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自分の力で産んだ

(2008年9月のmixiより)

アクティブバース、ナチュラルバース、自然出産、という言葉などがあるが、
私の定義は、自分の本能、(野生的な)自分のからだの中からの力と、赤ん坊の出るタイミングがうまく行くお産をそう定義している。

多くの助産師の方々や、産科医と、お産の現場でエディケーター、ドューラー、コーディネーターとして仕事をさせてもらってきたが、

お産が終わって、産んだご本人が、「自分の力で産んだ」とおっしゃったときは、
そっとにんまりとできる。(仕事としてうまくいったと思える。)

この、「自分でとか、自力で」とかが出ると、子育てをする上で、母としてかなりたくましく、自立した強さを感じ取れる。


ところが、この時に、立会いをしていた子どもの父親が「二人で産んだ気がします」「生みの苦しみを味わいました」などと、
話していたりすると、
ちょっと心配になる。

この理由は長くなるので、いずれ別の機会に書きたいと思いますが、
どうしてかは想像してみてください。


しかし、私の知る限りでは、子供にとっては、残念ながらこのような場合は離婚となってしまうケースが多かった。


立会いをした子供の父親が、あるいは外で待っていた父親が、
「大変そうだったが、ただぎゅ-っとつかまれるくらいのことしか出来なくて、何もしてやれなかった。本当に大変なものなんだと思った。」等、
話した場合は、その後、子育てを一緒にやっていけているカップルが多い。

なぜだと思いますか!?

女性と男性では違うと思いますが、考えを膨らませてみてください。


でも、決して立会い出産が、いい、悪いということを言いたいのではありません。


立会いが良いかしない方がいいのかは、相性、性格等もありますが、
初産と経産、要求度とそれに応える需要度、ポジション、男の側が知らなければいけないことなどとが密接に係わってきます。


 その時に、ドューラー、コーディネーターがどういう役割、動きをするかが、力の見せ所(もちろん、肉体的な力もありますがヽ(^o^)丿)
となるのだ。
 もっとも、いなくても生まれるものは産まれるのだが、
この父親が立会いのときこそ、ドューラーやチャイルドバースコーディネーターがいた方が良いと思うことが多々ある。

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