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幸せの先送り
何かを未来に先送りするということを平気な顔でやってしまうのだが、それは未来の自分に何かを託すことになっていて、そして未来の自分もその責任を背負いきれず、結局、未来にかけた希望というものが成仏されずに浮遊してしまうということが往々にしてある。
これは何かやりたいことについても、仕事についても言える話で、思い立った瞬間にその作業に着手してしまうことが一番得策だとわかっていても、一歩目が出ない。まああと5分後にやろう、明日やろう、来週でいいや、そして気づけば何をやりたかったのか忘れてしまう。
こんな文章、若手起業家に見せたら一発で殺されるだろうな。社会人一年目の時、私は今を生きていないんだということを痛いほど思い知った。会社で働くことに嫌気がさし、なぜ自分はこんなことをしていなくてはいけないのだと1人で愚痴を吐くばかり。一丁前にやりたいなと思うことはいくつもあったのだけれど、今は仕事で忙しいからできないかと、どれだけの希望をポイ捨てしてきたかわからない。
でも会社を1年以内に辞めるということにも違和感があって、それは恐怖だったのかもしれないけれど、会社を辞めるという決断にも一歩を踏み出すことができなかった。
そこで私が作り上げたのが、ブックカフェを作るという夢だった。この夢が嘘だったとは全く思わないし、ブックカフェを作りたいと思う気持ちは今も少なからず残っているのだけれど、私は、今を生きるための支柱として、この夢を建立したのだなあと感じてしまった。
お金を貯めて、ブックカフェを開く。だから今はこの会社で働かなくてはならない。この忙しい会社で働く理由を、将来の夢に託していた。将来のために、今頑張る。そこまでやりたくないことでも、将来にやりたいことをやるために、今は踏ん張る時だ。そう考えて、将来の夢を、今を楽しまない言い訳にしていた自分を、情けないと思うしかなかった。
将来の夢があることは素晴らしいし、それは美しいことだけど、それは今を楽しまない理由にはならない。
やりたいことややらなければいけないことを、先送りにしてしまう癖があると、自分が幸せであることも先送りにしてしまうのだな。私は何か作業を目の前にすると、その作業に着手した時の工数やめんどくささに目を向けて、ああめんどくさいな、と一歩目を躊躇してしまう。
でも、始めればなんとかなるものなのだ。それはみんなわかっていると思う。料理だって、少し先の時間を想像して、お皿洗いに億劫さを感じ、躊躇してしまう。でも初めてみたら楽しいし、お皿洗いだって、1個目のお皿を洗い始めたら他のお皿も気づいたら洗い終わっている。
これはよく言われていることだけれど、一歩目なんてどんな質でもいいのだな。とにかく一歩踏み出してみること。やりたいこと、やらなければならないことに、手をつけてみる。
先送りにしないことを覚えたら、徐々に今という時間への信頼が湧いてくる。今を信頼できないと、将来に期待をかけすぎて、幸せすらも先送りにしてしまう。私たちは今この瞬間を生きることしかできないのに。