テレグラフにいた #35
# 35
「街の真中に川が流れているのは、いくら汚濁の水といえどもいいものである」久坂葉子はそう書いていた。今、汚れてしまったのは川の水だけじゃない。ありとあらゆるフロウに埃が溜まり、煤汚れしている。誰も答えを知らないまま、ただただ飲み込んできてしまったのだ。嫌になる程、膨大な言葉とその意味を。
僕は塔の上から街を見下ろしていた。
どこかにあるはずの彼女と僕の姿を探して。薄墨色のアスファルトの道が弧を描きながらビルの谷間に飲み込まれていく。どこまでも続くように思える起伏のない埋立地。その合間を縫う運河と高速道路。どこかの学校の二十五メートルプールがステンドグラスの一枚のように青い光を放つ。その隣には夏色の芝のテニスコート、剥がされ瘡蓋のようになった工事現場……思えば、この街はいつだって未完のままだった。複製された住宅団地、複製された河川敷、複製された電柱、複製された緑地、複製された生活。高速道路が張り巡らされ、ベルトコンベアーのように一粒一粒の細胞を運んでいく。ホンダ、スズキ、トヨタ、日産……墓碑のように立ち並ぶビル、ビル、ビル。作られた分だけ壊されていく。壊された分だけ瘡蓋が増えていく。スクラップ・アンド・ビルド。
「どうしてこんなもの作っちまったんだろう?」真っ赤な夕陽に照らされたコンクリートの檻・東京。
「時間は有限なの? 無限なの?」
「君次第さ」
ふと、僕はあの五月の川の音を思い出した。彼らはどこから来て、どこへ向かうのだろう? 何もかもが物凄い速さで進んでいく。絶えず動き続けている。何匹もの猫が死んで、生まれている。変化に適応していくしかないのだ。ダーウィンもそう言ってる。
「こちら側と向こう側を繋ぐために僕は存在するんだ」遠くに見える橋がそう言った。
「どれくらい?」
「何がだい?」
「君はどれくらいの人を繋いだ?」
「そんなこと忘れたよ」
「君に繋げられないものはあるのかな?」
「ないね。原則的には」
「楽しいかい?」
「悪くないね」
「幸せかい?」
「さあね」
「夢はある?」
「わからない。でも、いつか崩れ落ちたいとは思っている」
すべての橋には詩情がある。例えそれが効率よく便宜的に何かを運び出し、何かを運び込むだけのものだったとしても。
「わたしは爆弾を抱えているのよ」いつだったか、ジーンはそう言った。酔っ払っていたせいか、楽しそうな笑みを浮かべて。それは悪戯っ子が自分の企みについて、こっそり耳打ちするような様子だった。彼女の顔は火照っていて、ウイスキーの香りがした。
(続く)
二千二十年四月十一日。
少し長い小説を公開します。
これから毎日更新して、多分五月が終わる頃に終わります。
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君は友の、澄み切った空気であり、孤独であり、パンであり、薬であるか。みずからを縛る鎖を解くことができなくても、友を解き放つことができる者は少なくない