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死の効用

死の効用


 冒険家や登山家の著書を読んでいると、よく「生の実感」という言葉が出てくる。私のみる限り、この言葉は「人は死の淵に立つことによって、初めて自分が生きている実感を得られる」という文脈で使われることが多いようだ。酸素が平地の三分の一しかないような高山や、遭難したら最後、誰からも見つけてもらえないような辺境で活動することは、なるほど確かに「死の淵」に立つことに直結している。そして文明社会で生きている人間は、豊富な食べ物と高度な医療技術、頑丈な住居に囲まれながら、死が巧妙に不可視化されている日常を生きているので、一歩踏み間違えれば死に直結するような、文字通りの命の危険に晒されでもしない限り、自分がほんとうに生きているという実感もできないというわけだ。

 冒険家のこうした言葉は、若干観念的すぎる気もするが、それでも本質を突いていると私は思う。実際に大病やとても近しい人(家族、親友など)の死を経て、それまでとは打って変わったように自分の人生に真摯に向き合うようになったという人は、有名無名問わず存在する。例えば写真家の星野道夫は、中学時代からの親友Tの遭難死をきっかけに、その後の人生の大部分を過ごすことになるアラスカへ行くことを決めたという。彼の著書『旅をする木』に収められている短いエッセイでは、当時の心情が極めて精緻な言葉で綴られている。

今考えると、その出来事は自分の青春にひとつのピリオドを打ったように思う。ぼくはTの死からひたすらたしかな結論を捜していた。それがつかめないと前へ進めなかった。一年がたち、ある時ふっとその答が見つかった。何でもないことだった。それは「好きなことをやっていこう」という強い思いだった。Tの死はめぐりめぐって、今生きているという実感をぼくに与えてくれた。(…)十九の時に行ったアラスカが急に大きく脹(ふく)らんできた。とにかくもう一度アラスカに戻らなければならないと思った。とてつもなく大きな自然に関わってゆきたかった。

「歳月」(『旅をする木』収録)

 Tの遭難死によって、「今生きているという実感」は、星野に自らが向かうべき場所を本能的に知らしめ、同時にこれまで彼が生きてきた世界からはあらゆる意味を取り去ってしまう。当時通っていた東京の大学に戻った星野は、それまで慣れ親しんでいたはずの大学の景色が、いつのまにかすっかり変貌してしまっていることに気づく。

大学のキャンパスに戻っても、そこはもう自分の属する世界ではなくなっていた。テニスラケットを抱えて談笑する学生、立て看板をアジ演説をしている学生……いつもの見慣れた風景が別世界に見えた。将来が何もわからないのに、今ここを離れなければならないということだけはわかっていた。

 同上

 もちろんこれらの文章はエッセイという名の「商品」なのであるから、星野の語りには少しばかりの誇張や辻褄合わせも入っているであろう。しかし星野による回想には小手先では書くことができない真実味と切実さが篭っていると私には思えるのだ。その後、自らの声に従って星野はアンカレッジにあるアラスカ大学に編入し、96年に熊に襲われてこの世を去るまで、アラスカの雄大な自然を映し出すカメラマンとしての人生を送ることになる。

自殺しそこねた哲学者


 星野の人生は親友の「死」によって動き出していった。 このように人生の終わりを切実なものとして捉え直すことは、自分にとって善く「生」きることとはどういうことかを自問自答させるきっかけになる。これはいかにも陳腐な指摘だ。今時、街の本屋へ行けば同じようなことを書いているビジネス書が腐るほど置いてある。しかし頭でわかっているだけのことと、全身でそのことを受け止めていることとは全く違う。星野道夫の場合は親友の死こそが、切実な死の仮想体験であった。それよりも切実な死の体験といえば、もはや自らの肉体によるものしかあるまい。それはこの上なく直接的な死への接近である。

 アメリカの社会哲学者エリック・ホッファーは、若い頃に自殺未遂を経験することによって(?)彼独自の後生を生きることができたという点で、世にも希な人物である。
 彼はそもそもの生い立ちが独特であった。ニューヨークのブロンクスに、ドイツ系移民の家具職人である父親の元に生まれ、七歳の頃に母親と自らの視力を失った。十五歳のときに視力が回復したものの、それからほどなくして父親も五十歳足らずで死んでしまう。

 十八歳にして天涯孤独になったホッファー少年は、父の所属していた家具職人組合からもらったたった三百ドルを握りしめてロサンゼルスへ赴き、日雇い労働で日銭を稼いでは節約しつつ図書館で古今東西の書物を読み耽る生活を送り始める。読書好きにとっては甘美なように思えるが、先行きが不安な生活だ。しかしホッファーにとってはそうではなかった。というのも彼の家系は代々短命であったからだ。先述したようにホッファーの父親も50歳足らずで死んでしまったし、ホッファー自身も幼い頃から自分は四十歳ぐらいで死ぬだろうという諦念があったようだ。

(…)けれども、なぜ突然失明し再び急に目が見えるようになったのか、とくに思いわずらうこともなかった。というのも、マーサ(※ホッファーを幼少期から世話していた家政婦)がよく冗談で、ホッファー家が続いていること自体、奇跡だと言っていたからである。実際、私の家系はみな短命で、五十歳以上生きた者は一人もいない。「将来のことなんか心配することないのよ、エリック。お前の寿命は四十歳までなんだから」マーサのこの言葉は私の心の奥深くに刻み込まれ、(…)あれこれ先々のことを思い悩まずにすんだ。私は旅人のように生きることができたのである。

エリックホッファー『エリック・ホッファー自伝 構想された真実』

 自分の人生が人よりもずっと早く終わると思い込んでいたホッファーは、だから老後のためにお金を貯めたりする苦労などには一切思い悩むことなく、自分の気の赴くままに暮らしつづけた。日雇い労働で最低限のお金を稼ぎつつ、毎日図書館に通い、本を読んで、ノートをとる。60歳を超えてからホッファーは、(正規の学校教育をほとんど受けていないにも関わらず)カリフォルニア大学バークレー校で政治学を教えることになるわけだが、その博覧強記を養ったのは青年期の彼の規則正しい独学生活だった。

 27歳になった頃、ホッファーは「残りの人生をどう過ごすか」を考えるためにお金を貯めて一年間の休暇をとる。そしてやはり毎日のように図書館へ通い、独学の日々を過ごす。しかし休みが残りわずかになった頃ホッファーは自殺を考え始める。残りたった十年あまりの人生を、これまでのように労働と図書館での孤独な勉学に費やすことに嫌気がさしたのだ。どうせ何をやったって自分に成し遂げられることなど一つもない。ホッファーは薬局でシュウ酸を買い、ある日曜日の夜に一本のユーカリの木のそばで自殺を決行する。しかし水に溶かしたシュウ酸を飲み込んだ瞬間になって、彼は自分が本当には死にたいと思ってはいなかったことに気づく。口の中に飲み込んだものを吐き出して街に戻ったホッファーは、ある決心をする。

食事をとると、一本の道---どこへ行くのか何をもたらすのかもわからない、曲がりくねった終わりのない道としての人生という考えが、再び頭に浮かんできた。これこそ、いままで思いもよらなかった、都市労働者の死んだような日常生活に代わるものだ。町から町へと続く曲がりくねった道に出なければならない。それぞれの町には特徴があり目新しく、それぞれが最高の町だと主張して、チャンスを与えてくれるだろう。私は、それをすべて利用し、決して後悔しないだろう。

同上

 それから後、鬱屈した一介の都市労働者だったホッファーは、季節労働に従事しながらアメリカ中を旅する生活に入る。「私は自殺しなかった。だがその日曜日、労働者は死に、放浪者が誕生したのである」。後年、ホッファーは長い放浪生活を経て、39歳から65歳まで沖仲仕として働き、その間に数冊の著書を出し、大学で教職にも就き、40歳で終わると思っていた人生を結局80歳過ぎまで堪能した。今日の大学で教授になるための手段として肉体労働者を経る人間はまずいないか、いたとしても極めて少ないだろう。ホッファーの人生は、28歳の頃の自殺未遂によって、予期せぬ方向へと動き出し、この世に二人といない個性的な航路を描いていった。それは事前の計画によって描き出せるものではない。誤解を恐れず言えば、いろいろなものを打ち捨ててしまった挙句に自らの思いのままに生き抜いていった結果の一つなのである。そしてその引き金となったのは、やはり「死」だった。

生と死の両建て


 これまで極限的な状況で死線をくぐり抜ける冒険家や登山家たちの言葉を元に、「死」に触れることによって実際に極めてユニークな生を生きた二人の歴史的人物の生涯を見てきた。ここまで記してみて思うのは、人間は意外と死が好きな生き物なのではないかということである。もちろんその「好き」という気持ちの中には愛情が100%詰まっているなどということは毛頭なく、ほかに恐怖、憎悪、絶望、安楽といった種々様々な感情が混沌と充満している。忌々しくも魅力的、恐ろしくも美しい、苦しくも快い……両極の感情を呼び起こすからこそ飲まれてしまう渦が、死の中にはある。 たとえば死は、痛く苦しいものであるという負のイメージと共に、生きることにまつわるあらゆる苦難を無化してしまうというジョーカー的側面を持っている。考え方によっては、私が死んだ時には世界を認識する主体が消えてしまうのだから、それは世界そのものが消滅してしまうのと同じことなのだと言うこともできる。そのため我々は人生に思い詰まったり何か途方もない苦境に立たされた時、「ま、どうせ死ぬからいっか」などと自分に言い聞かせて思い切った決断をしたり、その苦境からさっさと逃亡したりすることができるのである。この時、日常的には忌避されていたはずの死が一時的にではあるが我々の人生の舞台上に躍り出てくる。そしてひっきりなしに攻めてくるライフイベントを乗り越えることに疲れ切って消耗した我々の自信や生命力を、この上なく逆説的な方法によってではあるが、一挙に拡充してくれる。

 自分がいつか死ぬ時のことを考えるのは、生物にとっては過剰な行為だ。自分が息を引き取る時にどんな感情を抱いているのかなんてどうせ分からないのだし、死んだ後には意識が失くなるのだからあれこれ思い煩うことはどことなく滑稽な行為にも思える。そんなことよりも今日や明日の飯が欲しい。周りの人間に認められたい。快適な生活をいつまでも享受したい。生の外にある概念を捨て去った時に人間が考えるのはおおよそそんなところだろう。一体いつどこで訪れるかも分からない瞬間よりも、今自分が立っている時空からほど近いものに関心が向くのは当然だ。

 それでも古今東西の表現者たち、あるいは時に私のような小市民がふとした時に死について考えるのは、それが実際に生ける者たちの論理で運営されている世界とは全く異質の思考を促すからだろう。現世利益(信仰の結果が自らが生きている間において報われること。あるいは自分が生きている間だけ良ければ良いという思想)が前景化してしまった世界で死について考えることは、後世に何を残してこの世を旅立てるかということを考えるきっかけになりうる。また、ただ生きるだけなら日常を利便性と安全性で包みこんでしまえば良いのだが、「善く生きる」という視点で考えた時にこれまで享受していた何不自由のない生活になぜか不自由を感じ始め、仕事なり私生活なりで何らかの「死ぬかもしれない旅」に出る人もいる。

 反面、死について考えることがある種の逃避になることもある。自堕落な生活をしている人の一部は、しばしば怠惰や自制心の欠如を自殺願望や恒常的な憂鬱に恣意的に変換して自分を偽っている。そして「俺(私)は長生きするつもりないから」と口癖のように言いながら(自分に言い聞かせながら)味の異様に濃い食べ物とアルコール度数の高い酒に入り浸り、ひっきりなしにタバコを吸ったりする。前述したように、良きにつけ悪しきにつけ全ての物事とそれに対する感情を無化してしまうのが死の特徴である。

 こうして考えると、連綿と続く日常の中に「死」という劇薬を放り込んだ時、人間の思考は建設的にも刹那的にも大きく揺れ動くことがわかる。それをコントロールできるかどうかは人それぞれだが、人間は霞だけ食っていては生きていけないし、暖かいスープと毛布だけで幸せになれるほど単純でもない。結局のところ安全と健康をどのように維持するかという生の論理と、そこから飛翔した先にある死の論理を両建てで考え続けるということが重要なのだろう。

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