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02/憧れの地ルアンパバーンのはずだったのに、、、

さて、やっと夢に見たルアンパバーンの地です。

ルアンパバーンは古い町並みで、そんなに大きな町ではないので歩いて宿を探します。

ヴィエンチャンでは、バックパッカーらしからぬ楽な思いばかりさせてもらっていたので、これこそがバックパッカーの醍醐味です。

何軒か部屋を見せてもらってから決めたホテルに一旦荷物を置いて、町ブラしに出かけます。

ルアンパバーンの町は田舎だけど、欧米人観光客もいて洒落たお店もチラホラとあり、ラオス人も暖かくて素朴で居心地のよい町でした。

メインストリートを歩いてお土産物屋さんを覗いたり、一通りレストランのメニューを見て廻ってから、外にテーブルの出ていた雰囲気の良さそうなお店で夕食をとることに。

ラオビールを飲みながら周りを見渡すと、一人でご飯を食べていたのはたまたま私だけ。

友達とどこかへ行くのも好きだけど一人も嫌いじゃない私にとって、一人で食事をするのはそんなに大したことじゃないのに、異国にいるこの数日間誰かと共にしていたからか、他の人たちを横目にいつも以上にちょっとした孤独を感じながら食事を終え、とにかく明日は夢に見たあの光景を実際に目にすることができるワクワクを胸にホテルへの帰路に着きました。



翌朝、ホテルのレセプションでお寺までの道を聞いて、例の小高い丘に向かいます。

ルアンパバーンは小さな町なので、お寺の場所はすぐにわかりました。

写真と同じ画角が見える位置に立ってみると、木の枝が伸びて写真の半分くらいしか見通せない状態でした。

あまりの違いに、がっかり。

というか、こんなもんか、、、。

写真も撮ってはみたけれど、枝や葉がじゃまになって全く違うものなりました。

期待をみごとに裏切られたからか、あの新聞の切り抜きが今や手元に残っていないのは確かで、いったいどうしたのかも思い出せないのです。

もしかしたら、そのままホテルに置いてきたのかもしれません。

しかも当時は、あのたった一枚の写真がそれ以降の人生の物語を紡いでいく最初のきっかけになるなんて、思いもしなかったのですから。

きっと、この光景を見ることが目的ではなくて、それまでの過程が大事だったのだと後からならわかるのです。

あの写真に惹かれていなかったら、私はあの時あのタイミングでラオスには行っていなかったでしょう。

あの日、あのときでなかったら、出会えていなかっただろう出逢いが沢山ありました。

そして、人生を左右するような大切な出逢いが、これから先もまだまだ続くのでした。



そんなわけで、あっけなく目的を達成し、翌日にはルアンパバーンを後にします。

ヴィエンチャンで、伊東さんから「バンコクに戻ってきて時間があるようだったらご飯でも食べよう」と言って連絡先を教えてくださっていたので、バンコクに戻る旨を連絡し、報告がてら会う約束をしました。

それに、私にはもう一人タイ人の友達がいます。

翌日、彼に会いに再度ファランポーン駅へ。

本当は電話をすればよいのだけど、その頃の私にとって電話越しに英語でしゃべるのはとても勇気のいることでした。

この時もタクシーで向かったけれど、問題なく連れて行ってもらえました。

やっぱり最初のタクシーのおじさんは一体なんだったのか、未だに謎のままです。

難なく駅に着いて、後ろの方から遠巻きにチケット売り場を見渡すと彼がいました。

何度か周りをうろつきながらどうしようかと悩んでいると、隣のブースにいた駅員さんが気づいて彼に何か言ってくれたようです。

顔を上げた彼は笑顔を見せると、自分の席にクローズの札を立てかけ裏から出て来てくれました。

明後日の便で日本に帰ることを伝えると、急だったこともあり、仕事がらシフト制なので都合が合わず、少しなら休憩が取れるからとそのまま駅の2階にあったケンタッキーでお茶をすることに。

仕事の途中でいきなり尋ねてきた友人とそのままお茶しに行けちゃうのも、当時のタイならではです。

20分ほどだったでしょうか?

ラオスの様子や普段どんな生活をしているかなどのおしゃべりをしてメールアドレスを交換し、「連絡するね」と握手して別れることに。

そして、その日の夜は、伊東さんとホテルの近くにタイ料理を食べに行きました。

その時です。

なぜか私、伊東さんに「私もバンコクに住もうと思います!!」と伝えていました。

なんで急にそんな言葉が出てきたのか、なんの計画もないのにです。

なんなら今回の旅はタイじゃなくて、ラオスがメインだったのですから。

その言葉を聞いた伊東さんは、僕で力になれることなら協力するから、何かあったらいつでも連絡してきなさいと言ってくださいました。

海外旅行もすでに何ヶ国かは行っていて初めてではないし、むしろ最初にタイに来た時に見たバスの光景があまりにも衝撃的だったので、ここには住めないだろうと思ったぐらいだったのに。

それが、なぜかバンコクに住みたいと思い立ち、それからというものバンコクの賃貸物件を調べたり、タイ語学校を調べたり。

自分で言い放ったあの一言がきっかけとなり、弁護士事務所で働きながらもバンコク移住のための情報を集め始めたのでした。



ラオスから帰って来てからも、ファランポーンの彼とは時々メールのやり取りを続け、伊東さんとはバンコクに住むにあたっての情報や状況などを教えてもらったりしながら1ヶ月が経った頃、もう一度友達と短期間のツアーでバンコクに行くことにしました。

日本でグダグダ考えているよりも、実際に行ってしまった方が本当に住みたいのか、一時の気の迷いなのかがはっきりするだろうと思ってのことです。

しかも、前回は移動のために寄っただけで、観光するまでにも至ってないのですから。

この時にも、ファランポーンの彼とその友達と一緒に飲みに行ったり、観光したりしているうちに、それまで以上にバンコクに住みたいという思いが強まっていくのを感じていました。

自分の気持ちも固まり、ほぼ見通しがたった頃に一つの問題に気がつきます。

タイ滞在のためのビザです。

観光ビザだと3ヶ月、ダブルで取っても6ヶ月。

それを伊東さんに伝えたところ、伊東さんの会社でインビテーションレターを発行してくださるとのことで、無事にビジネスビザを取得する見通しができたのです。

こうしてすべての準備が整いつつあった頃、知らない人から一通のメールが届きました。

伊東さんの奥さんからでした。

えっ!?なになに??

読んでいくうちに驚きました。

どうやら、奥さんは私たちの仲を疑っているようでした。

正直言って、とてもショックでした。

訴えるとまでおっしゃっていましたが、訴えられるようなことは何もしていないし。

信じても信じなくても、そのままにしておくわけにはいかないので、何もないことを説明した上で、もしそれでもそうされるのなら、こちらもそれに対応せざるを得なくなる旨を丁寧にお伝えしました。

実際に該当するようなことはないのですが、何もないということを理解していただくためには、その様にお伝えする方が信じてもらえるだろうと思ってのことでした。

その後は何もおっしゃってこられなかったので、誤解は解けたものと思います。

私の勝手な想像ですが、伊東さんに確認しても認めない、認めようがないのですが、それならば半信半疑ではあるけれども確認するための手段として、そのような形で連絡をしてこられたのではないかと思います。

もし、私たちのメールを見られたのだとしたら、どこにもそれらしいやり取りがないこともわかっていただけると思いますが、わざわざ日本から日本人の女の子が来ることの相談に乗ってあげていることに疑いと嫌な思いをされたのではないでしょうか。

その点に於いては、誤解をされるようなことになり申し訳なかったことをお伝えして、ただ誰も知らない土地のましてや外国で何かあった時に、一人でも日本人の方を知っているということは心強かったことや、実際に現地に住んでいる方からタイムリーな情報を知ることができるということも、大変有難く思っていたことをお伝えさせていただきました。

そして、奥様が誤解していらっしゃるようなことは何一つないので安心していただきたいことや、今後は一切連絡をしないこともお伝えしました。

これで納得していただけたかどうかはわかりませんが、その後それについて伊東さんご本人からも、奥様からも何も連絡がなかったので、納得されたのではないかと思います。

何しろバンコクなので、普段タイ人の女の子に接する機会はいくらでもあるかもしれないけれど、日本を離れて何年も経つと思った以上に日本人と話をする機会が少なくて、懐かしさを含めておしゃべりしたかっただけではないかと思います。

当時はネットでの情報もまばらで、私にとっても現地の方の情報はとても貴重だったのでバンコクについてや、逆に最近の日本についての話をしているだけでしたが、奥様の立場になるとそれも気持ちの良いことではなかったのだなと、私もあとから反省しました。


ただ、問題はビザでした。

間際になってのことで、急遽どうしたものかと頭を悩ませていた頃にバンコクから一通の封書が届きました。

伊東さんからのインビテーションレターでした。

そこには、ビザ取得に必要な書類が一式入っていました。

ですが、前回の奥様とのやり取りに関しては、一切触れられていませんでした。

私が困っているだろうと思って、約束だけをきちんと守ってくださったのだと思います。

お礼をお伝えしたいと思いましたが、またいらぬ誤解を招いても伊東さんにもご迷惑がかかるかと思い、散々悩んだ結果そのままお返事しないことにしました。

結局、これ以来一度も連絡を取ることがないまま今に至ります。



本当に不思議なのですが、私のバンコクに移住するという決断に大きく関わってくださった方でもあり、困った時にお世話になった方でもあるので、いつかお礼をしたいと思っていましたが、残念ながらそれ以来というものお会いすることはできませんでした。

二度とお会いすることはありませんでしたが、今でも心から感謝しています。

言い方は変ですが、どこからともなく現われ、タイに住む準備が整うと同時に去っていったような感じでした。

ファランポーン駅の彼とは、私がバンコクに住むようになってからも食事に行ったり、今でもたまに近況報告したりしています。

今では、可愛い女の子のパパになりました。

それまであまり外見にこだわらないタイプでしたが、彼に出会ったことで、潜在的な自分の好みというものが浮き彫りになった体験でもありました。

この彼も、私がバンコクに住むようになって間もなくして、他の県に転勤になってしまったのですが、この二人に出会っていなかったらバンコク移住はなかったと言ってもいいくらいの、私にとっては今でも忘れられない大切な出合いのうちの一つです。

ファランポーン駅で「TODAY」と「TOMORROW」を間違えていなかったら、彼と友達になることもなかったと思います。

国境越えの時に目が腫れていなかったら、あれほど不安になることもなく、世間話ぐらいはしたかもしれないけれど、伊東さんともそれ以上のご縁にはなっていなかったかもしれません。

そんな小さなことが織り重なり、そして各々の出合いとなり、それが今に繋がっていると思うと感謝しかありません。


※情報に於いては年月の経過により変わりますので、どこかへ行かれます際には、現時点での詳細をお調べいただきますようお願いいたします。


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