短歌物語『宝の島は』
それは一生越えられない高い壁
そう思い込んで私は絶望していた。
吹奏楽に宝島という定番の曲がある。
とても楽しい曲だが、私は大好きで大嫌いだ。サビのグリッサンドが吹けないのだ。
ホルンには下の音から上の音へ無段階で駆け上がる奏法をよく求められる。グリッサンドといって、音楽に勢いをつけたり上昇気流を起こしたりするのに使われている。
宝島のグリッサンドは音程が高くて、私の技量ではできない。その音が鳴らなければ宝島にはたどり着けないと、私は長い間、とても長い間、錯覚していた。
二十五年前
初めて宝島の存在を知った。当時の部活にばりばりと楽器を鳴らせるホルン吹きが二人いたので、彼らがみんなと宝島へ向かうのを私はただ見送った。
それから十五年後
まったく別の場所、別の仲間と宝島を目指すことになった。
その楽団では、アルトサックスとテナーサックスを舞台の一番前に配置して、聞こえないホルンをカバーすることにしたみたいだった。私はいつも楽団のお荷物だ。宝島に上陸する権利なんかない。
さらに十年が過ぎて今
縁あって、トランペットの先生にホルンを教えてもらっている。パンデミックで大騒ぎだった数年の間も、練習とレッスンを続けていた。
公民館活動が再開して、楽団所有の書棚から好きな楽譜を出して合奏を楽しんでいた時のこと。誰かが宝島の譜面を持ってきた。
息を呑んだ。
できるんじゃないか。
もしかしたらもしかしたら。
鼓動が早くて息がおもうように吸えなかった。例のグリッサンドしか頭になくて、初めから終わりまで、音程はいたたまれないほど上ずった。
でも。
曲が終わったとき、心臓が顔面で脈打っているようで、肩で息をしていた。二十五年もかけて宝島にたどり着いた私は、ウエスト総ゴムロングスカートのおばさんになっていた。上がった息を整えるために深呼吸をしたら、夕べ使った白髪染めの香りがした。
ここに、みんな来ていたんだ。
十代、二十代の、眩しい頃に。
あの音楽室で、若い私がうつむいている。
宝島は大好きで大嫌い
どうしてずっと『大好き』だった?
打楽器メンバーが曲の初めからはしゃぎ出す。グリッサンドができてもできなくても、音楽は止まらない。サックスソロに打楽器アンサンブルが続き、締めのトランペットとトロンボーンのユニゾンソリが全員をフィナーレへ連れていく。
初めから全員、宝島にいるのだ。
宝島へ移動する場面なんかない。そんなの四半世紀前からわかっていた。いつだって私はだれからも置いていかれてなかった。
わかっていたけど、わかりたくなかった。できない自分が許せなかった。
あの音楽室の、今の私よりずっと若くて痩せている私。苦しかった。けれど真の喜びもこの世の地獄もまだ知らない私だ。仲間と宝島にいるのにそんな暗い顔して。
(1176字)
山根さん、短歌の企画をありがとうございます🍀せっかくなので小説にチャレンジしてみましたが、よくわからなくなってしまいました。よろしくお願いします。