07/ここはどこ?ローカルアイランド『コン島』での過ごし方
翌朝目を覚ますと、雨はすっかり止んでいました。
ゲストハウスの玄関先の水も引いたようです。
だけど、乾いてはいないので思いっきりぬかるんでいます。
一旦外に出てみるけれど、本当に何もないザ・ローカルな島でした。
近くを一周りするも、あったのはカンボジアで主流のコーヒーショップのみです。
ビーチチェアのような、カラフルな色のビニールが全面に張ってあるリクライニングできるタイプの椅子が一方向に並んでいて、その先の大きなスクリーンにはドラマや映画が流れていました。
それを見ながらコーヒーを飲んだり、タバコを吸ったり、地元の人たちがたむろしています。
他に行くところもないのでしょう。
こういう場所にも、女性のお客さんはいませんでした。
とりあえず、ここでベトナム式コーヒーに揚げパンをひたして食べてみることに。
さて、私たちも何をしたらよいのかわかりません。
やることが無さ過ぎて。
それでも、プノンペンのような危うさはないので気持ち的には楽でした。
その日は、本を読んだり、近くの商店でビールとスナック菓子を買って部屋飲みしたり。
時計が止っているんじゃないかと思えるほどに一日が長かった。
とりあえず、明日シアヌークビルに戻ることにして、ゲストハウスのお兄ちゃんに翌日の船の予約をお願いします。
翌朝起きると、今日は船が出ないと言われました。
確かに曇っていて、いつ雨が降り出すかわからない様子ではあったけれど。
そうなのか、、、。
仕方ないのであきらめるも、またまたやることがありません。
インターネットショップがないかと島をうろついてはみるものの、ネットなんて存在していませんでした。
シェムリアップには、かろうじてネットが使えるお店があったのですが。
今では見かけなくなったブラウン管タイプのモニターが並んでいて、10分いくらとかだったと思います。
なんとかメールをチェックしたりするくらいはできていたけれど、ここではそれも叶いません。
そうだよね、電気なんか通っていないものね。
自家発電だから、夜にならないと電気がないのです。
昼間ドライヤーを使おうとしても無理なので、夕方になって電気がある数時間の間にシャワーを浴びて髪の毛を乾かします。
この状態じゃ、髪型なんてどうでもよくなるけれど。
充電が必要なものもこの間に済ませておかなければなりません。
遅くなると、シャワーを浴びている最中に電気が落ちて真っ暗になってしまうので、それまでに色々と用を済ませます。
暗くなると本も読めないから、ベットに横になりながらおしゃべりする他ありません。
そうそう寝てばかりもいられないし。
次の日起きると、また同じく今日も船が出ないと言われました。
雨は降っていませんでした。
雨は降っていないけれど、沖合いに出ると波が高いから駄目だとのこと。
さて、どうしよう。
何しよう。
毎朝起きると、例のコーヒーショップに行くのが日課となっていました。
それしかないから。
地元の人たちが集まる気持ちもよくわかります。
この頃には足元も問題なくなってはいたけれど、かといって行くところもないし。
食べるか、飲むか、本読むか、おしゃべりするか、寝るしかないのです。
食べるといっても、そんなにお店があるわけじゃないし、飲むといっても、缶ビール飲むぐらいしかないし、本だって読み終わればそれまでで、すでにあかねと交換もしちゃったし、昼寝しちゃうとその分夜が長くなるし。
物資も届かないせいか、いつも行くお店の商品もその頃にはなくなりかけていました。
でも、そのお陰であかねとは本当に色々な話をしました。
学校だけの付き合いだったら、ご飯を食べに行ったり、飲みに行ったりはしただろうけれど、こんなにまで色々と話す機会はなかったのではないかと思います。
あかねが東京に来る機会はなかったけれど、日本に帰って来てからも京都に遊びに行って、一緒に外国人ツアーに混じって今までとは違う角度から見た京都を楽しんだこともありました。
あの何もない時間があったからこそ、お互いを知るための貴重な機会となりました。
これもまた、私にとってはかけがえのない大切な出会いの一つです。
さて、また次の日の朝もまだ波が高いから船が出ないと言われました。
船長がそういっていると言うのです。
このあたりで、もしかして嘘なんじゃないのかと思い始めました。
だって雨はもう何日も降っていないのですから。
私たちに帰られてしまうとお客さんがいなくなるので、引き止めておきたいんじゃないのだろうか?と二人で疑いだしました。
それならば、船着場まで行って確認しようということに。
あかねが行ってくれることになりました。
二人で行くとその分交通費がかかるからです。
それも馬鹿馬鹿しいので、確認するだけなら一人で充分です。
1時間も経たないうちに戻って来たけれど、本当でした。
見た感じはそれほど波が高そうに見えないのだけど、沖合いまで行くと高くて駄目だと言うことでした。
船といってもエンジン積んだだけのボートですから。
日本にいるとこんなことで疑ったりすることなんてないのに、カンボジアにいるとどれが本当でどれが嘘なのかもわからくなってきます。
疑ってしまったことが申し訳なくなって自己嫌悪になりました。
その次の日も、朝あかねが確認しに行ってくれます。
この頃になると、朝起きて船が出るかどうかを確認しに行くのも日課になっていました。
この日も、その次の日も駄目でした。
結局、台風の影響で、この島に足止めされて6日間を過ごすことに。
やっと7日目の朝になって船が出ることになりました。
よかったー。
来た時と同じエンジンを載せただけの船に乗ってシアヌークビルを目指します。
この時は雨は降っていなかったけれど、屋根もないから直射日光に晒されて、暑くてそれはそれで大変でした。
やっとの思いでシアヌークビルに戻っては来たものの、この頃のシアヌークビルにも同じく何もありません。
今では一大リゾート地として賑わっているけれど、地元の人がほんの数人服を着たまま海に入っていただけで、見渡す限り何もなかったのです。
今のシアヌークビルからは想像もできないけれど。
散々何もない島にいて、少しどころかのんびりし過ぎたので、結局シアヌークビルのビーチに立っただけでシェムリアップに戻ることに。
そのためには一度プノンペンに戻らなければならないので、来る時に泊まった同じゲストハウスに1泊して、翌朝シェムリアップに向かうことにしました。
相変わらずピックアップトラックの長距離移動はきつかったけれど、この時は知っている人たちのいるシェムリアップに戻れることが何より嬉しかった。
シェムリアップに着いたのは、陽も落ちて暗くなり始めていた頃でした。
最初に泊まったゲストハウスにたどり着くと、皆んなが駆け寄って来てくれました。
ワーワー言いながら、皆んなとハグしたのを覚えています。
オーナーのパパさんも、私たちがハグしているのをそばでにこにこしながら見守っていました。
3、4日で戻って来ると言ったきり、10日以上も経っているのに帰って来なかったので、何かあったのではないかと心配していたとのこと。
確かに何かあったのだけれども、、、。
彼らの顔を見渡して安堵しました。
カンボジアに来てから、初めて気が緩んだ瞬間でした。
最初はなんてことのないゲストハウスだと思っていたけれど、ここの皆んながとてもいい人たちで、人懐こくて、面白くて、フレンドリーで、親切で、暖かくて、シェムリアップを離れて他へ行ってみたことでより一層居心地の良さが際立ったのです。
こうして、ここからこのゲストハウスとその従業員たちとのシェムリアップライフが始まるのでした。
このゲストハウスの名前は『オーキデー』。
欄の花が名前の由来です。
カンボジア人のパパさんがオーナーで、長男と三男が手伝っています。
次男は他の仕事をしていたので、たまに顔を出す程度でした。
長男はすでに結婚していて、タイ人の奥さんと一緒に家から通っていました。
三男は、石田純一さんに似ていたので、自分でじゅんいちと名乗っています。
そして他の従業員たちは、家から通っているスタッフと、ゲストハウスに寝泊りしているスタッフとがいました。
家から通っているのは、シェムリアップに家族がいたり結婚している人たちで、寝泊りしているのは、他県出身者などのシェムリアップに出稼ぎに来ている人たちでした。
しっかり者のレセプション担当のホンは、結婚して生まれたばかりの赤ちゃんがいたので家から通って来ていました。
そして、国境から一緒だったパンナはゲストハウスに寝泊りしています。
彼は、タイガーウッズにそっくりでした。
欧米人のお客さんにもよく言われたそうです。
その他に、その頃のカンボジアではめずらしく太っていたのがこにしき。
お相撲さんの小錦に似ていたから、そうあだ名がついていました。
冗談好きで、いつもこにしきの笑い声がゲストハウス中に響き渡っています。
それと、言葉数は少ないけれど、絵を描くのが好きな芸術肌のアダム。
最近プノンペンから引っ越して来たばかりの一番歳下のタンナ。
そして、一番年上の背が高くて顔立ちがはっきりとしたレン。
でも、笑うとくしゃくしゃになって白い歯が印象的でした。
レンもプノンペンからさらに南下したメコン川に挟まれた大きな中州の出身で、出稼ぎに来ていたのでゲストハウスに寝泊りしていました。
こにしきとじゅんいちは、日本人の旅行者に似ていると言われたそうです。
写真を見せたら、本人たちも納得していました。
それ以来、日本人のお客さんが来るとあだ名で自己紹介しています。
こにしきは、今やカンボジア人の間でもこにしきで通っているし、欧米人のお客さんの間でもこにしきで通っているから笑えます。
毎日朝と夕方に、スタッフ皆んなでまかないを食べるのですが、これを機に私たちも一緒に食べさせてもらうようになりました。
私たち二人が入るとその分皆んなの分が減るのに、そんなことは皆んな気にしていません。
大抵ご飯と二種類ほどのおかずだったのですが、何を食べても本当に美味しかった!!
これを作っていたのが、表には出てこなかったけれど裏方の仕事をしていた女の子たちです。
日本から来た旅行者も、カンボジア料理が食べられないというのはあまり聞いたことがありませんでした。
タイ料理も大好きだけど、もっと素朴で日本の家庭料理に近い感じです。
野菜とお肉を炒めた野菜炒めのようなものや、丸ごと煮卵の入った豚の角煮のようなものだったり、川魚の入った少し酸味の効いたスープだったり。
ここで食べるご飯が毎日の楽しみの一つでした。
部屋にいると、「ごはん!ごはん!」と言って誰かが呼びに来てくれます。
勿論部屋代は払っているけれどお世話になってばかりいるので、日本人の旅行者が来た時には通訳がわりに遺跡巡りの説明をするのが、いつしか私たちの仕事のようになっていました。
これがタイに住むようになって、初めての7月のことでした。
※情報に於いては年月の経過により変わりますので、どこかへ行かれます際には、現時点での詳細をお調べいただきますようお願いいたします。