中学3年の春から夏休みのこと
中学3年生は、学校行事もいろいろ盛りだくさんで、高校受験も平行して決めることもいっぱいだった。
塾での海空先生の態度はいつもと変わらずで、授業終わりには女の子たち数人がいつも海空先生の周りにいた。
『来るもの拒まず』のスタンスは崩していないように見えた。
私は、いつも忙しすぎる生活のなかでも、海空先生への気持ちは継続していた。
美術部でイラストを描くことが得意な友達に、ニュアンスを伝えただけで海空先生そっくりのイラストを描いてくれたので、それを御守り代わりにしていた。
体育祭、修学旅行、1学期の期末試験が終わったところで塾では模試があった。
珍しいことに試験監督が海空先生だった。
【ドキドキしてないで模試に集中!】と何度も念じながら受験した。
この模試の結果で、3年生は夏期講習のクラス分けされることになっていた。
幸い、ちょっとだけ成績が良くなり、真ん中のレベルのクラスになった。
海空先生の授業を受けられるクラスで、嬉しかった。
夏期講習の初日の授業の前後に、常勤の講師との面談で志望校の聞き取りがあった。
私の志望校は、海が見える高校。
海沿いにいくつか高校があったが、その中でも1番偏差値が低い高校を志望すると伝えた。
面談をしてくれた副室長には、
「今のままじゃ無理だよ」
と鼻で笑われた。
ものすごく悔しかった記憶が残っている。
海空先生の授業後、海空先生に久しぶりに声をかけた。
面談で言われたこと、悔しかったことを伝えたら
「稀琳は頑張りやさんなんだから、
夏休み中に頑張ればいいんだよ!
わからない問題は、先生たちにちゃんと聞きに来ることだよ。
先生たちも頑張るからさ!」
と、頭をポンポンとしてくれて、優しい笑顔で励ましてくれた。
心の中がフワッと温かくなった気がした。
これは1992年7月末のエピソード。
夏休みは志望校受験のために必死に勉強しました。
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