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何故精神疾患患者への風当たりは強い?



世の中の精神疾患患者に対する理解度は如何程なのだろう。

皆さんはふと思ったことはありませんか。
〝所謂精神疾患と呼ばれる部類の病を患う人への風当たりが強いな〟と。

私自身、鬱病になる前から少し気になってはいました。
きっと精神疾患患者への風当たりが強いのは理解しようとすることを拒む人が多いから。

精神疾患患者への風当たりの強さが気になっていた理由。

上部で「自身が鬱病になる前から気になっていた」と記述しましたが、そう思ったきっかけについてお話します。

私は両親、兄、妹2人、私含め6人家族でした。
そしてそのうち、母は重度の精神疾患を持ち、自殺未遂を幾度となく繰り返していました。
兄も精神疾患を患い、度重なる自傷行為を繰り返し、そんな兄を見て母が発狂する。
そんな生活でした。

あとから聞いた話、あの時父も鬱になりかけだったそうです。

でも、表立って目立っていたのは母のみ。
母に対する同じ団地に住む人達の目線には、様々な感情が見え隠れしていて気持ちが悪かったのを覚えています。

精神疾患患者は同情は求めていない。

あの時私はまだ小学生。
小学校の卒業式の日、家に帰ったら引越しの準備をし、玄関で待っている母と兄と末妹がいました。

いずれ離婚すると理解はしていたものの号泣はしました。「今まで育ててくれてありがとうございました」と涙ながらに母への感謝を伝えたことを今でも鮮明に思い出します。

でもあの瞬間まで、私は1度たりともご近所さん達の〝憐れみの視線〟を忘れたことはありませんでした。

外に出れば母は、育児も家事も手伝ってくれる理想のイクメンがいるのに甘えて精神疾患になったダメな母親というレッテルが貼られていて、

憐れみ、見下し、同情、優越感に浸る、そんな知りたくもない目線を嫌という程目にしました。

まだそんな不快な目線に名前の付けようもなく、そこまでインターネットが普及しまくっていた訳でもない時代だったので、モヤモヤしながら母の後ろを歩き、周りにガン飛ばしながら歩いていました🤣
今考えれば生意気な子供です。
母が悪く思われていたのは父だけではなく私にも!原因があったのでしょうね。

ただ、あの視線が、母を余計に苦しめていたのではないかなと、鬱病になった今の私は思います。

慈悲の籠った目の同情と軽蔑を含んだ目の同情はいとも簡単に感じ取れる。

いくら「そんなこと思ってないよぉ〜」と言われても、目は口ほどに物を言う。
もしかしたら本当に悪気は無いのかもしれない。自覚はしていないのかもしれない。
でもそれなら尚更タチが悪い。
小学生でも感じとれるほど目で人を貶すのが私が見てきた〝大人〟でした。

母が病んだ理由は、父と、祖父母、私の存在。そして周りの目線だったのだろうと安易に想像ができます。

精神疾患はなりたくてなる訳じゃない。

わかって頂けるよう、敢えて自身の経験談を絡めて記述してきました。
私が言いたいのはただ一つ。👓

誰がなりたくて精神疾患なんて厄介なもん選ぶんだよ。

です☹️

精神疾患はなりたくてなる人はいません。

経緯は色々あることでしょう。
正直、こんな性格悪くて図太いのに?!と思うひとが精神疾患をわずっていることもある。
でもなった経緯を聞くと案外納得できたりする。
そしてたまに「図太くならざるおえなかった」人に出会う。

人生は上手くいかないことの連続で、
乗り越えられない壁なんて腐るほどある。

こういうこと言うと必ずどのSNSであろうが「乗り越えられない壁なんてない」だの「努力の仕方間違えてるだけじゃない?」だの「少しは努力したら?」だの偉そうに貴様は殿様か何かか?と思うようなコメントを丁寧にくださる方も沢山いらっしゃいますが、そもそも乗り越えられるものなら先が見えるはずでしょう。

仮に山登りをするとして、未開拓の山に登りますか?安全性が保証されていない、下山道もない、ある程度慣れた人しか安全にいけない山に、道具どころか適した服装も知らない人間が行きますか?
だいたいの人は行かないはずです。
楽しんで山を登ることが出来るのは何かあっても誰かが助けてくれる、もしくはそれ相応の知識を持ってる、慣れてるから。

でも山なんて昇ったことない人の前に死ぬほど大きい山が立ち塞がったら登らないと前に進めない訳ですから、登るしかないわけです。

その途中で下山しようにも出来ないから休んでる人に向かって、気合いが足りない、登り方が違う、道具が揃ってないのに。これは常識だろ。なんて言うのはそれこそ〝非常識〟です。

わかって欲しいなんて言わないからせめて否定はしないで。

例え同じ病名でも、訴える症状はそれぞれ違うはず。
同じ精神病を抱える人どうしですら分かり合うことは出来ないのでしょう。
だから分かってくれとは言いません。
でも否定はしないでください。
そして見下す為の同情もしないでください。

きっと分からない人には分からないでしょう。でも、人の視線に敏感で、人の顔色を伺って生きてる人間には分かりやすすぎるんです。
だから、出来ることなら回数を減らすだけでもいい。
これ以上追い詰める言葉を発したり、見つめたりしないで…。

いつか貴方の悪気のない軽蔑を含んだその目が、誰かを殺してしまう日が訪れるかもしれない。

言葉も目線も。積み重なれば凶器となりうるもの。
擦り傷も、同じ場所に幾度となくつけば深い傷になる。傷跡も残るでしょう。
治すことが馬鹿馬鹿しくて嫌になるほど大きな怪我になってしまう前に。
人殺しになってしまう前に…。
気づいてください。

人の苦しみは、誰にもバカにする権利はありません。例え貴方が創世神であろうです。

理解ができないのならせめてなにもせず放置していてください。気にしないでください。
あなたが周りから責められようと知ったこっちゃありません。
自分の世間体を守るために苦しみ続けてる人を利用しないで。




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