愛を、信じて何が悪い。
虐待の記憶、過去のトラウマ。
それはもう、自分の中に潜む闇だった。
家族に会うたびに
自分なりに整理したはずの引き出しはこじ開けられて
ぐちゃぐちゃにされるような気分だった。
頭では分かっている、離れなくちゃと。
既に捨てる覚悟は出来ている、でも私は孤独が何より怖かった。
歪んだ愛、それしか知らない私、だからそれでも良いと縋り付いていたかった。
私はずっと間違えて生きてきたのかもしれない。
歪んだ愛に、いろいろな間違いを学んできた。
そこにあるはずの無い愛を求めてきた。
綺麗な答えが出るはずも無い問いに、何度も何度も心をすり減らしてきた。
でも
大人になってから、こんな私でも本物の愛に出会うことが出来た。
側にいるだけで心が温かくなったり、嬉しいと笑ったり、涙が止まらなくなったり、子供みたいに楽しかった。
心が、身体が、素直になった。
だから私にも、これが本物の愛だってことが、ちゃんとわかった。
愛なんてない、愛は続かないと言う、間違いに気付くこともできた。
そして今きっと
人生で初めて本物の孤独と戦ってる。
偽物の歪んだ愛の喪失になんか、到底及ばないくらい深い悲しみにも出会った。
でもそれは優しくて、温かい。
冷たくなんかなくて、意地らしくも無い。
いつも側で微笑み、見守っていてくれているような気にもなれる。
愛ってそういうもの。
奪うでもなく、貰うものでもない。
傷だらけでも諦めなかった私だから出会えた愛。
自分から探し求め、諦めなければ、ちゃんとこうして感じられるのものだと知った。
愛を持っている人はきっといる。
だから私は、誰かの愛を奪ったり、踏み潰したりするような人たちじゃなくて
自分の愛を大切に生きる人と、一緒に生きていきたい。
彼の姿見て、愛を知って、私は学んだ。
今もまだ身体中に歪んだ世界は棲みついてる。
そう簡単に気付けないくらい自然で、当たり前に。
大切なものを傷つけたり、自分を犠牲にするたびに、私はひとつ気づく。
目の前で大切な人が傷ついて、悲しんでる。
私のせいで。
私もその度心が踏み躙られる。
いつだって、傷つけられるより、大切な人を傷つける方がどんなことよりも苦しい。
それでも、お互いの愛がすり減るまで、それを繰り返してしまう。
まだまだ、こんな愚かな私です。
「ごめんね」は届かない。いや、言わない。
このプロセスは私にとって意味がある。
こんなこと、面と向かって言えやしないけど、私にもちゃんと罰は下っている。
愛は時として無情でなければいけない。
お別れの選択肢。それ一択。
思えばその少し前から、いつも別れを覚悟していた気がする。
これが私の現実。
今はまだ、ありがとうだなんて言えない。
でも、いつか私が、
過去に与えられた現実から貰った、歪んだ世界を全て削ぎ落として生きられる日が来たとしたら、
傷つけた者たちへ感謝できるだろうか、
もう、「ありがとう」を悲しまずに言えるように。
私は、そう在りたいと思う。
歪んだ愛に縋りついて、本物の愛を見失ってしまうような私にはもう戻らない。
これは私のずるい誓いかもしれないし、とても理解し難いプロセスだと思う。
これからも、傷つけたり迷惑かけたりするかもしれないけど、でもちゃんと愛に辿り着くから、こんな私を許して欲しい。
小さな頃の家族間には、多くの闇が潜んでいると思う。
なかなか人には理解され難い問題でもあるし、大人になって気づくことの方がよっぽど多い。
愛(家族)の問題は、先の見えないトンネルのようで、怖くて仕方ないけど、ひとつひとつ綺麗にして自分で自分らしく光を灯すしかないんだと思う。
だからこそ、大人になって、自由になったとしたらさ
愛は、ヘトヘトになるまで経験するべき!
思いっきりね。
失くしても、受け入れて、また手に入れて、
それでも愛を守り続けたいと望んでるなら、
傷つけたり、傷ついたり、それで良いんじゃないかなって思う。
それで良いって思うことが大事かも。
大人になるための、たくさんのヒントを得られるから。
愛から生まれるものは、決して美しい感情ばかりではないよ。
でも、否定したりするのは勿体無い。
愛は後悔するものじゃない、愛の罪なんて存在しないと思うから。
だって、愛してみることで、私の生きる人生の展望の雲は少し晴れて、より豊かになったから。
今となっては、信じてみようと願って側に居てくれたのだとわかる。
愛は、もっと深いところで、呼吸を重ねてる。
形にできないものがたくさんある。
そうして互いに響かせながら、愛を紡いで生きたくれた。
その時間を私は忘れない。
人生捨てたもんじゃないんだよ。
だから、これからも愛を探して生きていこう。
思いっきり自分を愛して。
笑顔で!思いっきり!豊かになる日まで!
LOVE AND PEACE