まだ途中
高校を卒業し、東京の看護学校に入学した後、順調に看護師の道を歩んでいるようでしたが。
看護師の仕事が、どこか偏ったように感じていた当時の私。
約14年間、東京で生活し、結婚を機に札幌に移り住みます。
自分を振り返り、今の私を探っていきます。
5. 結婚は転機ではない
32歳で結婚し、手術室を退職した私は、また転職します。
別に寿退職というわけではなく、結婚するから、一応辞めてみた、というだけでした。
次の職場は、新居から車通勤できる、東京の隣の某大学病院付属の分院でした。そこでも、中央手術室に勤務します。
大学病院にしては東京とは違い、都会感のあまり感じられない、ご近所感満載の、ローカルな病院でした。
アットホームな手術室には、わずか半年しかおらず、先に転居した夫の後のいる札幌に引っ越したのです。
北海道は、夫の故郷です。いずれは、親をみなければという思いから、思い切って札幌に引っ越したのです。
親というのは、義理の両親のことで、当時、私の実母は、まだ熊本で元気に仕事をしていました。
札幌で、新たに仕事を探し、フルタイムで病棟の看護師として働き始めた私。夜勤もこなし、新しい生活に馴染んでいきました。
しかし、東京と違い、劇場は少ないし、数多くの芝居が上演されるわけでもなく、引っ越した後になって、「あ~、なんてことだ!」と後悔したのでした。
そんなこんなで、その後の私は、あれほど芝居やダンスにのめりこんでいたにもかかわらず、札幌で看護師としての生活に流れていきました。
転居後、最初の職場で第1子(長男)を出産。産休8週間後に職場復帰。息子は、乳児保育園に預けて、フルタイムで働いていました。
その後、第2子(次男)出産。それを機に、自宅近くの訪問看護ステーションに転職します。
次男の時も、10か月後に職場復帰。二人の子供を保育園に預けながら、育児休暇などなく、フルタイムで仕事をしていました。
その後は、子育てしながら、2000年の介護保険制度の始まりを受け、ケアマネジャーの資格を取り、ケアマネとしての仕事を始めます。
当時、唯一の楽しみは、長男を連れて、人形劇や劇団四季の芝居を観に行くことでした。
私にとって、結婚や出産は、確かに人生の一大イベントではありましたが、仕事への考え方、趣味を続けたい気持ちには変わりはありませんでした。
自分の人生の一部であり、私自身の中身は大きく変わるものではなかったのでしょうね。
6. 人に興味がある
子育てしながら、ケアマネジャーの経験を積み重ねていきました。
相変わらず、フルタイムで仕事をしていましたが、夫の協力も大いにありました。
何せ、主婦らしくない私ですから、結婚前と同じように仕事してました。
ケアマネの職場は、その後3回変わっています。今が4回目。
その間、1年間は介護老人保健施設の看護師長を務めましたが、在宅のマネジメントのほうが自由がきいて面白みを感じたため、すぐにケアマネに戻っています。
主任ケアマネジャーを取得し、その後は、通信教育の福祉大学に入学し、社会福祉士の国家資格を取得しました。
ケアマネジャーの学術団体である、日本ケアマネジメント学会の認定ケアマネジャーの資格を取得。一応、学会発表も経験しました。
看護師の資格は、それはそれで活かされていると思いますが、ケアマネジャーの面白さは、医療だけでなく、人の生活に密接に介入するところなのだと思います。
病院や施設といった、人の生活する通常の空間ではない(異空間)場所での看護とは違い、人が日々生活する(営む)空間での支援です。
高齢者の、これまで生きてきた長い人生の後半部分に関わることになるのですから、大いに勉強になります。
介護保険が始まってから、早20年。
看護師の経験よりも長くなってしまいました。
しかし、しかし・・・。
看護師の経験は、今の仕事に大きな影響を与えています。
対人援助職、と言われるケアマネジャー。
人が好きで、人に興味がないと、人の支援などできませんよね。
「人に興味がある」ことって、映画やお芝居にのめりこんでいた私のルーツが垣間見える気がします。
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