見出し画像

思春期の暴走

ちょっと大人の階段を登った私は、その後も変わらず中学校も塾も通った。
塾では、海空先生を見るとドキドキと心のムズムズがあったけど。
目が合うと、海空先生はニコッと微笑んでくれた。
中学校では、仲の良い男の子と勉強そっちのけで恋愛の話をよくしていた。

「稀琳さ、この前の日曜日に、塾の先生とデートしたんだろ?
 ハタチ超えた男が何もしないってのは、無いと思うんだよな~
 おまえ、月曜の朝から機嫌が良かったじゃん。
 もしかしてバージン捧げちゃったのか?」

ニヤニヤしながら聞いてくる。
私はキスしたことを白状した。
その子には、先を越されたと悔しがられた。
別に競争していたわけではないが、思春期の中学3年生はアホとしか言いようがなかった。
別の友だちの情報で、海空先生の大学の学祭が11月初旬にあることを知った。
「稀琳、彼女ヅラして大学に遊びに行っちゃえよ!」
「それは絶対に無理だから!
 あそこ国立大学でさ、学部も多いしキャンパスがメッチャ広いんだよ。
 その中から探すの大変だって!」
「確か“工学部”を探せば、簡単な気がするぜ!」
「そうなの?
 ちょっと考えてみるわ・・・」

とりあえず、いつも一緒に下校する女友達に、学祭に一緒に行って欲しいとお願いしたら、快諾してくれた。

ファーストキスから1週間後の日曜、いつも聴いているFM番組のコーナーで、好きな人に告白するというものがあった。
当時はメールなんてなく、FAXでメッセージを送るシステム。
私は海空先生への思いを投稿した。
もちろん名前は伏せて、イニシャルで。
キスしてくれたことが本当に嬉しかったことを書いた。
偶然にも、そのメッセージは読まれてた。
翌日の塾の授業後に海空先生と会話はなく、ものすごく怖い表情で睨まれた。
初めてのことで、とても怖くなって急いで帰宅した。
もし学祭へ行って会ってしまったら、もっと怒られる気がして、その夜は眠れなかった、

その翌日、学祭へ一緒に行ってくれる約束をしていた女友達に、学祭へ行けなくなったと謝った。
女友達は不思議がったが、「稀琳は勉強で忙しいんだからしょうがないね~」と理由は聞かないでいてくれた。

そこから数日し、また差出人のない手紙が届いた。
宛先の文字を見て海空先生からだと気が付いた。
恐々開封すると、怒りの内容が記載されていた。


稀琳へ
 先日、ラジオを友人が聴いていて
 あなたの投稿内容を教えてくれました。
 なぜ、私たちのことを放送に流すのですか?
 迷惑です。
 もうあなたには、付き合えません。
 塾でも、授業以外のことは
 話しかけてこないでください。
 謝罪の手紙も必要ないので、
 私のことは放っておいてください。
                   海空


自分のしたことで、海空先生に迷惑をかけてしまった。
思春期の暴走としか思えない。
本当に情けないとともに、海空先生に嫌われたことが苦しかった。

後日、あの放送自体を友人ではなく、海空先生本人が聴いていたのではないかと思った。
本人には確認できずじまいだけど。
それに、やっぱり付き合っている人がいたのではないか、とも思った。
私の中でどうしても、
 海空先生の彼女になりたい
 海空先生だけの女になりたい
と思う気持ちが強くなった。
でも、授業の内容以外で声をかけるのは、高校受験が終わるまで止めようと決心したのでした。

これは1992年10月末から11月初旬のエピソード。
11月中旬に中学校で、受験前の三者面談があった。
やはり“海の見える高校”は偏差値がギリギリだから、もっとランクを落とした高校の受験を勧められた。
しかし、どうしても入りたい部活があると言って押し通した。
担任には、入学後に苦労するぞって心配されたが、海の見える高校を受験することになった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?