グローバル子供の本音。
子供の将来のことを考えるとできればグローバルな環境で教育を受けさせてたい、習い事をさせたい、生活させたい、つまり「グローバル人材」に育て上げたいと考える親は多いのではないだろうか。
実際に多くの企業がグローバル人材の必要性を重んじ、現在進行形で就職活動中の私も「我が社は〜グローバル人材の育成に〜」などとよくセミナーなどで耳にする。
このグローバル人材という言葉はグーグルさんによると
「広い視野に立って培われる教養と専門性、異なる言語、文化、価値を乗り越えて関係を構築するためのコミュニケーション能力と協調性、新しい価値を創造する能力、次世代までも視野に入れた社会貢献の意識などを持った人間」
であるそうだ。
つまりこの場合のグローバル人材では、日本語のみならず様々な言語でのコミュ力が抜群でないといけない上に異なる価値観をもっている人たちをうまくまとめ上げながら次世代の育成についても考えられる能力が問われるているのである。
これは海外留学を1年したくらいではなかなか身につかない能力であり、やはり長期間の海外での教育またはそれに準じた環境で幼少期から過ごすことが必要になってくるのである。
だからこそ冒頭で述べたようにキッズに国際感覚を!とインターナショナルスクールに入れたいと考える親御さんも近年では多くなっているように思う。
しかしここで一つ聞きたい、
国際的な環境で育つ我が子供を支える器の広さはあなたにはあるだろうか。
例えばインターナショナルスクールやそれに準じた国際的な学校に入学させたのであれば子供はあなたの想像を超えるような環境の中、友情関係の中、世界の中で教育を受け、全く違う価値観をもって育っていく。
つまり親は子供が人生に迷っているとき・必要としているときに自分自身の偏見を捨てて子供の味方になることや、またはいけないことはどうしていけないのか、相手の生きている世界の立場に立って考え伝えること、自分が当たり前だと思っていることがそうではないのかもしれないという年の功的な考えを一旦置いといてコミュニケーションができる、またはそれ以上のことが求められるのである。
このように言葉にすると自分だったらできる、子供のためならできる。と思えるかもしれないがいざ自分の子供が例えば進学や就職活動で支えがどうしても必要なとき、自分の価値観や成功体験を全て置き捨てて親身に相談に乗ることができるだろうか、または自分の常識外のことを挑戦しようとしている子供の背中を本気で押してあげることができるだろうか。
私
ここで少し私情を挟むが自分はよく明るく社交的で、とにかくクレイジーな人間であるために私の親もきっとすごいんだろうね!とか、きっとすごく楽しい家族なんだね!と言われることが多いのであるが全くそんなことはない。
むしろ私と親との価値観や考え方が違いすぎてあまり干渉しないようにしている。弟とも同じ家に住みながらこの5年間で10分ほどしか会話をしていない。
もちろんお母さんは料理も上手で慣れない海外生活の中私と弟を育て上げたことは尊敬している。お父さんも仕事を一生懸命している多少のエロだがいいお父さんだ。ただ何か強い繋がりを感じられるかと言われたから正直精神的な繋がりは感じない。何故ならば頼らないからだ。あまりにも価値観や考え方が違いすぎて私は親に何かを相談をするという行為をしたことがほとんどない。大抵は自分で判断した結果を報告しては怒られ、説得または押し通す、金銭的なことが関わる場合であれば私が折れることがほとんどであった。
おそらく私の育った環境があまりにも違いすぎたからであると考える。周りの友達が学校のことを親に話していたり、自分の一番の理解者は親だからと言ってなんでもかんでも相談している話を聞いてなぜそんなことをするのか全く理解できずにいる。
自身は幼稚園から小学校2年生までアメリカのニューヨーク、そして小学校5年生から中学3年までドイツのデュッセルドルフで育った。
アメリカでは幼稚園から現地校に通い、ドイツではインターナショナルスクールで教育を受けた。もちろんいずれの学校も親が私の将来を思って入れてくれた。
まず幼少期から小学校低学年では英語での教育を受けていたことから日本語を少し忘れてしまい、私の親は慌てて私を日本語の補習校に入学させた。ここで日本語を話すということの問題はなんとか補えたものの、言語的にも"I"を文頭に置き、自分の意見を強く主張するような表現方法などは染み付いてしまい、しばし母親にもっと柔らかく話しなさいなどと注意を受けていた。(当時は周りはみんな主張しているのになぜそうしないといけないのか分かっていなかったが)
アメリカから帰国後、小学校2年生からは日本の区立の小学校に通い慣れてきたと思ったところで小学校5年生から泣く泣くドイツに転校した。ちなみに日本にいる間は一週間に一度英語の補習校に通っていた。ドイツでは約4ヶ月間日本人学校に通ったあと、インターナショナルスクールの8月入学に合わせまたもや泣く泣くインターナショナルスクールに転校した(させられた)。これからの度重なる転校の中で一番嫌であった。海外の日本人学校という絶妙に居心地の良い場所であったため、転校するのが嫌すぎ親に毎晩転校を取りやめてもらうように懇願していた。
しかしそんな願いも叶わず、8月の入学に合わせ転校しインターナショナルスクールで5年間を過ごした。このインターナショナルスクールでの生活が今の私の人格や考え方、視野に大きく関わった。授業でも部活でも自分自身からアピールなり伝えるなりしないと存在が認められない世界であり、逆に誰もやっていないような何か新しいことに挑戦すれば讃えられる。
主張をすればするほど褒められた。実際に授業も演劇の授業など自分自身を表現することを学ぶ授業や、美術では等身体のキャンバスに自分を表して入れさえすれば自由に描いて良い授業もあった。周りいた人もインターナショナルスクールであることから国籍は様々でありゴシップガールに登場するようにポピュラーガールズと言われるブロンド美人集団の派閥がいてそれに群がる男子たち、みたいな階級もあったけれども特にいじめなどもなく、様々な言語や価値観が飛び交う中で学んでいた。また、恋愛も多様であった。友達でももちろん、先生でも同性と結婚している人は少なくはなく、学校であんなことやこんなことをやっている噂も飛び交っていた。
そんな中で育った私が高校受験を機に日本に帰国したときに、つまり人生の判断をしなければいけないときに親との間に何か違和感のようなものを感じ始めた。
まず高校受験では慶應義塾大学の付属高校である湘南藤沢高校と、東京学芸大学付属高校などに合格した。ここで私は帰国子女が多く、大学受験の時間を課外活動などに使うことができる私立の湘南藤沢高校に片道2時間かけてでも入学がしたかった。しかし親はもちろん猛反対。都内の某有名公立高校を蹴るなど考えもしなかったのであろう。しかし私はなんどもプレゼンを重ねなんとかSFCへの入学を認めてもらえた。そしてその高校生活の中では部活や学生団体など多くの課外活動に挑戦し、高校三年生からは原宿でのアルバイトなども始めた。
しかしミーティングやアルバイトなどで少しでも帰りが遅くなり、自分が今課外活動で取り組んでいることを話しても「あなたを国立高校に入れてればこんな子にはならなかったのに」と言われてしまった。これを何度高校生活の間に言われたことだろうか。
結局何を話しても認めてもらえないし、分かってもらえないと悟り、自分の選択権が及ぶ範囲内のことは全て自分で判断し、結果だけを伝える必要があれば伝えるようになっていた。
大学に入り、自由度がましたことから自分の選択権が広がり色々と挑戦をした。そのぶん少しでも何か関わることがあると価値観のずれをより感じてしまう。
バイト先の友達を家に連れてきたときに、後から「なんでバイト先の人なんかと家に呼ぶほど仲良くなる必要があるのか?」と言われ、何とか繋がっていた細い糸がぷつんと切れた。なぜ友達を学歴で判断するのか!!!
そして今私は就職活動のことで親と大きな壁にぶち当たっている。
私は外資系の世界でも名の知れている金融コンサルタントの内定をもらっているが私の親は外資系なんかにと断固反対。なぜ外資系をそこまで批判するのかも理解できないし、何より言われたことが衝撃的だ
「お前は日本人だからと、お前みたいになんの能力もないやつが外資系に行ったところで自分が困るだけだ」と。
自分のやってきたことをあまり言っていなかったというのもあるが、そのように見られていたことに対してショックが大きすぎ、今この文章を夜な夜な認めることに至っている。
グローバル子供の本音。
違う環境の中で育った子供たちは親との小さなずれにも敏感になる。特に親という存在は子供を精神的にも支えるべきであると私は思っている。
グローバルな環境で子供を育てるというのはもし自分がそうでないのであれば全く異なる世界で生きさせるようなものだというものを理解してほしい。
大げさに言えばアマゾンのジャングルでナイル側の辺りで5年間住んだ後と前との価値観の違いを想像して見てほしい。
そんな子供たちは想像絶する行動に出るかもしれないし、意味のわからないことを言ってくるかもしれない。それに対してどう行動なり反応するのはそれぞれの親の自由であると思うがどうか自分の価値観からだけで否定するのはやめてあげてほしい。
グローバル子供たちも自分の世界の中で起こっていることを基準に考え、行動に至っているのである。その行動を後押しなり応援なりしてもらいたいから相談という行為を親という精神的繋がりの強い存在にしたいのに・・・。
今私は大学で異文化理解という授業を履修している。
つまり異文化の相互理解の手法や文化ごとに違いが生じる理由を学術的に研究しているのである。この授業を私は親にも受けさせたいと思った。
グローバル子供に育て上げたいという前にまずもって親の方が異文化の理解能力が必要なのではないのだろうか。
以上がいち、グローバル子供からの本音でした。
この記事執筆から1年、私の決断と進路、そして意思を執筆致しました。
是非覗いていってください!
https://note.mu/apricotty/n/nc083446d0261
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