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【No.0】奥尻島で経験したキセキの10日間

北海道の最西端にある島「奥尻島」をご存知だろうか。
秘境とされる地で、この夏、キセキの10日間を過ごした。

幾度となく、心が揺さぶられ、感情が溢れ出し、時には考えさせられ、とにかくインプットし続けた10日間を、爆発させたくて書き始めたのがこの日記。

奥尻島で経験した数々の出来事を、1日ずつ振り返っていこうと思う。

はじめに

大学生最後の夏休み、村おこしNPO法人ECOFFの活動を通して、北海道の奥尻島で実施されたボランティアに参加した。

人手不足で農業や漁業を手伝って欲しいのではなく、奥尻島の魅力を知り、周りの人に伝えるという内容の活動。
過去に参加したことがあるのは、災害復興支援や学習支援、建造物の修復など、ボランティアと聞いてイメージしやすいものばかり。想像のできない新しい形の活動に、抱く思いは大きな期待だった。

場所は、奥尻島の西部に位置する神威脇(かむいわき)地区。北海道の中でも限界集落とされている場所で、島の人口約2400人に対し、神威脇は20人ほど。目の前には奥尻ブルーの名が付く青い海、後ろには緑が生い茂る山々がある、自然と隣り合わせの海沿いの街だ。

Heart Land Ferryの島情報より引用。
写真左。赤い印の辺りが活動拠点。

今回は、ゲストハウスimacocoを運営するゆうとさんご家族島民の皆さんのサポートのもと、シェアハウスcocokaraに滞在し、10人の仲間と共に活動を実施した。

きっかけ

参加を決めた理由は、考え出したらキリがない。

まずは、新型コロナウイルスの影響で、何もできずにいたのが自分の中で限界だったからだ。
大学生の間は長期休みごとに海外に行くと決めていたが、1年生の夏休みに行ったきり、思うようにやりたいことができずにいた。(そのときは、フランス郊外の村で、住民の方々が共同で使うパンやピザを焼く釜戸の修復活動に参加。世界7カ国から集まった12人の仲間と、3週間共同生活しながら活動した。)

ちなみに、ミャンマーに家を建てに行くサークル活動、韓国の学生と現地でプレゼンをし合い、交流をするゼミの計画、ベトナムで自分たちが考えた企画を実施するビジネスプログラムへの参加予定があった。
だが、ほとんどが実施できずに終了した。

そんな中、海外に行けないのなら、日本でできることはないかと考える。
これまでは、遠く離れた海外に興味を持ち、現地でしかできないことに魅力を感じていた。だが、コロナ禍で身近なところに目を向けるようになり、日本でも何かできるはずと切り替えた。

あとは、自然に触れたい、島に行きたいという気持ちがあった。
来年から働き始める環境とは、真逆の場所でしか得られないものがあると考えていたのも理由のひとつだ。

このように、とにかく動き出したかった。
昨今の状況で行動制限があるとわかっていても、自由な時間は今しかないと思い、自分の行動欲を抑えるのが限界だった。

そこで、「日本 島 ボランティア」の言葉を検索。一番上に出てきたのがECOFFのホームページだ。
様々な島のプログラムがある中、目に入ったのが奥尻島。なぜかわからないが、自分はここに行く必然性を直感的に感じた。島に呼ばれているような、誰かに引き寄せられているような不思議な感覚…
この活動に参加できないのなら、他の島ボランティアに参加しようとは思わないほどだった。

当初はキャンセル待ちの状態。たが、自分は参加できると信じていた。
参加が確定していないのに、予定表には"奥尻島ボランティア"の文字を記入し、友人からの遊びの誘いには予定があると断っていた。今振り返ると、どこからの自信だったのだろう…(笑)
思いが届いたのか、空きが出たとの連絡が届き、参加希望と即返信。参加確定の連絡が来るまでは、さすがに祈る思いだった。

この通り、活動に参加できたこと自体が、キセキの始まりだったと考える。
コロナの流行がなければ、日本で何かしようとはならなかったし、キャンセル待ち中に空きが出ていなければ、自分は奥尻島に行けていない。今回出逢った人たちとも逢うことはなく、生涯、奥尻島に行くこともなかったと思う。

ここまでが奥尻島行きが決まるまでの出来事。
冒頭部分だけで長くなってしまったが、ここからが始まり。

0日目

はじめに、タイトルが"0日目"である経緯を説明する。
奥尻島へのアクセスは飛行機かフェリーのどちらかだが、台風の影響でフェリー組の3人が1日遅れて到着することに。本格的な活動を開始するのは全員が揃ってからとなったため、1日目ではなく"0日目"とした。

自分が仲間たちに出逢ったのは、函館空港の搭乗口だった。
参加者は、日本全国から集まった同世代の人たちで、全員が初対面。きっとECOFFの参加者だろうと思っていても、誰も話し出さない空気感からスタートした。最初は不安だったが、同じ目的の人たちだとわかると徐々に打ち解けていく。

ついに出発のときが…いざ!奥尻島へ!

小型のプロペラ機に揺られながら、青い海を上空から眺める。徐々に奥尻島へ近づくのが自分の目で確認でき、胸が高鳴った。

奥尻空港に降り立ったときに目にした、見渡す限り何もない景色、ようやく辿り着いたという興奮は今でもはっきりと覚えている。

到着直後の気持ちいい天気。天候にも恵まれた。

到着後、20分以上歩いて向かったのが、地元の食堂「潮騒」
これが奥尻島に来て初めての食事。ちょっぴり緊張していた自分にとって、手作りの冷やしラーメンは、身に染みる美味しさだった。

北海道では冷やしラーメン=冷やし中華だと初めて知る。

食事を終え、スーパー「ホーマックニコット」へ。
生活用品も取り揃えるホームセンターのような場所だ。
ここの駐車場は、自分にとって生涯忘れることのない思い出の地。それは、今回お世話になる世話人のゆうとさんと出逢った場所だからである。到着を待ち侘びていたかのような明るい歓迎の言葉を受け、握手を交わす。

車に乗り込み、生活スペースとなるシェアハウスcocokaraに移動。
着いて早々掃除が始まり、バケツリレーのように2階から布団を運んで寝床の準備をした。布団の位置の話し合い、誰がどこに寝るかのじゃんけん…宿泊学習を思い出しワクワクしていた。

滞在の準備を一通り終え、みんなで海を見に浜辺に行く。その距離、なんと徒歩1分。

迫力のある波飛沫。水面に映る太陽の光が輝いていた。

円になって座り、軽めに自己紹介をする。
聞きたいことは山ほどあったが、全員揃ってからの楽しみにとっておくことにした。

夕方、imacocoから徒歩3分の場所にある「神威脇温泉」へ。
北海道の離島では珍しい源泉掛け流しの貴重な温泉に浸かり、体も心も温まった。

その後、海岸で夕日を眺める。
台風で荒れた波の音、波が引くときに石同士が当たるカタカタという音が鳴り響く環境で見た、奥尻島での初めての夕日。忘れられない景色だ。

初日から見られた絶景の夕日。
奥尻島に滞在中ほぼ毎日見ることができた。

cocokaraに戻り、夕食の準備を開始。
食事は全て自炊だったが、料理担当が決まっていない最初の夕食は全員で作った。
大学生7人、台所に横一列に並び調理をする。広い台所なのに渋滞が発生。(笑)

食後、翌日の朝ご飯の料理担当を決めるために、ババ抜き大会を開催。これがかなり盛り上がった。

初日から外で満点の星空を見ることもでき、流れ星も何個か見られた。みんなでコンクリートの上に寝そべり、数少ない街灯と月の光を手で隠しながら星を観察。いつか全員でこの星空を見上げたいと思いながら、夜空を堪能する。

1日の最後に必ずミーティングがあった。その日の感想をひとりずつ述べるのだが、この時間が結構楽しみだった。
何を感じ、思い、考え、学んだか…同じ活動をして同じ言葉を聞いているはずなのに、全員が違った感想を述べるからだ。

次の日の予定もミーティングのときに発表された。
毎回、明日はどんな活動をするのかドキドキしていたが、日々変化する天候に合わせて活動内容を考えていたゆうとさんは、奥尻島で経験してほしいことを10日間のうちに実施できるか、違ったドキドキを感じていたに違いない。

【No.1】奥尻島で経験したキセキの10日間 に続く…

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