がん闘病記#6 がん告知② 治療方針の決定
ここまで妊娠24週での大量出血、切迫早産での入院、子宮頚がんの疑いから大学病院に救急搬送された経緯までを書いてきました。
今日はその続きから。
執刀医となる教授に診察していただき、治療方針が決定します。
治療方針の決定
転院3日目。
教授が直々に診察してくださると言うことで、朝から婦人科に呼ばれる。
大学病院はさすが大きい総合病院なので、産科と婦人科が別になっており、私が入院しているのは産科。ただし、病状から当然婦人科を切っても切り離せず、赤ちゃんの成長度合いやお腹の張りの調整は産科で、病気の診察は婦人科で診てもらう。
教授の内診が終わり、向き合って座ったところで開口一番に告げられる。
「子宮の入口に大きな腫瘍があります。癌です。」
なんてパンチのある言葉だろう。
ここまでの経緯で分かってはいたが、躊躇なく「がん」と告げられたので、頭を後ろから殴られた気分になる。
がんの告知って、もっと家族とか呼んで一緒に聞いたりするのを想像してた‥
とはいえ、コロナがまだ蔓延してた時期。
入院中という身でもあるし、仕方ない。
先生からの説明は以下の通り
がんステージ1から2
腫瘍がかなり大きく見た目では隣接する組織に反り出している
隣接する組織に浸潤している場合はステージ2になるが、最終的には病理検査に出すまでわからない
ステージ2までなら手術、3以上は放射線と化学療法(抗がん剤治療)で対応
今回は広汎子宮全摘術といって、子宮、卵管、卵巣、リンパ節、基靱帯といった周辺組織まで摘出する術式をとる。
一般的には排尿障害やリンパ浮腫といった後遺症が懸念される
先に帝王切開をしてから手術を行うので、8時間の大手術になる
え‥
やっぱり子宮は取るのか‥
出来ればレーザー手術や、円錐切除術に留まりたかった。子宮に加えて卵巣や周辺組織も取るなんて、思ってたより全然悪い。
事前に勉強したがん情報サイトでは1番重い手術だった。まさかそれになるとは‥
ここで1番相談したかったことを聞いてみる。
妊娠34週まで待てないか
抗がん剤治療で手術を先延ばしに出来ないか
ここまで穏やかだった先生の口調が少し厳しくなる。
「子宮頸がん合併妊娠の場合、中には妊娠40週まで待つこともあるけど、あなたの腫瘍の大きさから、1ヶ月以内の手術がマスト。本来ならもっと早く治療すべき。ただ、今回はお子さんのこともある。タイミングは産科とも相談するけど、はっきり言って婦人科としては一刻も早く手術した方がいいくらい腫瘍が大きい。お子さんのことが心配だと思うけど、うちのNICUは腕も技術もあるから任せてもらえれば大丈夫。」
「抗がん剤治療は絶対に効くと言えないからお薦めできない。抗がん剤治療で妊娠継続期間を伸ばした成功例もあるけど、失敗した例は公表されてないだけで、自分としては推奨できない。」
そして最後にこう言ってくれた。
「手術であれば合併症もないし、この手術は自分が執刀する。今まで何十人も同じような手術をしているので安心して。」
この「何十人も同じ手術をしている」という言葉にとても安心した。
相談の余地なく話が進んでいくことに戸惑いつつ、ここまでブレなく言い切る先生を前に、この方に全てをお任せしようと決めた。
毎年の検査や初妊婦検診までクリアしながら、妊娠中期にここまで進行した癌が見つかるなんて自分くらいなのでは、と地獄に堕ちた気分だった心が少しだけ軽くなった。
CT検査
教授の診察の後、CT検査も実施。
CT検査は小量の放射線を浴びることに加えて、造影剤も投与されるため、妊娠中は避けた方がいいが、妊娠中期であることと、1回程度の検査であれば大丈夫とのこと。
赤ちゃんへの放射線を避けるため、お腹に大きなベルトを巻く。点滴を刺す要領で造影剤のルートを取り、いざ。
筒状の機械の中を何回か行ったり来たり。
技師の声かけに基づき息を大きく吐いたり吸ったり止めたりを繰り返す。
MRIと違って5-10分くらいで検査終了。
ちなみにこのCT検査は、治療終了後も、経過観測のため定期的に行うことになる。
このCTの結果は2日後に判明。
幸いにも他の組織や骨盤には転移してなかった。
(つまり、この時点ではステージ1)
こぼれ話 入院環境
PCR検査の結果が出るまでの間ということで、まさかの分娩室で一夜を過ごしたわけだが、翌日以降の環境もなかなかだった。
どうやら私は要管理患者という扱いなのだろう。
看護師さんがすぐに駆け付けられるように、ナースステーションの前の空間にベッドを並べて、カーテンで仕切られただけの空間が私の居場所だった。
一応、荷物を置くための棚は置かれているが、ベッドの横に椅子をギリギリ1つ置くくらいのスペースしかない。
戦争ものの映画に出てくる病院で兵士が並べられているベッドみたいだな・・
というのが初めの感想だった。
隣の会話は当然丸聞こえ。
さらに、分娩室が近いため、夜中も陣痛の悲鳴が聞こえてくる。
と同時に産声も聞こえてくる。
自分は陣痛の痛みを迎えることもないし、赤ちゃんの産声を聞くこともできないかもしれない。
そう思うと、毎晩泣けてしょうがなかった。
救急搬送で転院されてきたから、とりあえずここに運ばれたのかと思い、
看護師さんに「いつ大部屋に移れますか?」と聞き続けたものの、
結局ここで3週間過ごし、手術の日を迎えることになる。
ただ、手術1週間前に大量出血をし、輸血をすることとなるため、実際に要管理患者だったのは間違いない。
さて、今回はここまで!
お読みいただいた方ありがとうございました。
次回は、手術前までの入院期間の出来事と、手術前説明について書いていこうと思います。