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社会は楽しい、人と関わるのは楽しい
おはようございます(*^^*)
今日も朝活noteをしています。
今日は私の中で変人な自分という捉え方との決着がつきそうなので、つらつらと書いていこうかなと思います。
突然ですが、皆さんは変人と言われたことはありますか?周りから浮いていたり、周りと話が通じず、周りの意図も分からないことがありますか?
私はよくあります( ´ ▽ ` )
必死に順序立てて話しても、この重要性が何故か伝わらない。逆に相手が重要としていることがこちらも分からない。そういうことが、子供の頃からずっとありました。子供の世界は狭いです。今はインターネットに限定すれば広いですが、それだって人が見せたい情報ばかりで偏っていて意外と狭いですし、実生活も学校や地域に縛られているぶん狭くなります。
なにより、経験が少ないぶん見える世界も狭いんです。
そうなると、狭い世界に適応できない自分は異端者か、人より劣っていると思うようになるのは自然なことです。
それを証明するように、いじめも受けました。
だから、ずっと劣等感を抱えてきました。
私に出来ることは何もなく、私は世界で一番愚かな存在なんだと。
今思えば、自分を過小評価している面もあったんだと思います。
それに気づけたのは、実生活で評価してくださった方がいたり、noteではコメントで頭がいいと言っていただけたり、言語能力が高いと指摘していただけたことが大きいです。
本当にありがとうございます。
皆さんが送ってくれたメッセージに後押ししていただけたような気持ちです。
居る場所や関わる人が変わることによって、こんなにも評価していただけるんですね。
皆さんの言葉を取り入れて改めて過去を振り返ると、学生時代は浮いていましたが、それは私が言語能力が高くて周囲と見ているものが違ったからなんだな、と素直に思うことができました。
十何年も苦しんでいた、周囲と違う自分という劣等感を変えることが出来たのは、色々な人が私に接してくれたからだと思います。
もちろん、劣等感から抜け出せた理由のなかには(おこがましいかもしれませんが)自分の努力もあると思います。沢山の文章を読んで知識を増やして、試行錯誤しながら書いたり、内省による積み重ねもありました。でも、そればっかりしていて、人と関わることから逃げていたら、今のように評価してもらえることもなく、劣等感から抜け出すことも出来なかったはずです。
子供のころに夢見ていたような苦しまない理想郷はありませんでしたが、色々な人がいて、色々な価値観が存在することの意味を心の底から理解できた気がします。大袈裟な表現に思われるかもしれませんが、この経験ができたことで、今までの苦しみが報われたような気持ちになれました。
本当に、生きていて良かったです。
もう、昔のように死にたいとは思いません。
改めて、ありがとうございます。
これからも、よろしくお願いしますm(_ _)m