応携帯も持っているし、なんとなく連絡がつけられる未来を想像することもできたので、シェムリアップを発つことも10年前の時ほど淋しくありませんでした。
国境でこにしきと約束をし、言われたところで待っていると車で迎えに来てくれました。
全然変わっていませんでした。
こにしきは、今でもこにしきでした。
こにしきに国境で一泊したらと言われていましたが、やっぱり私はポイペトが苦手です。
最初の時のイメージが悪すぎたからかな?
何しろ暑いし。
そんな国境も、こにしきがいるだけで少しは違って見えたけれど、さすがに泊まる気にはなりませんでした。
ポイペトでこにしきと半日を過ごし、バンコクへ向けて移動します。
バンコクではYingたちが待っていてくれました。
こうして、10年越しの皆んなに会いたいという想いを遂げ、夢に一歩近づいた状態で私のシェムリアップの旅は終わったのでした。
今回の10年ぶりのシェムリアップへの旅は、皆んなに会うことが目的でした。
その先のことまで考えていませんでした。
それが、たまたまアダムに連れられてゲストハウスを見に行ったことで、私の中の何かが動き出したのです。
私の中にあった小さな小さな種のようなもの。
それが芽吹き始めたのです。
今まで言葉にしたことさえなかったけれど、ずっと心の中で思い描いていた、シェムリアップでオーキデーのようなゲストハウスを創りたいという想い。
それこそが、一番やりたかったことなのだと。
この時になって、やっと形となって見えてきたのでした。
日本に帰って来てからは、アダムとメールでのやり取りを続けました。
オーナーさんの意向などや、他にも疑問に思うことを聞いてみたり。
アダム曰く、オーナーさんは他の人が見に来ても難色を示していて、できれば私に借りてほしいと思っているとのことでした。
要するに、日本人だと綺麗に使ってくれるし、家賃もきちんと払ってくれるし、アダムの知り合いだし、という向こうからしての安心材料が揃っていたのだと思います。
ただ、私からしたら、このゲストハウスはちょっと場所が気になりました。
中心部から少し離れているのです。
それが決めきれなかった要因でもありました。
こうして4ヶ月が経とうとしていた頃、やはりもう一度シェムリアップに行って、再度物件を見せてもらって判断することにしました。
オーナーさんに期待を持たせたままにするのも悪いし、私自身ももう一度きちんと確認しようと思ってのことです。
この時点での可能性は、フィフティー、フィフティーでした。
今回は時間がないので、飛行機でハノイ乗換えのシェムリアップイン、5泊6日の予定です。
初めてシェムリアップの空港を利用します。
それこそ、10年前のまだここが空港?と思えるような状態の時に、友達夫婦を見送りに来た時以来でした。
そうです、あの払う必要のない空港使用税を取られそうになった時です。
この時は、Golden Temple Villaに泊まりました。
今はすっかり変わってしまいましたが、この頃のGolden Templeはこじんまりとしていて、スタッフもフレンドリーで、こんな雰囲気の宿泊施設ができたらいいなと思う、私にとってはお手本でもありました。
しかも、ここのオーナーは、元々カンボジア人のトゥクトゥクドライバーで、たまたま出会った欧米人の旅行者の手を借りて始めた、シェムリアップのドライバーの間では知る人ぞ知るのサクセスストリーの詰まったホテルでした。
オーキデーは、皆んながいてこそ価値がありましたが、建物自体は古かったし、女性が泊まるには不便な宿でした。
翌日、アダムと貸し出しているゲストハウスにもう一度出向きます。
前回は、確認するまでに至っていなかった細部を見たり、写真に撮ってみたり。
それでも、やっぱり立地が気になります。
その日の夕方、レンに会いに行きました。
レンは、今はなくなってしまったホテルの専属ドライバーとして働いていました。
Golden Templeからそのホテルまで歩いて6、7分の距離です。
レンの働いていたホテルの向かいに、例の一方向に椅子が並べられ、前方の大きなスクリーンには映画やドラマが映し出されているローカルカフェがありました。
お客さんがいなくて待機している時は、よくそのカフェで他のドライバーたちと時間をつぶしていたので、わざわざ電話をかけるほどの用ではないけれど、という時には散歩がてら歩いて会いに行っていました。
その夜、タンナにも電話して事情を話しました。
すると、あそこは中心部から少し距離があるからか、短期間で何度も借主が変わっていると教えてくれました。
それならば、他に二軒ほど貸しに出している物件を知ってるから、それを見てからでもいいんじゃないかということになり、翌日他の二軒を見に行くことになりました。
こうして、思いがけないシェムリアップでの物件探しが始まったのです。
※情報に於いては年月の経過により変わりますので、どこかへ行かれます際には、現時点での詳細をお調べいただきますようお願いいたします。