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枝を使って宇宙を創る

 近所の公園を散歩していると、公衆便所の裏で、小さな男の子が木の枝を使って何やら「バシューッ!」とか「ドカーンッ!」って言いながら独り遊びに興じているのを見た。その夢中になりようは、まさしく一心不乱そのもので、どうやら周りに人がいて、さらにその中の一人がじいっとこちらを凝視しているのも気にならない様子。傍目には、少年が振り回している枝は、どこからどうみても、何の変哲もない枝そのものなのだが、少年の頭の中には、無限の宇宙空間が広がっていて、そこで飛び交う幾千の戦闘機(つまり枝)が壮大なスペクタクルを繰り広げていることは疑う余地もなかった。

 僕はその光景を見て、懐かしいような恥ずかしいような、何とも形容しがたい感傷に一瞬捕われた。と、いうのも僕の小さい頃にも、そのような極めて個人的で秘密主義的な一人遊びをたくさん作っては夢中になって興じていたからだ。なんだか懐かしいので、思い出し放題に紹介する。

(1)デュエマ戦記(自分の部屋)
 小学校の頃にむちゃくちゃ流行ったカードゲーム「デュエルマスターズ」のカードを使った戦争ごっこである。このゲームで使われるカードは、大きく「火文明」「水文明」「光文明」「闇文明」「自然文明」の5つに分かれている。それぞれの文明で、「クリーチャー」「呪文」と、大きく2つに大別されるカードがあって、「クリーチャー」はモンスター、「呪文」は特殊効果カードみたいなものである。クリーチャーの中には「ダブルアタッカー」「トリプルアタッカー」という高い攻撃力を持った者がいて、そいつらがこの戦争ごっこでは将校や将軍クラスになった。普通のアタッカーは歩兵あるいは足軽。あと、ガードナーっていう防御特化のクリーチャーがいて、そいつらは衛兵である。火と水と自然は、それぞれ活火山と、海底都市、森林で栄える文明という設定だったのだが、光と闇は、現世の文明ではなく、天界と冥界を統治する守護天使・堕天使たちという中二病設定にしていた。贔屓にしていたのは光文明で、この戦争ごっこはいつも、火・水・自然が天下を争っていた現世に、突如として闇文明が侵攻開始→巨悪の出現に、火・水・自然が結託→しかし、闇文明の勢力の前に絶体絶命→最後の最後に光文明が助太刀して一気に形成逆転というストーリーを辿っていた。個人的には、水文明のクリーチャー、とりわけダブル・アタッカーなどの強カードではないクリーチャーの造形が気に入っていたので、普通一匹殺してからすぐに殺られてしまうシングル・アタッカーの中で、唯一水文明のクリーチャーだけは、4〜5匹殺してからの感動的な死に場面を演出に盛り込んでいた。毎回やっていた。クリーチャーたちも「またか…」と思っていただろう。一番キライだったのは火と自然で、こいつらは最初に滅亡寸前まで追いやっていた。特に自然は弱そうだったし、本当にすぐに敗戦パターンだった。デュエマを真摯にやりこんでいる人たちからすれば、とんでもない遊びだが、今思うと、ずいぶんキャッキャと遊んでいたなあ。と懐かしくなる。

(2)一人ペナントレース(実家の駐車場)
 小学校の頃の僕は野球少年だったのだが、あいにく小学校二年生の頃から学習塾に通わされていたので、一緒に草野球をやる友達も時間もなかった。時々、誘われても皆が6〜7時ぐらいまで遊んでいるのに、僕だけ4時に帰って塾に通わなくちゃいけなかったから、そのうち誘われなくなった。なによりも、下手くそだった。それで、小学4年生ぐらいから実家の駐車場で一人で壁打ちをして気を紛らわせていたのだが、そのうちバットも振りたくなった。しかし、素振りはつまらないし、バッティングセンターは自転車で1時間ぐらい漕いでやっと行ける場所にあったから、困っていた。やっぱり実際に打たなきゃ意味がない。そこで苦心の末に編み出したのが「一人ペナントレース」だった。まず、使う道具は1)100均で売っているプラスチックバット、2)新聞紙をガムテープでぐるぐる巻きにした自作ボール。場所は実家の駐車場。僕の実家は、一階に会社が入っていたということもあり、駐車場がずいぶん広かった。車を6〜7台停めれるほどのスペースがあり、一台分ごとに白線で区切られていた。普通、野球というスポーツはピッチャーとキャッチャーと野手がいなければ成立しない。だが、僕はあくまで打ちたいだけだったので、とりあえず自分で宙に放ったボールを自分で打つということにした。しかし、打ち放たれたボールが「ヒット」なのか「ゴロ」「フライ」なのか、それとも「ホームラン」なのかを決める基準がなければ面白くない。そこで僕が目をつけたのがこの白線だった。以下、具体的なルールである。

1.まず、バッターの位置を一本目の白線の外に決める。

2.そこからボールを打つ。もう思いっきり打つ。

3.打ち放たれたボールの着地した地点をしっかりと見ておく。打った場所から白線三本目以内ならば、「ゴロ」か「フライ」。4本目ならば「シングルヒット」。5本目ならば「ツーベースヒット」、6本目より向こうは「ホームラン」。

こうして、それなりに完成されたルールを、僕は勝手に作ったのである。困ったのは、僕が熱烈な中日ドラゴンズのファンだったってことと、そのドラゴンズの選手に、勝手に自分を選手登録して出してしまったことだ。ドラゴンズ以外のチーム同士の試合の時は、それなりにフェアに遊んでいたのだが、ドラゴンズと他チームとの対戦になると、結果はもうすごいことになった。八百長とかそんなレベルではなく、身動きできないノーガードの一般人を、戦闘服に身を包んだ軍人が全力で殴りまくるみたいな感じになった。二回終了時点で「29-0」みたいな展開が毎回繰り広げられていた。特に、「4番・ピッチャー 荒野鯰」の打順が周ってきたときには、「空振り」「ゴロ」「フライ」はなかったことにされて、「ホームラン」と「ツーベースヒット」を打ちまくった。ちなみに、脳内設定では「荒野鯰」は愛工大名電の野球部でエースとして春夏合わせて6連覇を成し遂げ、もちろんドラフト1位、年俸1500万円に契約金1億でドラゴンズに入団したスーパールーキーなのだった。そして、入団一年目から「荒野鯰」は前代未聞の活躍を重ね、年俸は1億2億3億と上がっていき、ついに8年目でFA権を行使してメジャーリーグへと行ってしまうというバカ盛り天丼ストーリー設定になった。

(3)一人かくれんぼ(ユニクロ店内)
 小学校の頃、よくおふくろに連れられて名古屋市内のユニクロへ行っていた。服には今も昔も興味があんまりないのだが、ではなぜついていっていたかと言うと、「一人かくれんぼ」をするためである。この遊びは簡単だ。まず、セーターとか、スーツとか、とにかくたくさんの上着類がハンガーにかけて吊られているコーナーに行く。そして、それらの上着をかき分けてその中の空間に潜り込むのである。ちょうど服がカーテンみたいになって、子供一人だったらラクラク隠れてしまえるぐらいのスペースになっている。その狭い空間が僕の即興の秘密基地だった。おろしたてのセーターの肌触りが妙に気持ちよくて、僕はその中にずっといた。時々、他のお客さんが服を手にとって触ろうとした時に偶然奥に隠れていた僕を見つけてしまい、「ヒャッ」と言葉にならない叫びをあげたりした。気分としては、「トイ・ストーリー」に出てくるグリーン・アーミーメンを真似ていた。彼らはおもちゃ達の偵察部隊として、鉢植えやソファーの下に隠れ、人間側の動向を把握してはウディに無線で知らせるのである。僕は、「トイ・ストーリー」の最初の方で、植木鉢の中から彼らが人間を偵察する場面が妙に好きだった。しかし、案の定というか、僕の編み出したこの一人かくれんぼは、そのうちユニクロの店員さんたちによって暴かれてしまい、おふくろからキツイお叱りを受けて禁止されてしまった。

(4)釣り
 これは、今も一番の趣味である。最初に釣りをしたのは、三才の時。親父に連れて行ってもらった。小学校時代は、夏休みになると、百均で竹竿を買い、毎週末近所の公園の池に釣りに行った。そこで釣れるのは毎回ブルーギルやタナゴ、フナ、スジエビだったが、仲間内で雷魚(ライギョ。最大1mにもなる巨大な魚。蛇のような模様を持ち、ずいぶん可愛い目をしている。キモカワカッコイイ。)もいるらしいと噂になってからは、ネズミやカエルを模したルアーを持ってほぼ毎日通っていた。結局、ライギョは釣れなかったのだが、仲間の一人が網で捕獲したという話を聞き、ションベン撒き散らしながら見せてもらいにいった記憶がある。阿部夏丸という童話作家がいて、川釣り・川遊びを題材にした物語をたくさん書いているのだが、それらの作品はかなり愛読していた。今でも思いだす。あんまり一緒に遊んでくれる友達がいなかったこともあり、魚たちには、友情にも似た親密さを勝手に感じている。

以上が、僕が小さい頃によく遊んでいた一人遊びの代表例たちである。小学校を出た後、僕は一人蒲郡市の全寮制の学校に入った。そこで、野球部に入り、同時に釣りにも本腰を入れてハマり始めた。しかし、「甲子園に行くんだ」と張り切っていた野球ではすぐに落ちこぼれ、百均の竿で満足していた釣りでは、道具にたくさんのお金をつぎ込むようになった。僕の背丈が伸び、声質が変わるにつれ、子供の頃あれだけ自由に、工夫を重ねて作り出していた「遊び」は、先人たちが作り出した定型的なルールの元でいつのまにか抹殺されていった。生きていく上で起こる一切は、大抵コインの裏表のようなもので、「獲得」の人類史がそっくりそのまま「略奪」の人類史に置き換えることができるように、人間の「成熟」はそのまま何かの「喪失」に繋がっている。僕は、今日公園で見かけたあの少年の中に、躍動するような生の翼を見出したのだが、それは他でもない、僕がどこかに置き忘れてきてしまったもののようにも思えるのである。

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