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最悪な誕生日

フラれた辛さを抱えたまま3月に突入。
私のBirthday月間でもあり、今までだったら楽しく過ごせていたのに、この年は失意のドン底と言うものを味わっていた。
またレベル選考試験の結果、新中学3年生のクラスは最低レベルとなった。
親には事あるごとに、『なぜ勉強しないんだ?!』と言われ続けた。
塾では最底辺クラスでも、中学校では上位50番までには入っていた。(当時、学年250人以上いました)
 
海空先生は、3月以降も別教室への異動もなく、私の通う教室で継続となった。
ただ、大学4年と言うことで、卒業論文の研究があるとかで授業数が少なくなっていた。
まぁ、フラれたばかりで週1回姿を見ることすら辛かったので不幸中の幸いと思うようにしていた。
それなのに春期講習は、最底辺クラスの担当が海空先生になってしまった。(補講コースは免れた私)
初日、気まずいったらありゃしない。
それを察したのか授業終わりに、急いで帰ろうと教室を出ようとしたら呼び止められた。
手招きされるので、そばまで行くと
「稀琳、あのことは気にしないで勉強に集中しろよ」
耳もとで囁く海空先生。
それって反則でしょ~
一生懸命、海空先生への【大好き】って気持ちを忘れようとしている私に、囁き攻撃。
高鳴る鼓動をおさえつつ
「ウン、受験生だからね!」
と答えて走って逃げたのでした。
もちろん、フラれても好きな人~ってことですね。

これは1992年3月のエピソード。
私が14歳になった頃です。

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