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葬送のフリーレンに学ぶ「偽物」と「本物」とは何かということ

今日も今日とて
葬送のフリーレンが好きすぎて
鬼ローテーション中。

フランメ先生…大好きです(涙)


前回ヒンメルが
レプリカの勇者の剣で
魔王を討ち取ったのが
あまりにかっこよくて
noteに書いたんですが…
気がついたことがあったから
書き留めておきたい。

ヒンメルどころか
ハイターも偽物じゃね???
って思った話。

勇者ヒンメルは
行商人からもらったレプリカの剣で
冒険を重ねていく。
仲間のハイターから
「偽物の剣しか持ってないから
偽物の勇者にしかなれない」とはっぱをかけられ
それならばと本物の剣が鎮座する村に
伝説の勇者の剣を抜きに行くものの
なんと「抜けず」に(!?)
ここだけ見るとまごうことなき
「偽物の勇者」である。

ハイターがあまりにも
ナチュラルな酒好きすぎて
気づいてなかったんだけど…
よく考えたらハイターも
「偽物の僧侶」である。
戒律を厳守し
清貧で品行方正な僧侶がいれば
それこそ本物であろうが。
毎日毎日飲酒して
毎日毎日戒律違反である。
堂々としたもんである。

加えてフリーレンも
師匠のフランメをして
「魔法使いの風上にもおけない」
「魔法そのものを愚弄する」
「卑怯者は私たちだけでいい」
と言わしめる。
偽物の魔法使いというイメージが
我々人間にはピンと来づらいが
魔力を制限するなどということは
本物の魔法使いとはいえないほど
ものすごい卑怯者な事らしい。
フリーレンも、師匠公認?の
到底本物の魔法使いとは言えない
「偽物の魔法使い」である。

アイゼンは…わからない。
もうちょっとアイゼンの情報が
ほしいところ…
私の能力じゃまだうまく
気づけていないのだろうけれども、
どうなのだろうか。。
戦士と言えば勇気あるイメージだが
アイゼンは怖くて震えてる
そのあたりの描写が
ヒントなのかも。
自由落下程度なら死なない
脅威の丈夫さとかもヒントなのかも。。


これで他のメンバーを考えてみると

シュタルクにしても、
ずっと父親から
「失敗作」と言われ続けて
故郷の村から「逃げて」
育ての師匠からも「逃げて」いる。
本物の戦士と呼ぶにはあまりにも
頼りない経歴の持ち主さんである。

フェルンをみても、
戦災孤児で命を捨てるところを
ハイターにとめられ、
その恩に報いたい一心で
魔法の練習に打ち込むものの
魔法が好きかと問われれば
「ほどほど」でしかない魔法使いだ。

なんというか、
この物語のメインキャラクターには
「選ばれし」「真の」「本物の」
登場人物は存在しない。


でも思えば、


「本物の」人物とはいったい何だろう。


私が「本物の勇者」とイメージするとき
それは「父親が勇者」で血筋が本物だとか、
小さな頃から勇者を夢見る精神が本物だとか、
血の滲むような鍛錬や強さが本物だとか、
色んなイメージがあるだろうけど
とにかく一途でストレートであろう。

途中「あきらめた」とか「逃げた」とか
「ただダラダラ過ごしてる」とか
そういうのはNGなのである。
本物は凡人とは違うのである。

でも…
そんな人物そもそも実在する?
一度でも嘘ついたことないとか
そんなファンタジーな。
ヒトはさ、
嘘もたくさんつくし、
サボるし、
面倒くさいし、
逃げるし、
流されるし、
目的を見失うし、
それがふつう。
ふつうじゃないから本物なのである。

勇者の剣を管理する村で
勇者ヒンメルがそれを抜けなかったことを
人々が都合の悪い事実として
隠しているとフリーレンも知っている。

「本物」かどうか、
事実を捻じ曲げてまで
周りの人が勝手に評価している。

更に言えば、ヒンメルの旅立ちは
「偽物」だと他人から評価されたが
「本物」だと本人が思っていた。
つまり
「本物」かどうか、
本人が評価したのである。
そして本人の評価が正しかった。

本物も偽物も周りに好き勝手に評価される。
つまり
「本物」か「偽物」か
周りの人達による勝手な評価によって
簡単にひっくり返ってしまうものだ。


そんなものが本当か?
本当の評価とは何なのか??

他者による評価「本物」「偽物」が
いかに軽くて間違いやすくて
無責任でひっくり返りやすいものか。
考えさせられる。
そして私たちがイメージする「本物」が
本当に実在することを前提にしているのが
滑稽なほど「ありえない」もので、
だからこそ
登場人物にはそんなファンタジーな
「本物らしい」人生を送る人物が
ひとりもと言っていいほど登場しない。
そう言うことなのかもしれない。

作者が「本物の勇者」とは何かって
考えた結果、
本物とか偽物とかにそもそも
相対的で捏造上等な薄情な評価にすぎないと、
そんな薄っぺらい「本物」に
いかほどの価値があるのかと
そう思っての物語なのだとしたら
この「本物偽物観」ものすごく好き。

私のイメージする「本物」が
いかに妄想的で空想的で非現実的で
そんなものが
いかにもちゃんと存在するかのように
自分で勝手に思い込んでは
イメージ通りに出来ない自分のこと
必要以上に劣等感を覚えているのが
すごく滑稽に思えてくる。

そんな必要ないよ。
ふつうに悩み、
停滞して、怠けて、挫折して、
時間無駄にして、日々に追われ、
大切なもの見失ったり、疎かにしたり、
それで後悔したり、自暴自棄になったり、
ちっっともストレートにいかない
それが「偽物」なわけない。
ふつうの人たちこそ「本物」だと
言ってもらえている気がしてくる。

「本物」のイメージは、「完璧」に近い。
でも、完璧ではないからこそ
面白いし楽しい。

私の中のイメージで
完璧な自分が「本物」なのだとしたら
「いいじゃないか偽物の勇者で。」の
ヒンメルの精神で
今後とも「偽物」の自分で面白楽しく
生きていこうと思う。最高。

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