【漫画原作】フットモンキー ~ FooT MoNKeY ~ 第7回
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本日8月18日は静岡リーグ第5戦、磐田ブロッカーズとの試合の日である。黄色のユニフォームが剛胆なこのチームはとにかく大きい選手が多く、中でもキャプテンの硯 堅悟は銀色のモヒカンが目立っていてとても厳つかった。
消極的でベジタリアンばかりのこのチームには、几帳面で神経質な選手が多く居る。フットサルチームでは珍しくアップでドッヂボールをやっており、紳士的な選手たちは、観戦に来た妻子をベンチに座らせ、控えの選手たちは立ち見であった。試合開始を目前に控え、硯が選手たちに発破を掛ける。
「俺たちのチームワークを見せてやろうぜ。B型が自己中なんて絶対に言わせねえ。
全員B型のチームでも上手く纏まれるってとこを見せてやる!!」
「やっべ、俺ちょっと下痢だったわ」アラの磯部は体調が思わしくないようだ。
「大丈夫か?試合中に漏らすなよ」同じくアラの磁界は心配そうに話す。
「大丈夫っす。俺の肛門括約筋、最強っすから」
「おい、碓井。今日もバッチリ止めて、京子ちゃんに良いとこ見せろよな」
「自分、不器用っすから」
「噓つけ、ホントはモテたい癖に」
「そっ、それは――」
「まあ、いいや。石田、調子はどうだ?」
「う~ん。まあまあっすね。体調は良い気がします」
「それは頼もしいな。得点しっかり頼むぞ」
キャプテンは硯なのだが、ブロッカーズはいつもこんな調子で誰も彼の話を聞いていないのであった。
そしてその後3分経って試合開始。バランサーズボールで始まった試合は、いきなり大きなチャンスを迎える。友助はルーレットからのオフェンスで、カバーで飛び出した磁界を躱してスペースに飛び出した蓮への壁パスを利用してからのシュートをゴール右隅に向かって放った。だが、硯は顔色一つ変えずにそれを受け止めた。会心の先制点かと思われただけに友助はかなり落胆する。
“クソっ、全然入んねえ。なんなんだよあのゴレイロ。ダブルハンドで悠然とキャッチしやがって。カシージャスかよ”
硯は県内随一のゴレイロと噂され、その実力は折り紙つきであった。ブロッカーズが堅守のチームであるのも、彼の実力があったればこそなのである。
続くブロッカーズのオフェンスが不発に終わると、再度バランサーズの攻撃。友助は先程の反省を活かしアシストに方針を切り替えるが、昴に入れば首尾よく1点が取れるというところであったが、フィクソの碓井が力強くはじき返してチーラした。
碓井は端正な顔立ちをしており、オシャレボウズがよく似合っていた。人一倍練習を重ね実力で言えば県内でも指折りの選手ではあるのだが、元来シャイな性格のためなかなか会話の方は上達しないのであった。せめてプレーでの活躍を見せたいところであり意中の京子の方を確認するが、ちょうどスコアブックに書き込んでいるタイミングで、渾身のファインセーブは華麗にスルーされてしまった。
バランサーズは、陣形を整えて攻めようとするが、ブロッカーズの執拗なチェックに苦戦してしまう。それでも苦しい中で攻めを敢行するが、アラの磯部がスライディングで削りブロッカーズボールとなってしまった。
「オラっ。見たか辛口スライド」
磯部はスライディングマスターの異名を持ち、00年にフットサルでそれが解禁されてからというものの数々の難敵からその足でボールを奪っていた。またもブロッカーズの攻めとなり、ポンポンとボールは回るもののプレッシャーを掛けると意外にあっさり撃たせることができ、石田の放ったシュートは味蕾の真正面に行きついた。
再びバランサーズのオフェンスとなり、速攻で回して好機を狙うが、ブロッカーズの選手たちは慣れた感じで全く動じてはいない。
「いいね!俺様の蟻地獄ディフェンスで全員ぶっ潰してやるぜ」
アラの磁界は自分のプレーにかなり自信があるようだ。ブロッカーズはバランサーズのオフェンスを巧みに誘導して渦のように磁界のところまで誘き寄せ、お得意のプレスでボール奪取に成功した。
ブロッカーズ側のオフェンスとなり、シュートを警戒してプレッシャーを掛けるために辛損が出した足に磯部の足が掛かって倒れ、PKを獲得する形となった。意気揚々とシュートを打ち込んだ磯部であったが、パワーはあったものの何の変哲もない真っ直ぐなものであり、弾道を見切った味蕾は難なくそれを受け止めることができた。
その後バランサーズは味蕾の投げたボールを友助が前線でトラップし、パスを回して展開を作ると、ちょうど空いた保が走り込んでシュートを打ち込んだ。鋭く強烈なシュートがゴールに吸い込まれるかのように思えたが、これも硯のファインセーブによって阻まれてしまった。そして、ブロッカーズは危なげなく攻めを行うが、ピヴォの石田の放った渾身のループシュートは惜しくもバーに嫌われてしまった。
「ああ、入んねえ。落ち着かねえと――」
そう言って石田は、自分の両胸をパーにした手で交互に強く叩いた。ブロッカーズは毎回いい形は作れているのだが、ここで友助はプレーを観察し、あることに気が付いた。
“そうか、勿体ないな。このチーム、フィニッシャーが居ないのか”
『フィニッシャー』とはシュートを決める存在のことであり、最後に点を取る選手のことである。ブロッカーズは技術的には問題はないのだが、シュートが入らないという課題があった。フットサルはコートが狭くゴールが小さいため、サッカーに比べて特にシュート精度の高さが求められる。
オフェンスに切り替わりルーレットで華麗にディフェンダーを躱した友助の渾身の一撃は、またしても硯に阻まれてしまった。余裕綽々の硯はボールを前線に送った後、吞気に鼻歌を歌っている。
“まずいな。なんとかしてこの状況を打開しないと――”
攻撃の決め手を欠いたバランサーズは、完全に攻めあぐねていた。そして、なんとか具体的な打開策を講じたい戦況のまま前半が終わってしまった。ハームタイムに入り、昴、保、中で解決の糸口を探していた。
「ちょっと遠いけど行けるよな、アタリン?」
「うん。これくらいなら大丈夫」
「いや、でも中をフィールダーで出すわけにもいかねえだろ?」
「この際しょうがねーだろ。いいよな、アタリン?」
「まあ、みんながいいんならいいよ。僕はもうディフェンスはできないけどね」
「4秒ルールはどうすんだよ?」
「俺が担いでFKのとこまで行くよ」
ここで、これまで黙って聞いていた友助が会話に割って入ってきた。
「それって可能なんですか?かなりリスキーだと思うんですけど――」
「大丈夫、絶対に入るから」
「まあ、それならいいんですけど――」
“カウンターくらったらどうすんだよ。絶対に入る?そんな馬鹿な――”
そうこうしているうちに10分が経過し、足早に後半が開始された。
後半に入り、ブロッカーズボールでの試合再開。
どうにか真価を発揮したい石田は中央突破でのシュートの際に倒され、辛くもPKを獲得する。かなりいい位置でのPKとなったが、チーム1シュートが得意な磯部はこれをミスし、シュートは浮き球となって枠を外れてしまった。
「ああっ、ガッデム(死語)」
バランサーズは再三ゴールを狙ってアプローチを掛けるが、碓井の執拗なマークで昴にボールを入れることができず攻撃の起点とすることができない。ディフェンスに押し返されるように後退し、オフェンスがモタついてしまっていると、甘利がプレッシャーに負けてボールをロストしてしまう。
友助はブロッカーズのあまりに巧みなディフェンスに思わず感心してしまった。
“そう言えば、今日は1回もPKになってないな。荒いのになんて丁寧なディフェンスなんだ。そこはウチも見習わないとな”
ブロッカーズはとにかくプレスが強く、攻めのディフェンスではあったが、力具合を上手く調節して相手を倒さずに押しのけ、ボールだけを奪うという術に長けていた。
ディフェンスは本当に素晴らしいのだが、ブロッカーズはやはり攻め手に欠け、碓井の撃った安いシュートは、味蕾に届くまでもなく保にトラップされてしまった。
バランサーズボールとなり保が出し手を伺っていたところ、友助とのクロスから蓮がボールを受け取りに来た。そして素早く前線へと駆け出し、友助へとパスを回そうとしたが、ここで友助は減速しバテているような感じを演じて騙し討ちを画策した。
誘いに乗った磯部が、ボールを奪取しようと蓮に近づくと、友助が加速して離されてしまったため、磁界と共にピッチ中腹でもつれて受け渡しミスが発生した。焦った碓井がカバーに行くと、強く押し過ぎてしまい、友助が倒されてしまった。
狙い通りの展開に、思わず友助の頬が緩む。最悪の展開に硯が怒りを露にする。
「何やっとんじゃー」
「す、すません――」
ブロッカーズは、想定外のことで明らかに余裕がなくなっており、蓮が倒れた友助の手を引いて起こしてあげたほどであった。それから昴が中を抱えて運び、PKの位置に優しく立たせた。友助はせっかくのPKを譲るとあって、固唾を飲んで中を見守る。
“この人いっつもボーッとしてるけど、大丈夫なのかな?”
友助の心配を余所に、中は黙々と狙いを定め、ボールを蹴り上げる。
『シュパッ』
“えっ!?なんだ?まるでゴールに吸い込まれるような、ボールが意思を持って向かって行くかのような。寒気がするようなシュートだったな”
鮮烈なゴールに中は喜んではいるが、当然のように振る舞ってもいるのであった。
“何者なんだこの人?毎回足ひきずってっけど、もし本調子だったら――”
この時友助は、軽く見てしまっていた中に対する見方を少し変化させたのであった。
「ウッホー。いいシュートだな~」
石田は戦況を人ごとのように吞気に眺めていたのだが、この得点で1対0となり、
俄然バランサーズが有利になったことを、もっと深刻に捉えるべきであった。
この後も、ブロッカーズは組み立てこそ上手く行ってはいたのだが、このチームにはパワープレーができるようなゴレイロで登録している選手もおらず、後半ラスト3分を切ってもそのまま数的同数でのオフェンスを行っていた。
結局バランサーズはこの1点を守り切り、今期3度目となる勝利を手にした。昴の中を起用するという策が決定打となり、これは閃きを意味するプレーである『ピカルディ』と言えるものであった。
試合が終わり皆で喜びを分かち合った後、珍しく中が昴に話し掛けてきた。
「今日は試合に出られて嬉しかったよ」
「今までめげずに練習して来たもんな、当然だよ」
「ナズナに電話で伝えるよ。僕が大事に想ってることも」
「アタリン――」
「ありがとう。僕のこと分かってくれるのは、昴と勘九郎だけだよ」
「ああ、もちろんだよ。今日は立派だったよ、本当に」
それから中は暫くぶりにアドレス帳を見ずに電話を掛けた。
「どうしたの?急に?」
「ううん。なんでもない」
「嘘、いつも電話なんかしないじゃない」
「――今日、試合で点を決めたんだ」
「そうなの?中くん、足が悪くて試合には出られないんじゃーー」
「PKの時に昴がピッチに立たせてくれてさ」
「そうだったのーー。おめでとう、私も嬉しい」
「ありがとう。それと、もう一つ」
「何?」
「愛してるって、ただそれだけ伝えたくて」
「えっ!?」
突然の事でナズナは動揺を禁じえないようであった。中が暫く沈黙を保っていると、受話器から微かに嗚咽が聞こえるのが分かった。
「最近なんだか不安で――。中くん、私から心が離れて行ってるんじゃないかって。
もう私のこと好きじゃないんじゃないかって――」
「そんなことないよ。俺がいつも想ってるのはナズナだけだよ」
「!!。ありがとう。その言葉が聞きたかった」
その後、普段では考えられない程の長話を終えると、ナズナは安心したように眠りに就いた。中の挙動を理解できていたナズナだが、長年の関係性からそのことを言えずにいた。自身の不安を取り除かれ、ナズナは中に全てを捧げる覚悟ができたようだ。
8月29日、昴と瑞希は予てから決めていた物件に入居し同棲を始めることとなった。新しい生活に自然と胸が高鳴る。そして今回二人は、同棲するにあたって財布は共同、門限は12時という2つの大きなルールを決めていた。逆に言うと、必要以上に決めてしまうと窮屈になるため、これ以外は随時調節するということにしていた。
「今日からよろしくね」
「うん、こちらこそ」
それから、荷物を整理しておおよそ決めていた配置に並べて行った。
「この電子レンジ、トースター付いてるんだ!」
「そう、最近のはハイテクなんだよな」
「トースターって昔からあるけど、誰が作ったんだろうね?」
「エジソンだよ。それまで人間は、一日二食で生きていってたんだけど、トースターを売るために朝食を食べることを提案し始めたんだって」
「へえ~そうなんだ。よく知ってるね」
「前に読んだ本の中に書いてあったんだ」
「ふ~ん。本を読むといろんな知識が手に入るんだね」
「まあね。大事だよ、教養を身に着けることって」
因みに同棲する際、明確に結婚の意思がある場合には、『同居人』とするのではなく『婚約者』とした方が審査を通過しやかったりもする。片付けが一段落すると、瑞希がパソコンを開いて何かやっているようだ。
「せっかくパソコン買ったんだし、エクセルで家計簿つけて節約しとかないと」
瑞希がそう言ってパソコンの電源を入れ、画面をスクロールしながら電卓を探していると、昴が手を重ねてきてホーム画面でクリックしてしまった。
「あ~もう!!何するの?せっかく探してたのに」
「そんなことやってたら、日が暮れちゃうよ。こういうのはこうするんだよ」
そう言って昴はWindowsボタンとsボタンを同時に押した。
「ウインドーズ、サーチで検索出来て、caって入力したら出て来るんだよ。電卓、
カリキュレーターね」
「へえ~。やるじゃん。なんかカッコイイ」
「だろ?俺も偶にはやるんだぜ。他にも、woでワードとかcoでコントロールパネルとか出せるからやってみろよ」
「おお~、凄い!!物知りじゃん」
それから暫く雑談を交わした後、この日は同棲初日ということもあって、夜は盛大に盛り上がった後、就寝することとなった。次の日の朝になり昴が目を覚ますと、瑞希は既に起きており、出勤前に容姿を整えていた。
「そう言えばいつも瑞希ん家に泊まったら、化粧するとこ見ずに帰ってたよね」
「そうだね、玄関まで送ってそれまでって感じだったもんね」
「なんか新鮮だな、どうやるか教えてよ!」
「いいよ!男の子は自分で化粧することなんかないもんね」
そういうと瑞希は手慣れた手つきで化粧品を用意し始めた。
「ステップ1は『スキンケア』ね。化粧水と乳液で肌を整えて荒れないようにするの。この時コットンを使って化粧水を染み込ませて、乳液で潤いにフタをするの」
「そっか、最初にケアから入るのか」
「ステップ2は『ベースメイク』で、先に化粧下地で表面を整えてファンデーションで潤いとかニキビが気になる春夏にパウダー、乾燥とか肌荒れが気になる秋冬にリキッド、塗りムラが気になったり速く仕上げたい時にクッションを使うの。この時に、スポンジとかパフを使ってやるといいかな。次はフェイスパウダーで、これは、肌全体の印象がふんわりして塗りムラを隠してくれるの。しっかりカバーしたい時は色味のあるもの、自然に仕上げたい時は、粒子の細かいものを使うといいの」
「うんうん、なるほどなるほど」
「ステップ3は『ポイントメイク』でアイブロウは眉毛に対して上からコームを当ててハサミでカットして、シェーバーで整えるの。それからペンで足りない所に書き加える感じかな。アイラインは、目元の黒目の端から目尻にかけて書いて最後に跳ね上げ部分を作るの。私は違うけど一重の人は目元の端から書き始める方がいいね。アイシャドウは肌が黄色がかったイエローベースの人は茶系のオレンジとかベージュ、透明感のある白系のブルーベースの人はの赤系のレッドとかピンクが似合うかな」
「おお!いつもの感じになってきたな」
「ステップ4は『トータルフィニッシュ』ね。チークはブラシを使って頬に赤みを持たせるの。可愛くしたいなら頬を中心に円を描くように、大人っぽく見せたいなら斜めに入れるのがポイントかな。リップはブラシを使って、輪郭をハッキリさせると美人顔、内から外にぼかすように入れると優しい顔になるの。ここでリップクリームやワセリンを塗ってから塗らないと、唇が荒れちゃうから注意が必要ね」
「そう言えば瑞希って、全然肌荒れしてないよね」
「そうだね。ビタミンCを取るためにアセロラジュースを飲んで、ピーマンとキウイを食べて、よく運動してよく寝て、海に行くときには必ず日焼け止め塗ってるからね」
「女の子はケアが大変なんだよね。俺らは着の身着のまま生きてて気付き難いけど」
「昴くんは奔放だよね。私はシミができて後悔したくないから日傘が手放せないよ」
そんなことを話しているうちに出勤する時間となり、二人は家を出て途中の路地まで一緒に歩いた。そして勤務を終えて帰宅すると、瑞希が化粧台の前で座っていた。
「ただいまー」
「お帰りー、今から化粧落とすんだけど見る?」
「そうなんだ。このために待っててくれたの?見たい見たい!」
「いいよ!コットンを使って落とすんだけど、先にポイントメイクを落として、それでベースメイクを落とすの。Tゾーン、頬、目、口の順にやって30度くらいのぬるま湯でやった方がいいね。旅行とかだと応急的にシートで済ましたりもするけど」
「へ~。苦労するわりに、落とすのは一瞬なんだね」
「そうだね。あと、クレンジング剤は、しっかり落とせるオイルとジェル、肌に優しいミルクとクリームとがあって、私は肌を労わりたいからミルクタイプを使ってるの」
「やっぱりここでも、かなり気を遣ってるんだね」
「そうなの。肌の抵抗力が落ちるとアクネ菌っていう菌の所為でニキビができるから。後が残るとやっかいだから、帰ったらまずは『クレンジング』だね」
こんな風に女の子は、いつも男に見えない所で苦労しているものなのである。そんなこんなで同棲を始めてから二週間ほど経ったある休みの日、洗濯物を畳んでいた瑞希が、何か思い立ったようで昴に話し掛けた。
「このパーカーなんかいい匂いがする~」
「ホント!?――いや、別にそんなことなくね?」
「そうなのかな?いい匂いだと思うんだけど」
「洗剤の香りなんじゃね?瑞希は多分この匂いが好きなんだよ」
「う~ん。じゃあ、こっちは?」
「このブラウス?あ、これはいい匂いだな」
「本当に?私はそうでもないんだけどな」
「ははっ。相手のヤツだからじゃね」
「ふふっ。そうかもね」
英国ケンブリッジ大学が行った研究で、男女20人に2週間同じTシャツを着たまま過ごしてもらい、異性にその匂いを嗅がせて、良い匂いだと感じた者同士でカップルになったところ、その後の交際が驚くほど上手く行ったそうだ。文明人と言っても所詮は動物であり、恋愛の成否など案外そんなもんなのである。
この話を鑑みたところ、この二人は互いに相性がいいようである。そして、この日は珍しく瑞希が料理の練習をしたいと言い出し、昴も巻き込んでの実践練習を行った。
「昴く~ん、コレ!」
「しょうがねえなあ」
瑞希は手にしているジャムの蓋が開かなかったようだ。
「昴く~ん、アレ!」
「しょうがねえなあ」
今度は棚の上にある箱に手が届かなかったようだ。
「昴く~ん。ソレ!」
「ええ、またかよ。しょうがねえなぁ」
とは言ってみたものの、必要とされていると感じて悪い気はしていなかった。瑞希はまだまだ甘えたいようで、何かとい理由を付けては昴に頼ってみるのであった。できた料理は生煮えだったり焦げてしまっていたりと出来栄えがよくなかったが、昴は瑞希が自分のために料理をしてくれていることが素直に嬉しかった。
それからも瑞希は、何か目標があったようで頻繁に料理をしては腕前を上げて行き、一晩かけてクッキーを焼いてくれたりもした。
そして迎えた8月23日、この日は昴の誕生日であり、瑞希はこの日の為に習得しておいた料理を腕によりをかけてて作ったのであった。
「どう?おいしい?正直な感想が聞きたいな~」
「う~ん。なんか色合いが地味かな~。料理のバランスも悪いような。それにちょっと薄すぎるよコレ。俺の母さんの味噌汁はもっと塩が効いてたよ」
「はあ!?なによソレ。せっかく早起きして作ったのに!!バランスが悪いだ~!?
それに母親と比べて味が薄いだなんてマザコンかよ!!!!」
“これはマズいやつだ――”普段から暴言を吐くことなど珍しい瑞希を、ここまで激怒させてしまったため、昴は戦々恐々とした思いであった。
「とりあえず落ち着けよ。ほら、俺チョコレートケーキ食べらんないの知ってるだろ?代わりに食べてよ」
「そんなんで誤魔化されないよ!!喧嘩売ってんでしょ!!」
「悪かったって、今日は誕生日なんだし、それに免じて許してよ」
「う、――うん」
不本意ではあったが、祝い事の最中ということもあって瑞希もこのくらいで抑えることにしたようだ。怒りを鎮めるには、糖分を取ることが有効であり、女の子の期機嫌が悪くなってしまった時には、甘いものを食べさせるのがいいと言える。
昴はこれを医学的な知識として知っていたため、意図的にそうすることにしたようだ。瑞希はケーキを食べ終わる頃にはだいぶ落ち着いていた。それから少し時間が経った頃、誰か来たようで勢いよくインターフォンが鳴った。
「宅配便で~す」
「ふふっ、は~い」
扉を開けると、友助と美奈が入って来て瑞希はなんだかとても嬉しそうに応対した。
「待ってて、今何か作るから」
「あっ、お構いなく。美奈ちゃんがピザ買ってきてくれたんで」
“ちゃん?”瑞希は思うところがあったが、今は聞き流すことにした。
“やっべ、ちゃんって言っちゃった”友助は少々焦っていた。
「そ、それより――これ!!」
友助は両手を後ろに向けて、美奈の持っている布の被せてあるものを指した。
「何コレ?」昴は勿体つけて登場させたそれが、非常に気になったようだ。
「じゃ~ん!」美奈は満面の笑みで、嬉しそうに布を取って見せた。
「ワン!!」
「おおっ!!この前のビーグルくんじゃん」昴は瑞希の予想以上に喜んでいた。
「ありがとう、瑞希が用意してくれたんだよな?」
「そうそう。喜ぶと思って!結構思い切ったんだよ」
「ねえ、せっかくだし名前決めようよ!」
「そうだね、名前がないと呼びにくいし、そうしよう」
それから暫く、皆であーでもないこーでもないと思案していたのだが、見ると先程のビーグルくんが美味しそうにピザを食べていた。それを見た昴は突然、何か思いついたように声を上げた。
「そうだ!!この子の名前、ピクルスにしようよ」
「えっ!?なんか変じゃない?食べ物の名前なんて」
「そうかな~賢そうな名前だと思うけど」
「う~ん」
「いいじゃん。ピクルス好きみたいだし、これも何かの縁だよ」
「まあそれもそうだね。じゃあそうしよっか」
「やった~瑞希ちゃん大好き!!」
そして、皆でピクルスが手をつけていないピザを食べていると、彼が何やらゴソゴソやっていることに気が付いた。気になって見に行くと、瑞希は予想外のことに感嘆の声を上げる。
「あっ、この前なくしたイヤリングじゃん!!」
「ホントだ!広告と一緒にゴミ箱に入っちゃってたんだ。危うく捨てるとこだった」
「お~い、偉いじゃんピクルス!!さっそくいい仕事したな!」
「ホント~お手柄だね!」
それからピクルスと遊びながら、皆で友助と美奈が買ってきた酒を開けて飲んでいた。2時間ほど経って夜も更けてきたことで疲れが見え始めた頃、瑞希の様子がおかしいので少々引き気味の美奈が諫めた。
「瑞希――、ちょっと飲みすぎじゃない?」
「いいのよ、ちょっとくらい。お~い、酒持って来~い」
「僕、行ってきます」
「あ、いいよ。俺が行く。溜まっちゃってんだろうな、ストレス」
女の子は基本的に、男と居る時のストレスを自然と発散することはできないもので、女子会に行くことで愚痴を言い合って発散することが一番の解決策であると言える。
缶ビール2本と缶チューハイ5本を飲み干した瑞希は、もう真っ直ぐ歩けないくらいふらふらになっており、よろよろと歩きながら昴の方まで近づいてきた。
「好きならちゃんと受け止めてよぉ」
「そんなこと言ったって、そんなふらふらしてたら予測できないよ」
「そうですよ、いくらなんでも――あっ!!」
「どうした?」
「これってオフェンスに応用できるんじゃないですか?なんか酔拳みたいだし」
「ん?言われてみればそうだな」
「ですよね!!使えるテクニックですよね!!」
「やったじゃん友助。これで最強だな」
「いえ。僕にはもうルーレットがありますし、昴さんが使って下さいよ」
「いいのかよ、お前が思いついたんだろ?」
「はい。これも瑞希さんからのプレゼントですよ」
「そうかーー。ありがとう、友助」
「はい。絶対に行きましょうね、全国大会」
友助は少し天然なところもあるのだが、人を立てたり自己犠牲を厭わなかったりする所が良さであると言える。それからここまで祝ってくれた、友助と美奈にお礼を言って玄関まで送ると、酔いつぶれて寝てしまった瑞希をベッドまで運び、そっと布団を掛けてあげた。まだ拙くはあったが、大切な今を皆で一生懸命に生きられていることに、昴は大きく感謝したのであった。
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第八回 https://note.com/aquarius12/n/nc543beeca4d2