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子ども③の妊娠経過とトラブル

予定より早く、第3子を妊娠した私。
仕事は新型インフルエンザを懸念して、職場の方から2009年8月末で退職を勧められた。
私と同じくらいに妊娠していた看護師(パート)さんと、事務の方と私の3人に声がかかった。
私は出血してしまい、安静を言い渡されたところだったため退職を受け入れた。

第3子は、妊娠中のトラブルがかなり多かった。
不正出血が初期に3回もあり、流産するかもと言われた。
そして出血がおさまったら、胎児頸部浮腫(NT=Nuchal translucency)を指摘された。
受診していた産婦人科は、近所で不妊治療が有名なクリニックだった。
その日は院長の診察だった。
「NTがあると、染色体異常や心臓病の赤ちゃんが産まれてくるから、
 上のお子さんたちを考えたら下ろす(中絶する)方が良いですね。」

初耳なのでビックリしていると
「どうしても産むと言うなら、羊水検査を受けるか、
 他の病院で出産してください。
 ウチでは面倒がみれませんから。」

と続ける。
私が黙っていると
「来週、またエコーをするので、
 それまでにご家族で相談して来てください」

と診察が終わってしまった。

私は、堕胎する気は一切無かった。
その日の夜、家族会議を開いた。
父も佳哉も、出産に賛成してくれた。
万一、染色体異常などを持って産まれても、家族全員でサポートしようと言う結論に至った。

翌週、産婦人科を受診し、出産することが希望だと伝えた。
すると院長は、
「ウチでは出産できませんから、他の病院へ紹介します。」
で、診察終了。
8月末で退職した市立総合病院へ転院することとなった。
主治医は、子ども②の時と同じだったので、いろいろと話を聞いてくださった。
当時31歳だった私を見て、羊水検査は必要ないと仰ってくださった。

その後の妊娠経過は、とりあえず順調だった。
しかし2009年11月、子ども①の小学校の授業参観で、新型インフルエンザに罹患した。
薬はいろいろ調べて処方してもらい、重症化は免れた。
その後、2010年正月明けに佳哉が急性胃腸炎で嘔吐しすぎて入院。
毒義母が43歳に甲斐甲斐しく付き添ってくれた。
私は楽チンでした。
最後は臨月に入った2010年2月、子ども②の卵のアレルギーが改善し、魚卵を試してみてと言われていた。
たまたま家族全員で和食レストランで夕飯を食べていた時に、イクラを口にしてしまった子ども②。
たった5粒で唇が紫色になり、呼吸が辛そうで、アナフィラキシーでした。
とても怖かったです。
すぐに小児専門病院に連絡し、救急受診で点滴で回復できました。

これは2009年夏~2010年2月頃のエピソード。
私の妊娠中は、家族がいろいろやらかしてくれました。
よく流産・早産しなかったと思います。

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