34.後悔
上記のnote、私の自叙伝のような話の中には、不自然なくらい父親の話が出てこなかったけど、父親がいなかったわけではない。普通にいた。
冷淡で関わってこないタイプだからではなく、自由奔放の放任主義であまり向こうからは関わってこなかったからだ。
小さい頃は、動物園やプールに連れて行ってくれたけど、家や子供のことにあまり関心がなく、むしろ“自分の好きなことをして過ごしていたいタイプ”なので、私たち子供がある程度大きくなったら、「休みの日は一人でパチンコに行く」人だった。
だから、夫としてはダメ夫なのだろうけど、子供としては放っておいてもらえた方がかえってありがたかったりするので、特にダメな父親だとは思っていなかった。世話はあまりしないけど、その代わり害もなかったということかな。
まぁ、子供もいろいろなタイプがいるから、一概にどういう育て方が良いと言えるものではないようですね。私は割とまじめな子で、怒られなくても宿題やるし、悪事を働くようなタイプでもなかったので、子供に必要な世話をする以外の部分は、放っておいても大きな問題にはならなかったのだろう。
しかし「金は出すけど口は出さない」立派な篤志家のような行動をとれない親も多いから、自分の思い通りにしようと指図したり、子供が望んでいないことを押し付けたりしてしまうのでしょうね。
父はあっけらかんとした気の良い人だったから、自分が好きなようにしている代わりに、人のことにもあまりつべこべ言わない。ある意味、そこは一貫している。そして、あまり積極的に私の話を聞いてきたり関わってきたりしない割に、感覚的に私のことを理解している点もあった。外してることもあったけど。直感タイプなんだね。
私が小学生の頃、車でどこかに出かける時、父が運転しながらこんなことを言っていた。「年取って足腰立たなくなったら好きなことなんてできなくなるんだから、動けるうちにやりたいことやっておけば良いんだよ」。
私は助手席でそれを聞いて、「この人はそういう、刹那的な生き方をする人なんだなぁ。そして、それを他の人が変えることはできないんだなぁ」と悟った。だから、父はそれで良いのだと思った。
母は堅実なアリタイプ、父は享楽的なキリギリスタイプ。
根が真面目な私は、子供の頃は、父のことを不思議な人、おもしろい人だと思っていたけど、今思えば、もっと見習っておけばよかった。
しっかりお金を貯めて計画的な母は偉いけれど、「質素倹約」とか「真面目にコツコツ」を是とする考え方に毒されて(しかも中3から「死にたい」トンネルに入ってしまったため)、私は「楽しむ」ことを欠いて生きてきてしまった、と後に気づいた。
他の子はもっと、友達と遊んだり、ダラダラゲームしたり、無駄だけど楽しいことをして、だから勉強やだなーとか言いながら生きてきたんだろうけど、なんだか私は自分を追い詰める苦しい生き方をしてきたなぁと。息抜きって何。力抜いてだらだら過ごすという感覚があまりわからない。
大人になってから、「遊ぶって何することだろう?」って思ったんですもん。小学生の頃は自分のことをあまり正直に人に話せなくなってしまったし、中3以降は暗闇の中にいて友達と遊ばなかったから。だから、仕事のない休みの日に何したら良いかわからないという時期がありました。それだったら時間の無駄だから働いてた方が良いかななんて思うくらいに。
後に趣味を見つけられたからよかったですけど。それでやっと「楽しく過ごす」というのが、生きるのに大事なことなんだなって気づけたので。20代後半とか30近くになってから、ようやくそういうことがわかったので、だいぶ遅かったですけど。
ずっと死にたいと思っていて、生きたい理由がなかったですし。生きたい理由は今もないけど、少なくとも「楽しい」ということが生きる上では必要なことなのだということはわかった。楽しくなければ生きていても意味がないですもんね。お金があっても、長生きしても、楽しくなければ意味がない。
もっと早く気づきたかったな。若いうちじゃないとできない楽しいこともたくさんあるし。ましてや病気になってしまったから。
それが、父をもっと見習っておけばよかったと思った理由。
楽しいことで生きるエネルギーを補充しないと、消耗し続けるままだと私みたいになっちゃうから、やっぱり、子供がのびのび過ごしたり、文化的なことに触れられる世の中にしてあげたいなと思う。