始まりのはじまり
「還暦」を前に、自身を振り返り、これからの自分の生き方を考えようと始めたnoteです。
よかったら、ちょっと覗いてみてくださいね。
3. 転職の始まり~妥協できない自分との付き合い
26歳で初めての転職をした私です。
看護学校卒業後、順調に私立大学病院に勤務し、5年の経験ののち、次の転職先へ向かいます。
今思えば、同じ場所にいることに、飽きていたのかもしれませんね。
初めての転職先は、都内の某国立大学病院です。
卒業後5年間、たたき込まれた看護師の仕事に、誇りを持ち、多少なりとも自信を持っていました。呼吸器・循環器という、病院内では最も死亡率の高い現場で、看護師の先輩や医師に多くのことを学ばせてもらいましたし、何より、「看護」の基礎を叩き込まれました。
転職先の国立の大学病院は、超有名ですが、当時の私は名前などあまり気にしておらず、ただ寮があること、しかも寮費が安い!(当時1か月2500円)ことが決め手でした。
26歳の私が一番若く、諸先輩方は私立大学病院時代の先輩方より、さらに年配でした。確か、すぐ上の先輩が30代半ば、あとは40歳代以上の、おそらく定年が近いような先輩ばかりでした。
そういう大御所のような先輩が、普通に夜勤もこなしていたのです。
驚いたのは、当時、10時と15時にお茶の時間があったことです。
私大病院時代にそんなものはなく、仕事はなかなか終わらず残業もありました。しかし、次の病院は、10時と15時になると、先輩が私を呼びつけ、「お茶しなさい。早く!」と言うのです。
始めは何のことかわからず、言われるがまま、別室に行き、お茶とお菓子をつまみ、少し休んでから仕事に戻る、ということをしていました。
就業時間が終わると、病院横の寮に戻り、自分の時間はたっぷり。寮で知り合った他部署の友達もでき、楽しくやっていましたね。
あ~、楽!、国立病院って、こんな感じなんだ、と思っていました。
しかし、その後、転職を考えるきっかけになった、決定的なことが起こりました。
それは、ある夜勤がきっかけでした!!
50歳近い先輩と夜勤でした。
その時、IVH(中心静脈栄養)を入れた患者さんがいたのですが、その栄養のためのカテーテルが抜けてしまったのです。
そのカテーテルは、鎖骨下静脈から心臓まで入って輸液で栄養を送る(点滴のようなもの)です。それがどうしたことか抜けてしまった!
通常は、急いで当直医に報告し、抜けた部位は圧迫止血、縫合しないとなりません。
しかし、先輩は圧迫どころか、抜けた部位を絆創膏で貼っただけ。
私は、次の夜勤への申し送りまでそのことは知らず、先輩の申し送り中に知ったのでした。
「えっ!?」と驚く私と、申し送りを受ける側の先輩。
「それ、まずくないですか?」
そこからが大変でした!
当直医に連絡し、その先輩は、医師にこっぴどく叱られていました(当然ですが)。
また当時、この病院では、週刊誌にいろいろな内部告発があり、話題になったりしてました。
私は、このままここにいたら、自分の看護師のキャリアがなくなる、または落ちるような気がして、寮の仲間と時期をずらして、約半年で退職したのです。
まあ、若かったといえばそれまでですが、当時は、そんな職場に怒りを通り越して、あきれていました。納得のいかない場所に、自分の身を置くことが耐えられなかったんですね。
そうして、私の転職の旅が始まるのです。
その頃の私は、相変わらず、ダンスを習い、芝居を観、そうして芝居の裏側に興味を抱くようになったのです。
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