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テレグラフにいた # 1

# 1
 ボリナス・アールビーをご存知だろうか?

 もしあなたが——例えば、未だ疾走をやめない時代遅れのビートニクなら、例えば、嘘とジョークを愛するフルクサスなら、例えば、二十三世紀からやって来たコスモポリタンなら、そして一晩中、携帯電話を手放せないような孤独な人間なら、彼のことを知っているかもしれない。十年代のある時期を駆け抜けた、つむじ風のようなあの男のことを。
 彼は唯一の芸術家だった。このくだらない世界を描き写すのではなく、こことは違う線の上にあるどこか別の世界を描くことのできる。人々の心のなんて事のない領域から熱狂を呼び出すことのできる。現実とも虚構とも異なる第三の世界を表すことのできる。唯一の絵描きだった。
 彼が他の偉大な芸術家と大きく異なっていた点が一つある。それは、彼の作品には実態がなかったということだ。彼の生み出した絵は画面の中で鑑賞され、画面の中で消費されていった。傷つけられるのも、賞賛されるのもみんな画面の中の出来事だった。

 もちろん、彼は存在した。テレグラフの丘でパレットに絵の具を広げ、真っ白なキャンバスに絵を描いた。脈打つその右手には絵の具が飛び散り、両の眼はカリフォルニアの眩い光を捕らえた。でも、彼の絵は額に収められことがない。ホワイト・キューブの壁に掛けられたことも、ニュー・ボンド・ストリートで無粋な金槌に叩かれたこともない。あれほど多くの人間が彼の絵に心を奪われたにも関わらず、その絵を間近に見た人間はあまりに少ない。あの手触りを、躍動感を、叫びを、誰も知らない。
 そして今、彼の作品は存在を失った。この世界のどこにも。すべては燃え、灰になった。だから正確に言えば、彼がこの世に残せたものは、屋上の床に飛び散った絵の具の跡と携帯電話のカメラに収められ圧縮された数メガバイトのJPEGファイルだけだったのかもしれない。インターネットの海に浮かぶJPEGファイル。無限に続くゼロとイチの並び。今となってはそれが彼を辿るすべてだ。だが、それさえももう海の藻屑となりつつある。時の流れはあまりに速い。世界は次々と新しいものを吐き出し、古くなったものを消化していく。もはや、彼を思い出す者は誰もいないだろう。時代の波に攫われ、彼は消えた。

 これはとても短く、ありきたりな物語だ。
 誰の心にも、こんな話は置かれているのだと僕は思う。もちろん、僕の心にも。
 僕たちは目眩がするほど長い時間をかけて芸術(スクラップ)を創造する。そして、さらに長い時間をかけてそれを粉々にし、最後にはまた取り戻そうとする。願わくば、彼のことを忘れずにいたい。彼が何処にいて、どんな風に生きていようともだ。


 追伸
 僕はこの物語を捧げるつもりだ。
 忘却の海を漂ういくつかのJPEGファイルと、そして、彼の遺灰に。

(続く)

二千二十年四月十一日。
少し長い小説を公開します。
これから毎日更新して、多分五月が終わる頃に終わります。


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シガツハジメ(小説・珈琲)
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