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偽物の勇者で行く

しつこく「葬送のフリーレン」
を鑑賞中である。最高。


しつこく観てて
改めて気がついたんだが、
勇者ヒンメル、

「本物の勇者じゃない」。


すごくない?

「勇者の剣が抜けなかった」

…そんなことあるだろうか。

え?いや。

あるのに?
「勇者の剣」が、
その世界観にちゃんと存在するのに?

なんと
結局抜けずの状態のまま
「いいじゃないか偽物の勇者のままで」
つって、本当に偽物の勇者のままで
魔王倒しちゃったヒンメル。
ありのまますぎる。
エルサもビックリ。
そんなことある…?

世界観的にそもそも
元々存在しないならわかる。

でも、あるのにあえての
「抜けなかった」んである。

しかも、存在すれば
物語の終盤にどうしても
伏線回収してスッキリしたくなる
もんである。
あのとき、
抜けなかった剣が
いま…そして魔王戦へ!!!(みたいな)

抜けなかったし、結局は抜かんのかーい。

美談になっちゃう勇者の姿は、
そのうち原型をとどめない。
現実世界でも起こりうることだ。
人は耳心地のいいことだけ聞き
信じたいものだけ信じて
自分の意にそぐわないというだけで
勝手に幻滅したり勝手に傷ついたりして
手のひら返しで批判したりする。
SNSの世の中で嫌と言うほどみられる。
フリーレンたちの世界において
SNSはなさそうだが
人々が「語る」勇者物語こそが
SNSのようなものかもしれない。
フリーレンはこのような
事実無根の「伝説」を
否定しようとも肯定しようとも
思ってなさそうである。
静観、あるいは「理解」という態度に
みえる。
神格化する人々の心理、
それ自体を否定しようとは思ってなさそう。
シュタルクの「憧れ」を傷つけるのを
気にしている様子だった。

「神格化」を招くのは
ヒトのこころの弱さだとして、
その弱さを嫌悪するでもなく
むしろその弱さに寄り添うように
何も言わずにいた。
…結局シュタルクたちに
言っちゃったんだけど笑
でも、
人間という存在に対する
押し付けがましくない優しさを感じる。
風通しのいいさりげなさがまた
良いのである。


んじゃ誰が抜いたんだろう。
抜いたっていうか、刺した?
もともと持ってた人は
誰なんだろう。
南の勇者さんか、、、
それか雪山の変態モンクさんか、、、

誰の剣だったんだろう。
そして誰が抜くんだろう。

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