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人と会うことの価値

久しぶりにX見てて流れてきたポストに反応して思ったことを徒然につぶやいたのを、コレは自分の認識の中に残しておきたいな、と思ったのでこちらにも。

反応したポストにはこんなことが書かれてた。
(それをつぶやいた人自身を何かしら批判したい意図はないので、文章だけ引用します)

人間は
①お金を払っても会いたい人
②無料であれば会いたい人
③お金をもらえばあってもいい人
④お金を貰っても会いたくない人
にわけられ、バーの一日店長などをするとそれが如実に明らかになる

願わくば人に会いたいと思われる人であり続けたいものだ

X

これね、言わんとしてることは解るのです。凄くおかしなことを言っているとも思わない。「お金をもらっても会いたくない」なんて思われたくないよね。

ただ、「人間は」ではあまりに広い。
ここでいう「人間」は、あくまで「『課金して会う』というメニューを準備した人間」であって、数多くのパターンがある人間関係において相手に対して、幅広くこの分類を当てはめたら、恐らくその人の人間関係に対する認識は非常に歪んだものになる。

私は、彼女や友人、同僚やFFさんと、お金払って会おうとは思わない。
そして、キャストさんに無料で会おうとか、会いたいとは思わない。
けれど、それは私にとってキャストさんが、彼女や友人よりも「お金を払ってでも会う価値がある人間だから」だからではない。
キャストさんがお会いする中で提供してくれているサービスが、私にとってその課金価値があるから、に過ぎない。

会うことに金銭を払ってもらえる/もらえない、ことを、自分に価値がある人間だ/価値がない人間だ、と直接結びつけて考えてしまうの、とても怖いことだよ。
(たとえば、男性から奢られないと自分がその男性にとっては無価値なんだと感じる女性っていたりするよね…)

これは恐らく「課金して人に会う」ということを繰り返していたり、「課金されて人と会う」ということを繰り返す人が、うっかり持ちやすい認識の歪みじゃなかろうかと思うので、自身の感覚が歪みきらないように、注意深くありたいものだなぁと思う。

(友人に何かを評価してもらった時「無課金なのに御免w」とか冗談で私はよく言ってしまうが、あんまりあれはよくないネ。気をつけます)

(2024/09/28追記)
元の言説に、自分が抱いている根本的な違和感に気付いたので追記。

「会う」という通常相互に対等な行為に対し値札をつけ人の価値のように表現してるのが気持ち悪いんだ。

その人が提供している価値に、課金価値があるかだけのことなのに。

これだとお金を払う側は常に3か4の「金を払うなら会ってもいい人間/嫌な人間」になる。

そして、しばしば風俗サービスにおいては、特に女性向けのサービスでは、客側すらそういう自虐を発する。
「お金を払わないとこういうことすらしてもらえない人間」みたいに。
女性の性に長らく値札がつきまとっていた弊害であり、呪いだと思う。

私は色々なシーンで人様が提供するサービスに課金する。

綺麗な姿を見にゆき、パフォーマンスに感嘆し、美味しいものを食べさせてもらい、マッサージをしてもらい、気持ちのいい行為を一緒に楽しむ。

そこでは、どちらが価値があるという勝負などしておらず、サービスと対価を交換する対等な立場だ。

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