今年の抱負
長女の共通試験が迫ってきた。
娘には、目に見える焦りはなく、良い意味でfunny、受験生としては緊張感の欠如が気になるが、今ここが最善である。
暮らしに変化はないが、私の中には変化があった。
昨年後半から、自分の殻を破るべく行動、思考していたようで、(やってる最中は焦って何かを成し遂げようとしていた)ようやく答えが出た。
私の思いや考えを夫に投げかけてみたり、てらたまさんの手帳講座セミナーを体験してみたり、両親にはなんていわれるかと思ってでも聞いてくれるからいろいろ話して、中村敦彦さんのボイシーもきいて、なんだかすこし残念ではあるけれど、自分が何者なのかがすこし分かった。腹落ちする部分もあった。
今ここ結論:私は社会の小さい歯車であり、そのなかでやりたいことを淡々とやればいいということ。
つらい状況もあるが、人は変えられないこと。ほかかんじたことエトセトラ・・・。
やりたいこと⇒空間づくりにいそしむ
感情にフォーカスしたところ、何かに夢中になりたいようだ
何かはなんでもいいみたい。そして、ホントの悩みどころは友達がほしいということ。
母と話しをしていてそういわれた。以前なら友達がいないと言われて傷ついてしまう私だった。
そうそう、それそれと私の埋まらないなにかを見つけてもらい、安堵した。
娘たちによく話す、大事な柱のはなしに
成功の三本柱である、お金、時間、整理整頓、は影響し合っていて、一つでもおこたればバランスが取れない。さがしものをしている間はコレらをうまく回せず、バランスを失う、そのため私はさがしものが大嫌い、というのがある(母の小言ステップ①)
が幸福は成功とはまた別のものであり、
金融資本、人的資本、社会資本からなり、つまりは自由、自己実現、共同体である。そのためこれらに自分の時間を投資し頑張れ(母小言➁)
四十をとうにすぎ、娘の進路をおもった一年前から、私は私ってなんだろうと今更ながら悩んで、理想もわからないまま、私を探し続けてた。
おいしい話、楽なはなしにのりかかりそうになりながら、どこか怖くて信用できなくて、あと、途中までかけよってっては、その寸前でやけに気が済んだりしていた。
自分の求めているものがそれではないと潜在的に感じ、その先の行動には及ばなかったもかなぁ。
看護師として仕事をするのはうんざり、そう思ってキョロキョロしてみたが、私にできることはい今のところなかった。
無理やり元に戻るでなく、少しはなれたところから自分を観察して、私の限界は今ここだわかった。
背伸びするでもなく、無理するでもなく、今自分で穏やかでいる。
成功すれば、幸福が手に入りそうだったけど、成功という成功を収めようとは感じていなくて。そういうのじゃないなぁ。
伴走者とまではいかないだろうが、ほんの少しの共有しあえる友達がいれば、穏やかさが広がりをもつ、自分の中心みたいなものがキリキリ痛くても、少しふぅ(*´Д`)とできる空間があると幸せだなぁ、そう思えた。
友だち、今繋がりのある人に声をかける、同期会に参加する、自分のことをしゃべる、これが今年の抱負です。
読んでいただいた方がいらっしゃれば、ここまで読んでくださってありがとうございます、本当にうれしいです。