04/脅威の渋滞を避けてタイ語学校と賃貸物件探し
バンコクでのホテル住まいの日数をなるべく少なくするために、早く学校を決めて部屋を借りなくてはなりません。
まず、最初にしたのが学校探しでした。
学校を決めてから、通える範囲のところに部屋を借りることにしたのです。
東京に住んでいた私からすると、最初は関係ないのでは?と思ったのですが、バンコクは世界でも有数の渋滞都市です。
ときに、100メートル進むのに1時間以上かかることだってあるのです。
だからこそ、BTS(高架式鉄道)の駅の近くか学校の近くでないと、通学するだけで疲れてしまいます。
大小合わせて4校ほどの学校を見学し、最終的に決めたのがAUAというタイ語学校でした。
ここは、もともとタイ人が通う英語学校で、その一角に外国人のためのタイ語クラスが併設されていました。
この学校のカリキュラムが変わっていて、いつ授業に出てもいいのです。
今日は1時間だけ受けて、明日は5時間受けることも可能です。
今週1週間休んで、来週は週3日、その次の週は毎日というのも可能です。
そして、レベル毎に100時間の授業を受け終わると試験があり、それに合格すると次のレベルに上がるというシステムになっていて、どのレベルも先生が二人一組で授業を受け持ちます。
この二人の先生がタイ語で授業をします。
生徒の私たちは授業中タイ語を使ってはいけません。
タイ語で質問されたら、母国語もしくは英語で答えます。
要は、変なタイ語の発音が身についてしまうと、それが癖になり直らなくなってしまうからです。
タイ語は、声調が5種類あって、音で意味が違ってきます。
日本語の端と橋と箸だったり、雨と飴と似たような感じでしょうか?
外国人にとってはこれを聞きわけるのが大変なので、ついつい母国語に近い発音のタイ語になってしまいがちになるからということでした。
でも、それではネイティブのタイ人には通じません。
基本的には、100時間二人の先生が話しているのを聞いて聞いて聞いて、自然と正しい発音が出てくるようになるのを待つということのようでした。
1レベル100時間で10レベルまで。
最初の700時間までは、タイ語をただただ聞く授業です。
その後にやっと読み書きへと移っていきます。
周りの大人たちがしゃべっているのを聞いているうちに、赤ちゃんが自然としゃべり出すようになるのと同じシステムを採用していました。
それも、レベルに合わせて授業内容が組んであります。
最初のレベルでは、学生の休み時間に友達と話すような、テレビCMの話だったり、最近の流行りだったり、どこかに遊びに行った話だったり。
それがレベルが上がっていくにつれ段々と難しくなり、政治や経済や宗教などの話へと変わっていきます。
最初の頃の授業は、大げさなまでのジェスチャーを交えながら、また時には色んな絵やアイテムを使って、世界各国色々な国から来ている生徒でも理解できるようにタイ語で話をしてくれます。
それを、こうかな?ああかな?と予想をめぐらしながら聞いていきます。
これがまた、先生がユーモラスで面白いのです。
私個人としては、タイ人は全般的にユーモアがあって明るくて面白い気質だと思っているのですが、それがまさしく生かさている授業でした。
少しの間だけ英語のクラスの授業も受けましたが、やはり授業はすべて英語で行なわれているので、たとえタイ語がわからなくてもバンコクに住んで英語の勉強をすることも可能です。
学校の候補をほぼAUAに絞ったのち、通える範囲での住居選びです。
日本にいる時にいくつかネットでも見てはいましたが、その頃はまだ地理的なものや距離的なものが把握しきれていなかったので賃料などの参考程度にしかならず、まずは不動産屋に連絡をします。
日本語のフリーペーパーに片っ端から目を通し、電話をかけると車で迎えに来てくれて現地へ見に行くという方法でした。
日本のようにあちこちに不動産屋があるわけではなく、情報誌に電話番号が載っていたり、街角に電話番号の書いたものが貼ってあったり、実際の物件に情報が貼り出されていたり。
全部で5、6件ほど不動産屋に連絡し、十数件の物件を見て廻って、最終的に一番最初に見た物件に決めることにしました。
一年中暑いので、日本と違って南向きは人気がないことや、駅から近い物件を探そうとすると至難の伎だったり。
駅といってもBTSは、バンコクの中心部を基準に2本しか走っていないのです。
今は地下鉄も走っていますが、その頃はまだ工事をしている最中で開通していませんでした。
通常は、バンコク中を網羅されているバスを利用するのが一般的でした。
東京の地下鉄の路線図も凄いけれど、それを上回るほどのバスの路線図を見た時には驚愕しました。
時間帯によってはバスだけしか走れないレーンがあるので、タクシーよりもバスの方が早いこともあります。
タクシーだと一方通行をぐるっと周らなくてはならないことが多いので、バンコクに住むにはこの道路事情を把握することが必須になってくるのではないでしょうか。
それでも住んでいると、あんなに複雑なバスをいつのまにか乗りこなせるようになってきます。
しかも、タイでは同じ路線を種類の違うバスが走っているのです。
今ではなくなってしまいましたが一番安かったのがミニバスで、もちろんエアコンはなく、窓もドアも開けっぱなしの状態で走っています。
これの便利なところは、バス停でなくても渋滞や信号で止まっている時に乗り降りできてしまうという、ある意味画期的なバスでした。
その次が、これよりも大きな日本のバスと同じぐらいのサイズのエアコンなしのバスで、こちらもエアコンが付いてないので窓は開いていますが、ドアはきちんと閉まっています。
そして、最後が車体ごとグレードアップしたエアコン付きのバスです。
場合によっては、電車のように2車両連なっていることもあります。
ミニバスとエアコンなしのバスは均一料金でしたが、このエアコン付きバスになると距離によって値段が変わってくるので、バスに乗り込むと集金のおじさんやおばさんが寄って来てどこまでかを聞かれ、言われた金額を支払います。
この集金システム自体は、ミニバスであろうがエアコン付きバスであろうが同じなのですが、初めて乗った時にはその手さばきに圧倒されました。
このバスよりも上がバンコクスカイトレイン、通称BTSと呼ばれる高架式のモノレールのような電車になります。
値段もバスより高くなり、自動改札でもちろんエアコンが付いています。
今は、これ以外に地下鉄も走っています。
私としては、タクシーを利用する時もあればBTSを利用する時もあり、場所や状況によってバスを利用するなど、その時々に合わせて活用していました。
バス停で待っていて先に来たのがミニバスであれば、乗り降りがしやすいので敢えてミニバスを利用することもあったし、暑い時にはエアコンなしバスを見送って、エアコン付きのバスが来るまで待つこともありました。
そんな中で気がついたのが、あきらかに乗り物の種類によって客層が違うのです。
住み分けがされているというか、値段が違うので自然とそうなってくるというのか。
普段タクシーや車を利用している人が、ミニバスに乗るようなことはまずないのではないでしょうか。
私のように、ある意味便利だし節約できるからとミニバスに乗ったかと思えば、暑くて歩きたくないから今日はタクシーでとはならないようです。
これもまた、日本人の発想なのかなと思います。
日本でも新幹線のグリーン車や特急列車の指定席など、いくらかの違いがあったりするけれど、それほど客層が違うようには見えません。
そんなことも、バンコクに住んでみて初めて感じた日本との違いの一つでした。
また、バスの中で男の子に席を譲られた時には、慣れないせいかなんだか恥ずかしかったり。
日本では、自分がお年寄りに席を譲ることがあっても、前に座っている人に譲られることはめったにないですから。
タイでは、年上の方や女性に対して席を譲るのは当たり前で、乗り物に乗っているとよくその光景を目にすることがありました。
ある時BTSに乗って立っていたら、前に座っていた女の子に席を譲られたことがありました。
そんなに私の方が年上に見えたのだろうか?とちょっと落ち込みながら、そのあと会ったタイ人の友達にその話をしたら、たぶん私の着ていた洋服がふわっとしたデザインのものだったので妊娠していると思ったのだろうと大笑いされました。
年上と思われたにしろ、妊婦と思われたにしろ、どちらにしても複雑な思いを抱きながら熱心な仏教徒の多いタイらしい日常の出来事だなと思いました。
さて、話しが逸れたので物件探しに戻ります。
私が最初に見た物件は、学校まで歩いて15分ほどで、アパートの目の前にバス停があったのでバスに乗ってもバス停3つで学校まで行けました。
最寄りのBTSの駅は、学校の目の前にあるラチャダムリ駅なので徒歩約15分で行けるし、混んでいなければバスでそのままバンコクの一番地価が高いであろう、今はなくなってしまった伊勢丹の前まで10分かからないくらいの距離でした。
最終的に私が決めたそのアパートは、新築の3階建てで、2階に5部屋、3階に2部屋あるビルごと日本人オーナーの建物でした。
日本人のご両親が永らくタイに住んでいて、タイの永住権を持った私と同年代の娘さんが管理をされていました。
タイ語も英語も日本語もしゃべれて、何かの時に相談もできてとても安心できました。
私の部屋は2階の角部屋で、畳にして約14畳ほどのワンルームでした。
バンコクでは家で食事を作ることが少なく、タイ人が住むアパートにはキッチンが付いていないこともあります。
流しといえば、バスルームにある洗面台の他に、ベランダに備え付けてあるだけだったりすることも。
屋台で食事をするか、買って帰るのが普通なので、夕方になるとあちこちに屋台が並びます。
実際に材料を買って自分で作るよりも、屋台で食べる方がずっと安いのです。
一年中暑い国なので野菜なども日持ちしないし、冷蔵庫を置いていない家庭もあるので、その方が経済的です。
学校で友達になった日本人の友達の借りていたアパートは、タイ人使用だったのでやはりキッチンも冷蔵庫も付いていませんでした。
大体大型のアパートには、1階にコンビニのようなお店とクリーニング店が入っていることが多いので、お水や飲み物は必要な時にその都度買うか、クーラーボックスを用意して必要な時に氷を買って使うのが一般的なようでした。
洗濯も、洗濯機がないのでベランダの流しで洗うか、クリーニングに出します。
クリーニングといっても、日本のクリーニング店とは違って、いくつもの洗濯機が並んでいるコインランドリーに近い業態のお店です。
重さで値段が決まったり、月決めだったり、アイロン有りか無しかで値段が違ったりしました。
私の住んでいたアパートの2階は女性限定で、共同で使える洗濯機が置いてあり、屋上には洗濯物も干せたし、部屋にキッチンも付いていたし、冷蔵庫もあったので日本と変わらず不自由なく過ごすことができました。
但し、バスルームにバスタブはなくてシャワーだけでした。
確かテレビだけは、後からレンタルで付けてもらったと記憶しています。
タイでは家具が最初から用意されているので、広いワンルームにダブルベットが1台とクローゼットが1つ、それに一人がけ用のソファに丸いダイニングテーブルと椅子2脚、そして後から入れた細長いパソコンの作業用テーブルとテレビと冷蔵庫。
こんな感じだったかな。
家賃は、テレビのレンタル代金を入れて日本円にして42,000円ほどでした。
これに、NHKの放送料金が毎月6,000円。
日本語で放送されているのはNHKだけだったので、まだタイ語がわからない私にとっては貴重な情報源で、タイでの物価を考えると高いなと思いながらも払っていました。
場所は、ルンピニー公園の目の前で、サラシン通りとランスワン通りの角。
伊勢丹のあった交差点まで歩いて約30分、有名なパッポン通りまで歩いて約15分。
シーロム界隈でご飯を食べたり飲んだりしたあと、タクシーがつかまらなくても歩いて帰って来られたのでとても便利でした。
ランスワン通りは、東京の白金を思わせるような、バンコクでも新しくてお洒落なイタリアンやフレンチやタイレストランなどが立ち並ぶ一角です。
何年か前にオーナーさんが、ビルごと取り壊して今はなくなってしまったと教えてくれました。
AUAもラチャダムリから他の場所へ移ったようで、昔と様子が変わっていくのは仕方なくもあり、寂しくもあります。
そこに部屋を借り、学校を決めて、私のバンコク移住生活が始まります。
学校のクラスメートは十数名。
今日来ない生徒もいれば、翌日来ない生徒もいたりと、日によって違ったり入れ替ったりもするので、平均して8人前後が出席していました。
クラスメートのうちの3割が日本人、それ以外に韓国人や中国人、フィリピン人にオランダ人にアメリカ人にオーストラリア人。
フランス人もいたかな?
途中からの出入りもあるので、その時々で入れ替わっていきます。
みんなで2泊3日の課外授業にも行きました。
高床式の家に寝泊りし、昔ながらのタイの生活様式も体験しました。
薪で火を起こしてお鍋でご飯を炊いたり、布をまいて雨水を貯めてある瓶から水をすくって水浴びをしたり。
タイの文化を知るとても良い経験になりました。
それを機に、同じクラスだった京都出身のあかねとも友達になりました。
ムエタイを習いに来ていたシンイチとも仲良くなりました。
彼は、ボクシングで後楽園ホールに立ったこともあるそうです。
それに、韓国人の友達もできました。
この彼は、韓国で2件美容院をやっていて、そのうちの1件を閉めてバンコクで美容院を開くためにタイ語を習っていました。
それ以来、バンコクにいる間は毎回彼に髪の毛を切ってもらっていました。
ある時、髪の毛を切りに行ったら、お金はいらないからパーマをかけてみてもいいかと言うので、彼の腕を信頼していた私は即座にオーケーしました。
その時初めてデジタルパーマをかけたのですが、日本ではまだデジタルパーマを見たことのなかった私は、子供の頃母親について行った美容院で頭になんか乗せていたのを思い出し、韓国では今こういうのが主流なんだと思っていました。
が、逆でした。
日本よりもずっとずっと進んでいたことを後になって知ったのです。
そうこうしているうちに、あっという間に3ヶ月が経ちます。
私の持っていたビザは1年間有効ではあるけれど、3ヶ月ごとに入国管理局に行って手続きをするか、そのタイミングで一度国外に出て国境のイミグレーションで出入国スタンプをもらう必要があったのです。
友達も大概は観光ビザだったので、期限が切れる前に入国管理局で延長の手続きをするか、一旦国外に出て再入国する必要がありました。
その頃、前々から松本さんに聞いていたネパールに一度行ってみたいと思っていました。
ネパールのポカラがとても良かったと。
もし機会があったら一度行ってみるといいよ、と。
そこで、ネパールに行こうと思ってビザを調べていたら、タイミング悪く渡航延期勧告が出ていて行けないことがわかったのです。
期限が迫っているし、どうしよう?
そうなると、ビザのためだけに出国するようになるので、なるべく費用のかからない陸路で行ける近隣国がいいけれど、ラオスも行ったし、マレーシアにも行ったことあるし、ミャンマーは国内情勢が安定してなくて陸路での入国が可能かどうかすら定かじゃないし、あとはカンボジアかぁ、、、。
最終的に、一度はアンコール・ワットも見てみたかったから、今回はカンボジアでもいいか程度で決めたのでした。
この時、あかねもほぼ同じタイミングでビザが切れるとのことで、一緒に行くことになりました。
期限ギリギリとなってしまったので、詳しい情報を持たないまま慌てて出国するような旅となったのでした。
※情報に於いては年月の経過により変わりますので、どこかへ行かれます際には、現時点での詳細をお調べいただきますようお願いいたします。