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🍁最近の学び🍁短歌の世界

短歌やってみた

noteを歩いていたら、短歌に出会いました。5、7、5、7、7の言葉のふし

右も左もわからないまま詠み始めたら、そこは過去にも未来にもつながった無限の空間でした。

短歌を学んでいます。

吾 子あ こ

図書館で借りてきた倉阪鬼一郎著『怖い短歌』(幻冬舎新書2018)をみていたら、103ページで『吾子あこ』を『息子』と訳してありました。

『息子』ひえー。私、娘のことを『吾子』って何度か詠んでしまいました。やっぱり辞書はひかないといけませんね。そして、自分が高校生のときに使っていた古語辞典を古い本棚から取り出しました。

付録がとても豪華

『吾子』自分の子または近親の年下の者を親しんでいう語

松村明・山口明穂・和田利政 編

『吾子』は、息子に娘にも使えそうです。倉阪さんは詠み人の背景から『息子』というやくを選択されたのでしょう。

あらためて、本の辞書はおもしろいです。ぺらぺらとページを送ってみたり、昔の書き込みや蛍光ペンの部分を読んだりしました。ネットも頼りになりますが、本が好きです。

中澤 系

『怖い短歌』には、万葉集から現代の短歌まで選歌されています。1首、とても気になるものがありました。中 澤  系なかざわ けいさんの作品です。


倉阪鬼一郎著『怖い短歌』
(幻冬舎新書2018)p199

ほかの歌も読みたかったので、中澤系さんの歌集を購入しました。


中澤系著『中澤系歌集 uta0001.txt』
(皓星社2018)新刻版p048

心に残る歌がたくさん掲載されていました。なかでもこの短歌には息をのみました。自分の経験と重なったのです。

だれかに気まぐれに落とされたハンカチに、私はまだ触れていません。中澤さんの心象とは異なるのかもしれません。ただ、10数年、振り返らずにいます。


石川 啄木

城 侑じょう すすむ『啄木のうた』(童心社1971)も図書館で借りました。

これまでみてきたいくつかの歌集は、原則、縦一列に余白なしですらっと書いてありましたが、この石川啄木の短歌はすべて三行になっています。解説も付いておらず、わからない語も多くて古語辞典をひきながら読みました。

石川啄木の短歌は、意味が正確にわからなくても、風景や、人や、心情が伝わってきます。わからない部分がもったいない気がして、辞書をひいていました。

城 侑じょう すすむ『啄木のうた』(童心社1971)p36


ゆるぐ
[揺れ動く。心が動く。ゆったりくつろぐ]
※汽車が発車するときに揺れる様子が『ゆるぎ出ずる』でしょうか。現代の電車もドアが閉まったあとの走り出しにけっこう揺れるので、リアルに感じました。

ざらむ
[打消の助動詞ずの未然形+推量の助動詞む]
※『負けないだろう』では場面に合わないのかなとおもい、助動詞『む』をあらためてひきました。


[推量、意志、婉曲、勧誘]
※『負けないよう』意志
もう、次の目的地へ、気持ちも走り出した瞬間の『意志』が保存されている感じがました。

こうして、古語辞典を引いていると、ほぼ忘れている古典文法の解説を読むことができます。

助動詞『む』のところには、活用表とコラムが載っていました。

旺文社『古語辞典』1991
松村明・山口明穂・和田利政 編


短歌に保存されているもの


短歌には時代、生活、人の心が、記録されています。意味がのみこめたとき、脳に直接再生されるそれらは心臓に響いて、You Tubeより鮮やかに映像をみせてくれます。

日本人がゆるやかに滅びゆく今、学んで身につけるべきは外国語でしょう。

受験に古典や漢文は必要ないとの大きな声も聞こえます。その通りなのでしょう。

私は、もともと学校の古文漢文は好きでした。でも、学校で古文漢文を習うことがなければ、興味を持たなかったでしょう。子ども時代に古典が必修でよかったです。


短歌と昇華しょうか


noteに書き出したい自分の考えごとは、明るくて楽しいものばかりではありません。

悲しみや苦しみをそのまま書き出して捨てると、わたしは一息つくことができます。

ただ吐き出しただけの単語は浅ましくて、燃やして灰にして粉々にするしかありません。

『悲しい苦しい辛い』も、作品に昇華できたなら、noteにしてもいいのではないか。

今は、短歌に親しんでいたい。

どうしようもなく悲しくても、まっとうに生活を続けるために、自分で自分の精神をケアする。

今の自分には、短歌を学ぶことが必要です。


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