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支援の現場の実情~現状の児童虐待対策の最大の問題点~

 ここ最近、仕事の方が忙しくてなかなか頭を整理できずにいたのですが、児童虐待と子どもの権利の問題に関して、先日、改めてじっくり考える機会が得られたので、皆さんにもここにお伝えさせていただきます。

 世間で注目される「児童虐待」案件は、ひどい身体的虐待により死に至ったケース等、かなりセンセーショナルな事件が多く、「なぜ、助けられなかったのか」という点が特に取り沙汰されます。特に、役所や児童相談所が関わっていたケースだと、その対応に不備がなかったのか、ということがまず検証の対象となり、「なぜ大切な子どもの命が失われてしまったのか」という視点から、様々な分析が行われます。

 こどもの命はこどものもの。それが親の手によって絶たれてしまうということはあってはならないことであり、何よりも「命が守られる」ことが虐待対策の中心に据えられるのは当然のことです。

 ……が、私が現場にいて常に感じる違和感は、その結果、「命には別条はない」となると、途端に支援の手が緩められてしまうこと。


 現場の職員の手は足りず、限られた時間の中で重症度の高いケースから対応していくとなると、どうしても「まだ大丈夫そう」というケースは放置されがちになるのが、支援の現場の実情です。

 例えば、親によるネグレクト。ネグレクトも立派な虐待行為ですが、明らかに放置されていることがわかっていても、「親と定期的にコンタクトが取れている」とか「子どもに対する愛情はある」といった背景があると「だからまだ大丈夫」という判断をされがちで、場合によってはケースとして終結されてしまうことすらあるのです。
 これは、明らかに「現場の感覚麻痺」だと私は常々感じています。
 では、「その状況の渦中に置き去りにされているこどもの気持ち」は、そのまま放置でいいんですか?「命さえ続いていればいい」ということなんですか? と。

 こどもは無力です。自分から声を上げることは難しい。でも大人は、「こどもの方から直接、声をあげて訴えてくれれば動けるんだけど」等と簡単に言います。そして、勇気を出して声をあげたとしても、上記のような「まだ大丈夫」という大人の事情による「勝手な判断」によって、その状況の中に放置されてしまったりします。良い支援者にあたるかどうかも運次第、対応に当たる大人の都合や事情次第、というのがある意味、日本の虐待対策の現状なのです。

 そういう子ども達は、無力感や絶望感の中で、日々、傷を負いながら生き続けることになります。
 そういった中で育っていくこどもはどうなるか。日々、緊張を強いられる環境の中で生き延びていくためには、心を凍らせるくらいしか術がないため、自分の感情に鍵をかけ、自分の気持ちを素直に吐露することができなくなります。そう、つまり、「こどもから声をあげること」というのは、色んな意味で、非常に難しいことなのです。

 先日、東京弁護士会で、少年事件や子どもに関する人権問題に積極的に関わっていらっしゃる、馬場望先生の講演を聴く機会があったのですが、そこで先生が関わった子の言葉としてあげられていた言葉が、ずっしりと心に響きました。

「大人がしたいと思う支援はたくさんしてもらったけれど、あなたはどうしたい?と聞かれたことはなかった」

 これは非常に重い言葉です。支援の現場では「親の支援」がメインとなり、大人の都合や考えですべてを決めてしまうことが多い。そして、子ども自身の意思や気持ちを聞こうとする支援者はとても少ない。
 また、子どもの方も、いきなり「どうしたいの?」と聞かれても、うまく答えられないことの方が多いでしょう。そういう意味でも、常にこどもの気持ちにアンテナを張って、「いつでも聴くよ」という姿勢と態度を支援者側が意識して示し続けることが大切だと思うのですが、そういう人って、支援の現場にはなかなかいないな、と感じています。
 
 なので、研修の最後に馬場先生にこの質問をぶつけてみました。
「結局、子どもを救えるかどうかは、支援者の力量によるところが大きいのではないか」と。

「本当に、支援にうまく乗れた子は幸運で、支援に乗れるか乗れないかは運次第というのが今の現実なのだと思うが、我々大人にできることは、いかにその“幸運率”をあげていくかということだと思う」
 これがその回答でした。
 
 ここでちょっと、こどもに関する法律的概念についても触れておこうと思います。
  
 令和4年の児童福祉法の改正(令和6年4月施行)においては、
「児童相談所等は一時保護や施設入所等の措置をとる際には、児童の最善の利益を考慮するとともに、児童の意見聴取等の措置を講じる」ことが定められました。
 平成28年改正の児童福祉法の中でも、
「児童の年齢及び発達の程度に応じて、その意見が尊重され、その最善の利益が優先して考慮され、心身ともに健やかに育成されるよう努めなければならない」と既に謳われていましたが、、更に一歩進んで、「子どもの意見をちゃんと聴いて決めなさい」ということが強く示されたわけです。

 ここで、特に児童相談所の方々などに、しっかりと意識してほしい点が2つあります。まずは、きちんと子どもに向き合って、子どもの声を聴く姿勢を持つ、ということ。そして、それにあたっては「子どもはうまく気持ちを言えないものだ」という認識を常に持っておく、ということ。
 「子どもが帰りたいと言った」→「だから家に戻しましょう」という単純な判断をしてしまうのでは、単に「聞いた」だけで、しっかりと「聴いた」ことにはなりませんし、「児童の最善の利益」を考慮することにもなっていません。
「児童の年齢及び発達の程度に応じて、その意見が尊重され…」という部分を肝に銘じておいてください。これは「その子その子の年齢や発達状況にきちんと寄り添って聴きなさいよ」ということですから…。小さい子どもなどは「やっぱりママのところに帰りたい」と言うのが当たり前ですからね。

 子どもの権利に関する機運が高まっている今が、固着した概念に凝り固まって何もできずにいる、既存の児相を改革するチャンスではないかと思っています。私も“幸運率”を上げるために、声をあげていきたいという思いを新たにしています。


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