そう、おっしゃる

 「ソーシャル」という言葉は日常茶飯事に聞くし、この文章を発信してるサービスって、ソーシャル・ネットワーキング・サービスなんだろうけど、いかんせん、「ソーシャル」に向いていない。
色々と「ソーシャル」に生きている人たちのことを雑誌やWebの記事で読んだりして、良いなあ。とか思うけど、ソーシャルに生きられないんだよなあ。元々、ひとりに慣れきってしまっていたので「寂しい」という感情もどこかに置いてきたまま。ソーシャルに向いていないということはある種、社会不適合者なんだろうけれど…。晩年のサリンジャーの生き方をしたいと思っていた頃もあったしなあ…。
 ソーシャル人間だったら、このご時世、なにかと生きていけると思う。しかし、そうじゃないけれど、そういう世界も知っている人間であることは少しつらい。そういう人たちはどうやって生きていけばいいんでしょうね。SNSからSOSを発信するだけしかできないんだよなー。

 合鴨って、アヒルと鴨(マガモ)との交雑交配種ということを今日、知りました。品種改良して、誕生したってことなのかな。そこに愛はあったのかな…。せめて、「愛かもしれない」と感じていて欲しい。
 かもめの鳴き声よりもきっと、やもめの泣き声のほうがかなしいだろう。SOSも発信できないくらいに。
 「人は人と別れて あとで何を想う 鳥は鳥と別れて 雲になる 雪になる」と、杉田かおるの鳥の詩の歌詞中にはある。鳥と人間は関係性が深いのかもしれない。だから、人は鳥人間コンテストに夢中になるのかもしれない。歌詞の真意は阿久悠さんのみぞ知る。

 なぜか、途中から鳥の話になってしまったけれど、人の生き方なんて、色とりどりに違いない。


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