【漫画原作】フットモンキー ~ FooT MoNKeY ~ 第9回
#創作大賞2024 #漫画原作部門 #小説 #ハッピーエンド #純愛
10月に入ると、昴と瑞希は以前から参加することが決まっていた、AFC(アジア・フットサル・チャンピオンシップ)に出場する運びとなった。練習会場は、都内にあることが殆どで、この大会には昴と同じく全国でも有数のプレーヤーが招集されいた。
神戸ストイックスの藪 敏樹、難波レクリエーションズの笑原 拓人、立川アルバトロスの躾 実成、ズンダブロッカ仙台の馳川 止、ベトナムのホーチミンサイゴンズでプレーする京都出身の嵐山 大乗、5月に行われた練習試合で共に死闘を演じた、アルフレッド新潟の袴田 英輔と、名古屋アレンジャーズの綴 糺、綻 絢だ。
代表候補が複数いたため全員を知っている訳ではなかったが、今回の練習に呼ばれた選手が正規メンバーとなるようであった。これまで何度か練習に参加していた昴でも、初の全員参加とあっては緊張の色を隠しきれない。
出発を三週間後に控えた練習を前に、監督の猿渡 修が檄を飛ばす。
「今回の目標はもちろん優勝だ。その意識のない者は去ってもらう」
「ポジションと背番号を発表するぞ。ピヴォは9番の金、6番の焔、12番の室井。
アラは7番の藪、8番の笑原、10番の林、11番の袴田、13番の綴、14番の綻。フィクソは2番の嵐山、3番の港、4番の躾。ゴレイロは1番の硯、5番の馳川だ。
アイツの居ないチームなんだ。状況に応じて違うポジションでの出場もあり得るから、各自気を抜かないように」話が終わってから昴は、金に気になった質問をぶつけてみる。
「金さん、アイツって誰のことですか?」
「前の大会まで居た雷句って奴が、チームの中心選手の一人でさ。ソイツのことだよ」
「大会に来れなくなったって人ですよね?」
「そうそう、凄い選手だったんだけど、怪我でね」
それを聞いたキャプテンの林が、俄かに顔を顰める。
「怪我というには、あまりに無理がありますけどね」
「それってどういうことですか?」
「それは今に分かるよ」
そんな話をしていると、向こうで何やらモメているようだ。
「躾――」
「おう、笑原。お前も来てたのか」
「来てたのかや、あらへんやろ。俺はアイツと、この大会に出るのが夢やったんや。それを台無しにしくさってからに――」
「アイツが弱いから悪いんだよ。弱肉強食のこの世の中で、勝ち続けるのは常に強い者だけなんだ」
「黙れ!!アイツは俺の親友やった。ガキの頃から、来る日も来る日も一緒にサッカーやって来たんや。お前だけは絶対に許さん」
「はっ、お前に何ができるんってんだよ?この腰抜けが」
この二人のやりとりは、これから同じチームで共闘するのが不安になる程であった。今回の代表には9月の段階で代表として出場予定であった、先程の会話にあった雷句、日程の都合により試合に参加できないHeY!Yo帯広の灰原、宮古スープレックスゴレイロの虹絵の代わりとして、昴と躾、ゴレイロの馳川が招集されていた。
結局この日は、笑原と仲のいい藪、嵐山が彼を宥めて、なんとか練習を終えることができた。そして、その後は月に3回東京で汗を流した。
それから迎えた移動日は東京国際空港、通称『羽田空港』から飛行機で、会場があるインドネシアまで向かうこととなっている。今回は昴と瑞希のために、保が車を出して送ってくれた。空港に到着し、他の選手たちと合流する前、保が昴を呼び止めた。
「友助はさ、ホントは代表に入りたかったんじゃないのか?5月の練習試合の時から、袴田のやつに勝ちたいって、そう言ってたんだろ」
「そうなのかな?最近よく分かんないんだよね。アイツの考え」
「それは理解しようとしてないからじゃないのか?分かり合おうとしてないだろ」
「う~ん、そうかもね。俺、そういうの苦手な質だし」
「なあ昴――これだけは覚えといてくれ。『人は変われる』昨日ダメだったからって、今日もそうだとは限らないんだよ。諦めたらできるもんもそうでなくなっちまうんだ。お前の一番もったいないのは、そこなんだよ」
「――ありがとう保さん。覚えとくよ」
気持ちの籠った保の言葉に、昴は痛く感銘を受けたのであった。
その後、10分ほどお喋りた後、他のメンバーと合流し、保から「お土産忘れるなよ」などと冗談めかして言われながら、他にも来ていた十数名と共に、暖かく見送られた。飛行機に乗り、インドネシアのスカルノ・ハッタ国際空港に着くと、ホテルに移動してチェックインした。昴は同室の金と硯と部屋に入る。
「金さんって凄く綺麗に服たたむんですね」
「ん、そうだな。昔からのクセで、こうしないと気が済まないんだ」
「几帳面なんですね」
「いや、この方が楽だからだね。この方が場所よく分かるんだ」
勿論コレは謙遜であり、金にはキッチリと整理整頓するだけの知性が備わっていた。そんな話をしながら一晩明かし、それから更に調整のため1日練習日を挟み、いよいよ開会式を迎えた。会場となる『ケオン・マス(金のカタツムリ)スタジアム』は金の外装で、その荘厳華麗な佇まいは、見るものを圧倒するだけの迫力があった。
厳かに開会式を終えると、幸運にも開幕一戦目は日本代表の試合である。
『パーパパパーパー、パーパパパパー』
聞きなれた曲が流れて日本代表は勢いよくピッチに躍り出た。この曲は『フィファ・アンセム』というタイトルでドイツ人の作曲家フランツ・ランベルトによって作曲され、94年のWCアメリカ大会で初めて使用された曲である。
子供の手を引きながら入場し、横に並んで開始の時を待った。この『エスコート・キッズ』はフェアプレー・チルドレンとも呼ばれ、今や当たり前となった彼らの存在は、恥ずべき行為を見せない、児童虐待防止の観点からも重要な存在である。
初戦の相手はオーストラリアであり、黄色のユニフォームは力強いイメージと合致して威圧感があった。一方日本代表はイタリアのアズーリ思わせる青のユニフォームで、見るものを虜にするだけの魅力があった。今回は、決勝トーナメントに向けてと言うことでベストメンバーではなく試合に当たって人数が多く、互いに慣れているからと、様子見とばかりに静岡代表と名古屋代表の東海組で編成を組むこととなった。
焼津スコアラーズの焔、名古屋アレンジャーズの綴、綻、浜松テクニシャンズの港、磐田ブロッカーズの硯を据えるという布陣でレギュラーメンバーは様子見ということで温存となった。するとここで、同じ静岡の選手ということもあり、キャプテンの林が昴の緊張を和らげようと話し掛けてくれた。
「国際試合ともなると、俺たちにもファンがついてくれたりするから嬉しいよな」
「そうですね。これだけの人数が居ると、なんだかプレッシャー感じちゃいます」
「気にしなくても大丈夫さ。普段通りに、延び延びやったらいいんだよ」
「はい。そうさせてもらいます!」
昴は多少内弁慶なところがあるため、慣れない場面では借りて来た猫のように大人しいのであった。果たして日本代表は、どのような活躍を見せてくれるのか?期待と不安に胸膨が膨らむ中、サポーターたちはメガホンを握りしめていた。
2002年10月22日、ジャパン・ハプロリーニス、いざ始動!!
試合は日本代表ボールでのキックオフとなり、港が鷹揚にボールをキープすると、
前線の焔へとパスを通した。普段共にプレーしているかと思えるほどの見事な連携で、焔が瞬時に見せたペダラータに、フィクソのロナルド・マクドナルドが戸惑っている
間に強烈なシュートが放たれた。これは惜しくもポストの横を通過したが、ゴレイロのポール・ダイポールは、危機感を感じたのか鋭く声を荒げた。
そしてオーストラリア代表は、『ケブラ』と呼ばれる特殊な戦術を取ってきており、これは折れるという意味で、パスを貰い易いように一度別の方向に動いてから、マークマンを外すプレーのことである。彼らはこれを得意とし、十八番として多用していた。
日本代表は、この戦術に肝を冷やしたが、名古屋アレンジャーズ綴、綻の糸偏コンビのブロック&コンティニューによってチャンスを演出し、前線の焔まで繋いで行くと、再びペダラータからのシュートでの得点によって1対0とすることができた。
対して、オーストラリアボールとなり、ゴールキックから前線へと綺麗にパスが回り、アラのリッキー・トリッキーが巧みにディフェンスの間を縫って攻める。繰り出されたこの『カットイン』は、元オランダ代表で10年のWCスペイン大会で活躍を見せた、フライング・ダッチマンの愛称があるアリエン・ロッベンも得意としていた技だ。
そのまま加速したリッキー・トリッキーは、難しい角度からだが、ループシュートを決め切り、自らの幸運を喜んで目の前で十字を切り、神への感謝を示した。
これに対し、日本代表のマネージャーがそれぞれ感想を述べる。今大会で招集されたマネージャーは、髪色がグラデーションでアルフレッド新潟の東洋 瑠偉、ハイライトで立川アルバトロスの大橋 璃華、バレイヤージュの山端 瑞希にモノトーンでズンダブロッカ仙台の河合 瑚奈を加えた4名で、遠巻きにもわりと分かりやすかった。
「それにしても見事な個人技ね。動きが徹底していて、惚れ惚れするわ」
「それ思いました!あの感じだと、すっごい足に負担掛かりそう」
「なんかめっちゃキレがありますもんね、カックカク」
「あ、チョウチョ!!」
そして、性格的にも、解説好きの瑠偉、イエスウーマンの璃華、しっかり者の瑞希、天然の瑚奈で、何気に調和が取れているのであった。
オーストラリア代表は『ドリブルアット』と呼ばれる、味方に向かって近づく戦術で戦況を打開しようと試みるも、港が繰り出したクライフターンに惑わされた、ピヴォのアレク・アレックスが引き離された隙を突かれて、手痛い追加点を奪われた。
ここで、2対1と状況的に少し余裕が出て来たため、猿渡監督は好調の焔に代えて、昴を出場させることにした。交代で出た昴は、颯爽とピッチを駆け巡ると、早速必殺のふらふらフェイントを見せつけシュートを放って見せた。マークマンとして着いていたロナルド・マクドナルドは、そのあまりの速さに対応することができなかった。
それから勢いに乗った昴は、後半18分に2点目の得点を上げた。
「オー ヒー イズ スシボンバー!!」
アラのオットー・パトリオットは、感嘆のあまり大きな声を上げた。
それから、リッキー・トリッキーのゴールから、控えのオルス・オスマンを含めてのロボットダンス、アイーン、両手のグーを体の前で回す、一時停止、左右対称でダンスというパフォーマンスには押され気味であったものの、そのまま時間は流れて行って、日本代表は大事な初戦で見事勝ち星を上げることができた。
試合が終わると、昴は先程の疑問を解消しようと金に聞いてみる。
「金さん、スシボンバーって何ですか?」
「ああ、日本人が大量得点すると、そう言われるんだよ。ドイツ人選手が爆撃機、デア・ボンバーって呼ばれるから、そこから来てる言葉だな。ミュラーなんかがそうだよ」
ゲルト・ミュラーは元西ドイツの選手で、どんな体勢からでもゴールネットを揺らせるというスタープレーヤーであった。
日本代表は続く24日、キルギス代表との試合で『ピサーダ』と呼ばれるヒールパスに千辛万苦しながらも攻めの一手で打開して2対0で勝利し、迎えた25日の中国戦で『デスカルガ』と呼ばれるサイドへ開く戦術に悪戦苦闘しながらも堅実に守備を固め、5対2でまたしても白星を上げることができた。昴は試合後、林と感想を述べあう。
「中国ってわりと強いイメージがありましたけど、そうでもなかったですね」
「ああ、なんでも中国は、大エースが居なかったみたいだぞ。王なんとかってヤツ」
「あ、そう言えばなんだか統率する選手が居なくて、連携が取れてませんでしたね」
「そうそう。その大エースがパーフェクトなんだってさ」
“完璧ってどんななんだろ?”昴は気にはなったが、今は確かめる術はなかった。
それから日本代表は26日パキスタンとの試合で、あわや引き分けかと思われたが、ズンダブロッカ仙台、馳川のパワープレーでの得点により、予選リーグをトップで通過することができた。
10月27日は、疲れが溜まっているということを考慮して、林の提案で一日オフということになった。昴と瑞希は、朝8時すぎに目を覚まして一緒に朝食を取っていた。眠い目を擦っていた昴に、瑞希が何か思いついたように話し掛ける。
「ねえバンドン行こうよ。せっかくインドネシアに来たんだし観光しに行きたい!」
「観光か~ちょっと疲れそうだよな」
「ねえ、ちょっとくらいいいじゃん。31日にはもう帰っちゃうんだし」
「う~ん。それもそうだね、そうしよっか」
「やったー。やっぱ分かってんじゃん、昴くん!」
「まあね。ただし夕方までだよ。試合に影響が出ない程度にね」
10月は日本では秋ごろだが、インドネシアは南半球にあって夏であるため、半袖半ズボンの服に着替えた。準備が整うとさっそくホテルを出て、昴がタクシーを拾おうとすると瑞希が少し慌てて声を掛けた。
「あっ、そっちじゃなくてこっちにしよう」
「えっ!?うん、いいよ。こっちの方が好きなの?」
「ブルーバードタクシーって言って、他のより安全なんだって。ローカルタクシーだとドアを開かないようにされて脅されたり、かなり高くついたりするみたいだから」
「そっかー。ちゃんと調べてくれてんだね。それなら断然こっちの方がいいな」
本物の『ブルーバードタクシー』はまがい物のローカルタクシーとは違って青い鳥のロゴとIVやVVのナンバーがあるのが特徴だ。近年であれば、マイ・ブルーバード・タクシーのアプリを使って呼ぶことができたりもする。
「トロン・ク・スタシウン(駅までお願いします)」
「サヤ・メン・ゲーティ(かしこまりました)」
「おおっ!凄いじゃん、インドネシア語」
「でしょ?この日のために、ちょっとだけ覚えといたの」
タクシーが走り出して、目的地であるガンビル駅まで15分ほどで到着した。金額を見て昴がお金を支払った後、瑞希が何か思い出したように言葉を発した。
「ミンタ ストラクニャ(レシートください)」
「サヤ スダ メンガクイ(承知しました)」
「すっげえ。きっちりしてんな」
「うん、一応ね」
料金の誤魔化しを防ぐことや、書いてある番号に電話を掛けたら、落とし物が帰って来るかもしれないことを考えると、レシートは必ず貰っておいた方がいいと言える。
そして二人は、ジャカルタにあるガルビン駅から、バンドン駅まで電車で移動することにした。バスでも約3時間と同じ所要時間だが、延滞によって6時間ほど掛かる場合もあるため、正確を期すためにも電車を利用する方が良い。
「ちょっと高いけど、エグゼクティブシートにしよう」
「別にいいけど、お金掛け過ぎじゃない?」
「こっちじゃないとシートが固いから体が痛くなるんだって。240円の違いだし」
「そっかー。それなら、そっちの方が助かるな」
それから約3時間、楽しくおしゃべりしながら電車に揺られて旅をしてバンドン駅に到着した。バンドンはインドネシア第3の都市であり、ジャカルタからは電車で9時間かかる第2の都市スラバヤより近いため、ついでに観光することが可能だ。
到着すると12時を回っていてお腹が空いてきたため、その辺の屋台に入ってご飯を食べることにした。メニューを開いてアレコレ悩んでいく。
「サピバリ。バリ島牛か――」
「せっかく来たしコレにしようよ!」
「う~ん、そうだね。なんか美味そうだし」
「あとはナシゴレン(米炒め)とガドガド(温野菜の詰め合わせ)も」
「おっ、いいね。じゃあサテ・アヤム(串焼き鳥)も」
インドネシアは皿に盛ってバイキング形式でご飯を食べることが多く、これは彼らが家族を何より大切にすることを象徴するスタンスだ。2億4千万人が、恵まれた肥沃な大地をベースに暮らしているため、東南アジアらしい平和で穏やかな空気感がある。
「あとビールも」
「ああ、俺はいいよ。明日試合だし」
「ええ~、いいじゃんちょっとくらい」
「よくないよ。大事な試合なんだし、いい加減な調子では出られないよ」
「そっか~。ごめん、そうだよね。私もやめとこっと」
「悪いな。ってか、これだけ頼んで二人で1200円って結構安いね」
「うん。物価が日本の3分の1くらいだもんね」
この時の物価は125ルピアが1円で、算式としては千円単位で8を掛ければよく、
15万ルピアなら150千ルピア×8で1200円となる。地ビールは25千ルピアで約200円、輸入ビールは35千ルピアで約280円ほどで飲むことができる。
現地でよく飲まれている、バリハイビールは、フルーティな味わいであり、ビンタンビールは、コクがあるのだがプリン体が多く太りやすい。店員を呼んで料理を注文し、ゆっくりと30分ほどで食べた終えた後で、昴が会計を済ませて店を出た。
それから、瑞希の提案でちょうど隣にあった売店で、お土産を買うことにした。
「ワインとかいいんじゃない?日持ちするから持って帰るのに丁度良さそうだし」
「いいかもね。そうしよう」
「う~ん、どっちがいいかな~。ハッテンワインとプラガワイン」
「インドネシアと言えばハッテンワインだよね、こっちがいいんじゃない?」
「そうだね、そうしよっか」
「あ~あ~、どうせなら飲んで帰りたかったな」
「試合前だもんね。こういう時、スポーツ選手は辛いよね」
お酒はわりと高価であり、グラス1杯3万ルピア、屋台の料理が約240円であるのと同額であったりする。ワインについては粗悪なものが出回っていることがあったり、アラックと呼ばれる現地の酒はメタノールが入っていることがある。
失明してしまったり、最悪の場合死に至ることもあるので、信頼のおける店舗でしか飲むべきではないと言える。昴はワインをレジに持って行って代金を払おうとするが、さっき出してもらったからと瑞希が払った。売店を出て町を歩いて行く。
「重いだろ?持つよ」
「いいよ、これくらい」
「いいから、貸して」
“ちょっと強引だけど嬉しいんだよな、こういうところが好きになったのかも”
「ねえ、せっかくだからアジアアフリカ会議博物館行こうよ」
「ああ、バンドン会議の?いいね、行こう!」
ハーグ協定で独立し、連邦制を廃したインドネシアで1955年に行われた、アジアアフリカ会議、通称『バンドン会議』は、29ヶ国が参加して平和十原則が採択され、冷戦下での米ソ2ヶ国に、第三世界の結束を示す意味合いがあった。
博物館に着くと、ちょうど開館時刻の2時になった所で、タイミングよく入館でき、バンドン・グランドモスクや地質博物館を見学して回った。その後、黄昏時になって、市場を見たらそろそろ帰ろうかという話になった。
「おお、パパイヤあんじゃん!!」
「美味しそうだね。私、実は食べたことないかも」
「そう言えば俺もないな。よし、食べてみるか」
「ごめん私、お腹いっぱいかも」
「そうなの?じゃあ一人で食べとくよ」
それから昴はパパイヤを買って黙々と食べ始めた。
「これほんと美味い!けど、なんかちょっとお腹の調子が――」
果物の王様といわれるドリアンをアルコールやコーヒーなどと一緒に食べてはいけないというのはよく聞く話だが、現地のパパイヤは日本のスーパーに並んでいるものと比べてとても大きく、味に癖がなくとても美味しい。ただ、便秘の薬のかわりに食べることもあり、食べ過ぎると下痢になってしまうこともあるので注意が必要だ。
それから、15分ほどトイレを探して回ることにし、やっとのことで探し当てた。
「ああ、紙ないじゃん!!」
「大丈夫?ポケットティッシュあるよ」
「マジで!?ありがとう助かる」
この国に限らず、海外旅行に行く際には、トイレットペーパーがそもそもないことが多いため、トイレ用にポケットティッシュを持参しておくことをオススメする。インド、インドネシアでは、左手で尻を処理した後に水で洗い流すことが一般的であり、左手は不浄の手と呼ばれ、握手を求める際は、必ず右手を差し出すようにすべきだ。
「おっ、なんかやってるな」
見ると女の子が三人で輪になっており、そのうちの一人が煙草を吹かしていた。
インドネシアの煙草には『クローブ』というものが含まれており、これはコショウ、シナモン、ナツメグと共に四大香辛料と呼ばれるものである。その効果で火をつけると周囲に甘い香りが漂い、口の中がとても甘くなる。昔から喘息に効く薬として使用されており、吸うと喉が滑らかになるという。
「そうだね、あの楽器なんかもオシャレだね」
さらに、もう一人は楽器を弾いており、これはアンクルンと呼ばれるものであった。竹製の打楽器であり、太鼓、ゴング、オーボエなどの管楽器、もしくは竹笛の加わったガムラン(合奏)が一般的で、奏者が同時に熱狂的で滑稽な仕草で踊ることがある。
煙草を吸っていたノフィと、アンクルンを弾いていたアグスが何やら話をしている。
「来月からラマダンね。なんだか少し憂鬱だわ。このバナナで最後ね――」
「ほんと、イフタールが今から待ち遠しいわ」
インドネシアでは約88パーセントの人がムスリムであり、『ラマダン』と呼ばれる断食を終えると、『イフタール』という朝食を食べるのである。彼女らが弾いている
楽器を珍しがって昴と瑞希が近づいていくと、最年少のフェビィが話しかけてきた。
「セラマト マラム(こんばんは)」
和やかに笑う彼女らを見て、瑞希はなんだかは微笑ましい気持ちになった。
「なんかいいよね、こういう人たちって。穏やかで優しくて」
「え~俺はなんか嫌だな」
「なんで?可愛らしいじゃん」
「東南アジアってなんかダサいし、古臭いじゃん」
「そんなことないと思う。文化が違う人をそういう風に見ちゃダメだよ」
「なんだよ、俺より知らない人の味方するってのかよ」
「そういうつもりじゃないけどさ」
「だったらどういうつもりなんだよ?」
昴は不貞腐れて、側にあったココナッツを蹴るフリをした。女の子たちはその動作をまじまじと見つめていた。瑞希が気を使って「セラマト ティンガル(さようなら)」と言ってその場を離れようとした。だが、二人が立ち去ろうとすると、突然アグスが楽器を弾くのを止めて昴たちを呼び止め、隣に居るノフィ、フェビィと話し始めた。
「ヘイ トゥング ノフィ アダ アパ イニ(ねえ、待って。ノフィ、これって)――」
「イニ スリット! ブカン イルム ヒタム(大変だわ!黒魔術じゃない)」
「アク ハルス メンバーリタフ ナタリア(ナタリア姉さんに知らせなきゃ)!!」
そう言ってフェビィは走ってどこかへ行ってしまった。
近づいてきたノフィが先ほど食べようとしていたバナナを差し出してきた。
「イツ アダラ ピサン ジマト ヤン ディセト ピサン マス。マカン
(これ、ピサン・マスっていう魔よけのバナナなの。食べて) 」
「ごめんなさい、何て言っているか分からない」
ある程度は勉強した瑞希でも、ネイティブレベルの口語は難しかった。
「マカン、マカン!」
「食べろってことかな?」
昴が恐る恐る手を伸ばすとノフィは笑顔を作りながら首を縦に振った。差し出されたバナナの皮を剥いて食べると、意外にも特に何の変哲もないものであった。昴と瑞希は、バナナに何の意味があったのか不思議に思っていたのだが、不意に脚の方に目をやると、右脚のくるぶし辺りが大きなクギの形に膨らんできているように見えた。
暫くして知らせを受けてやってきたナタリアは、昴の脚を見るとすぐに血相を変え、屋台の人に話し掛けて何かを調達し始めた。それは『ジャムウ』と呼ばれる主に根茎、木の皮、果実といった自然素材から作られるインドネシア発祥の伝統医薬品であった。
ナタリアは綺麗に日に焼けた端正な顔をしており、長い髪を振り乱して、眉間に皺を寄せながら火を起こし、フェビィがどこからか持ってきた鍋で、その材料を煮始めた。
「なんか、科学の実験みたいだな――コレ、俺のためにやってくれてんの?」
「そうなんじゃない?イルム・ヒタムって、確か黒魔術って意味だったと思うけど」
「えっ、そうなの!?なんか怖いな」
「薬なんじゃない?とりあえず待ってみようよ」
10分ほど経って、ナタリアは煮終わった鍋にバケツで汲んだ水を加えると、昴の前で拝むように手を合わせた。昴と瑞希はこれから何が行われるのか不安に感じ、固唾を飲んでその様子を眺めていた。
すると次の瞬間、ナタリアが勢いよく鍋の中身を昴にぶっかけた。
「うわっ、えっ、なに!?」
ナタリアの不意打ちにかなり驚いた昴は、思わず大きな声を上げてしまった。だが、ムッとしたものの、昴の脚を確認してホッとしている彼女らに悪意がなさそうなので、文句を言うに言えない状況であった。
「ティダク アパアパ クリシス スダ ベラクヒ(もう大丈夫よ、危機は脱したから)」
そう言うとナタリアは笑顔で昴の手を握った。
「ごめんなさいね。お詫びに明日の雨を晴れに変えておくから――」
インドネシア語で言われているため、二人には当然なんのことだか分らなかったが、悪意を持って罵られているわけではないことは明らかであった。瑞希が片言でテリマ カシイ(ありがとう)と言った後、昴が作り笑顔で手を振って岐路についた。
「さっきのってインチキだったんじゃねえの?魔術なんて非科学的だろ」
「そんなことないと思う。人を疑うのは良くないことだよ」
「けど証拠なんかないだろ。とんだ災難だよ」
「善意でやってくれてる人たちに対して失礼だよ」
「そうかもしんないけどさ。何を根拠にそう言うんだよ」
「だってお金取らなかったじゃん。それは偉いことだよ」
「けど、なんか寒いし、風邪ひいたらどうしてくれんだよ。ったく」
「どうして善意に感謝できないの?」
「ありがた迷惑なんだよ、頼んでもないのに。瑞希が言えばいいだろ」
「なんで人の気持ちを考えようとしないの?分かり合おうとしないの?」
「俺は常に人のことを思って生きてるよ。相手のこと分かってるよ」
「さっき私はワインを遠慮したのに、自分だけパパイヤ食べたりしたじゃん」
「!?。なんだよソレ?それならその時に言えよ!!」
「だって言える雰囲気じゃなかったから――」
「俺が間違ってるっての?自分で勝手にそうしたんじゃん!!」
「そんなこと、言わなくたって普通は分かるよね!?ああ、もう腹立つ~」
「誰だって言われなきゃ分かんないだろ?独りよがりなんだよ、瑞希は」
「それじゃ、やっぱり人の気持ちわかってないじゃん!!」
「――」
瑞希の正論に一言も返すことができないでいた。それからバスに乗り、電車に乗り、タクシーに乗り、ホテルまで遂に無言で帰ってきてしまった。
「ごめん、俺たちもう――」
「やめてよ!!」
「瑞希――」
「なんで?どうして、いつもそうやって、勝手に決めるの?私の気持ちはどうなるの?変わってくれるの信じてるのに、待ってるのに、なんでなの!!」
「――」
「なんとか言ってよ!!私が悪いの?ねえ!?ねえ!!」
「もう嫌だ――」
「私だってそうだよ!!」
「俺たちなんでいつもこうなんだよ。お互い好きだと思ってるのに――」
「本当に?ホントに私のことが好き?」
「そうだよ。なんで分かってくれないんだよ」
恋人や夫婦などは、互いに向かい合うのではなく『同じ方向を向いて歩んで行く』ということが大切なのだが、若い二人にはどうしてもそのことが理解できなかった。目標を持って挑んだり、共通の問題を解決したりすることが、その仲を保つためには大切なことなのである。
ロビーに戻って皆と合流してからも、終始気まずい雰囲気が漂ってしまっていた。
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第十回 https://note.com/aquarius12/n/nf3708f596376