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人生の目標?

こんにちは、徒花です。
今回は私がnoteに今一番残しておかないといけない問い「人生の目標」と、その自分なりの答えについて考えながら書き連ねたいと思います。


どうして考えることになったのか

まずは考えることになったきっかけを話します。

20代後半になり、人生の転機を迎える人が格段に増えました。
特に結婚。私と同じく大学進学をした人たちも、気づけば結婚ラッシュ。女性は特に多いです。

私自身、幸いなことにお付き合いしている方はいるのですが、結婚となると途端に話が進まなくなります。

周囲に結婚する人が増えたことで、私には余計な焦りもあると思います。
だけど、子どもを考えているのであればすぐにでも結婚は決めてほしいというのが本音です。

妊娠することも無事に出産できることも、当たり前ではありません。高齢になればなるほどリスクが高くなるのは明白ですよね。

だからこそ、子どもを願うなら早く決断してほしいと、何度も伝えました。

それに対して言われたのです。
―結婚を考えるなら、人生の目標を教えてほしい―

彼には人生の目標があり、それを達成するために休日も含めて勉強や研究に励んでいます。
そんな彼としては、長い人生を共にする相手は切磋琢磨できる相手がいいようです。だからこそ、私の人生の目標を知りたいとのこと。

困りました。
私は彼のような目標を考えたことがなかったのです。

人生の目標って何?

私は生よりも死について考えることが多いほうだと思います。
誰かの結婚よりも誰かの死に立ち会ったり考えたりする機会が圧倒的に多かったからだと思います。

そんなこともあり、人生の目標を問われた私が思いついたのはひとつ。

―できるだけ迷惑をかけずに死にたい―

昨今話題にもなりますが、やはり高齢になれば医療費、介護費がかかります。
身内での介護となれば、家族にも負担がかかります。当たり前ですよね。

だから私は、できるだけ金銭的な理由で選択肢を狭めることがないようにしたいと思っています。

ただ、彼の視点でいえば、即ちそれは「お金を稼ぐ」が目標になるようです。

そう言われると、なんだか少し違うような…。
努力してたくさんお金を稼ぎたいわけではないんですよね…。

結局その日は結論が出せず、考えてみる、とだけ返事をして別れました。

ゴールの設定が違う

ここまで書きながら思いました。そもそも、私と彼はゴールの設定場所が違っています。

彼はゴールの設定が人生の中間にあり、最後ではない。対して私は、ゴールの設定が最後にあります。

たしかにこれでは噛み合いませんね…。彼が私の話を聞いて、目標が「お金を稼ぐ」に行き着いたことも納得できました。

では、彼と同じ地点で目標を設定できるか考えてみました。

……できないのです。

どちらかといえばリアリストな私。
自己評価も低いです。

どうしても現状の自分が描ける範囲でしか、考えることができないのです。
そして、彼にとってそれは目標のうちに入らないことはわかっています。

さあ、いよいよ困りました。
彼が言う地点での人生の目標の立て方なんて、私はさっぱりわからないのです。

人生の目標は必要?

困った私は、ネットの海に思考のヒントを探しに行きました。

人生の目標。
設定したほうが良いという記事や投稿、動画もたくさんありました。

その一方で、やはりそのことを疑問に思う声も見かけたのです。

―目標を設定して走り抜けるのではなく、目の前のやりたいことや行きたいところを少しずつ達成する人生が良い。そう願うことはいけないことか―

私も同じ疑問を持ちました。

大きな目標を掲げてがむしゃらに頑張れる人、駆け抜けられる人。当然それも素敵です。
その姿勢を否定するつもりもないですし、なんなら尊敬できます。

ただ、今の私には大きな夢や目標は描けません。自分という人間にそこまで期待していないからです。だから手の届く範囲の小さな夢しか描くことができないのです。

それはいけないことなのでしょうか。

目標の大きさ

夢を描けることは素敵なことです。
大きな夢を描き、着実に歩める人、本当に尊敬します。

よく言われる「人生の目標」はこちらの大きなものだと思います。

ただ、私にとっては大きすぎる夢は経験上、ただの挫折にしかならないのです。そして、それが自分にとってストレスになることもわかっています。基本的に自己肯定感が低いのです。
だからこそ、手の届く範囲の夢しか描くことができません。

だけどふと思いました。
大小もあればゴールまでの距離感も違いますが、どちらも同じ夢や目標じゃないのでしょうか。

だとしたら、小さな夢や目標を描いて達成することも、同じ人生の目標なのではないでしょうか。

再考:人生の目標は必要か

さて、では人生の目標が必要かどうか。

あくまで私個人の見解ですが、あったほうが楽しいのかなと思います。

ただ、私が思う目標は、決して大きいものだけではありません。

例えば「海外旅行がしたい」とか「車が欲しい」とか…。「ちょっといい焼肉が食べたい」とかもいいですね。
そんな、少し頑張れば手が届く範囲のものも含めて、あったほうが楽しいのかなと思います。

必ずしも大きな夢や目標を掲げて走り抜ける人生だけが、正解じゃないと思います。

私の人生の目標

ここまで書いて、もう一度考えてみました。

私の人生の目標。

…やはり中間地点の目標は小さなものしか浮かびません。

では最初に言ったゴール地点。
迷惑をかけないように死にたい。

改めて考え直してみたら、少し違うような気がしました。

私は人生を終えるとき、悪くなかったと思いたいです。

そう思う要素の1つが「迷惑をかけないように」なのかなと思います。
だから彼に問い直されたとき、しっくりこなかったのかもしれません。

悪くなかったと思える人生のために、私は目の前のやりたいことや小さな夢、些細な幸せを積み重ねたいです。

もちろん、人生は良いことばかりじゃないです。私もこれまでの人生で悪いことも嫌なこともたくさんありました。

そんな経験も全部ひっくるめて、ひとつひとつの経験という点が線となり、最終的に悪くなかったと思えたら良いなと思います。

もちろん、良い人生だったと思えたら最高ですけどね。

余談:目標と手段

目標を達成するには、当然手段も考える必要がありますね。

よくも悪くも、私の描く目標の大半は「お金」で解決します(旅行に行きたいとか、行きたいお店があるとかなので)。資本主義社会ですから、お金は切っても切り離せません。

だからといって、私には出世欲はありませんし、副業もしてバリバリ稼げるかと言われると、それも向いてない…そもそも弊社は副業禁止ですし…。

そんなわけで、私はコツコツと貯金をすることで目標を達成することが多いというか、正直現状では一択みたいなところがあります。

逆に彼は、根本的に稼ぐ金額を増やすことに重きをおいているようです。

そりゃ人生の目標設定の仕方も変わりますね…。
とる手段の選択肢が違うんですから…。

そんなこともふと思った、今回の思考整理でした。

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