対話型鑑賞(その2)
選ぶとは、捨てること
上記は有名なだまし絵だ。
何がみえるだろうか。
答えは、婦人と老婆だ。
夫人の耳は、老婆の目と捉えることができる。
婦人と老婆を同時に認知することはできるだろうか。
私はできる気がしたのだが、同時に認知しているのではなく、実は認知の仕方をすばやく切り替えているとのことで、本当はできないそうだ。
婦人という見方をする(選ぶ)ことは、老婆という見方を捨てているということ。
物事を一度解釈すると、それ以外の選択肢を考える間も無く捨ててしまいがちだ。
もはや捨てていることにすら気づかない。
自分の意志を持つという意味で、自分の判断軸を決めて物事を白黒はっきりさせたいと、これまで思っていた。
そのぶん、捨ててきたものもあって、このまま無自覚に捨て続けていくと、自分の枠を狭める危うさがあることに気づいた。
だからこそ、自分が正解と思わずに問い続けて、他者視点を知って自分を広げていきたい。
複数の可能性を想起する
上記2作品のように、一緒にみているものですら人によって解釈が違うというのに、ましてみえていない物事についてコミュニケーションをとるのは至難の技だ。
ブラインドトークといって、アイマスクをした相手に対して、口頭で作品を説明するというワークを行なった。
そこで気づいたコミュニケーション(情報伝達)のポイントは、下記の通りだ。
・前提を伝える
・全体から、細部を伝える
・質問(確認)をする/質問の間をとる
たとえば、下記の説明をするとしよう。
・前提を伝える
→これは横長の写真です。
・全体から、細部を伝える
→くしが大きく映っていて、木製で茶色です。
・質問(確認)をする
→焼き鳥の串ですか?髪の毛をとかす櫛ですか?
→柄(え)のついたブラシですか?柄のないコームですか?
一番難しかったのは、質問をすること(問いを立てること)だ。
先ほどのだまし絵のように、『くしといえば、ブラシだ』などと決めつけてしまうと、質問自体が出てこないからである。
日常生活でアイマスクをした相手と話すことはないが、こちら側の状況を電話の相手に伝えるケースなどで活用できる。
同意は結果への賛同、合意は道のりへの納得
見開き3ページの漫画を読んで、それぞれ誰のセリフなのか?どういう人物で、この時はどういう感情なのか?全体としてどのようなストーリーなのか?、まず各自で考えてから、4〜5人チームで合意形成するというワークを行なった。
自分で考えてからチームで話しあったことで、自分の気づいていなかった視点を知るのは面白かった一方、満場一致の"正解"を導くことはできなかった。そのとき感じたのは悔しさではなく、解釈の違いを認め合ったうえで、皆で探究していくことのわくわく感だ。
チームで何かを決めるとき、道のりに納得がいくまで"合意形成"ができているか。安易な"同意形成"に陥っていないだろうか。
※その3はこちら。
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