レズ風俗の利用は性的搾取なのか
レズ風俗を利用しはじめる前、利用しはじめてからしばらく、私はずっとなんともいえない罪悪感を抱えていた。
パートナーが知れば激しく傷つくであろうこと、強い嫌悪感を抱くであろうことを黙っていること、時に騙していることは、罪悪感のひとつの大きな要素ではあったけれど(なお、これがそうであることは今でも変わらず、深く肝に銘じていることなので、この利用は墓場まで持っていく案件だと思っている)、それと同じくらいのモヤつきを齎していたのは、「私は性的な搾取とその再生産に加担しているのではないか」という考えだった。
私が利用前に風俗というサービスに抱いていたイメージは、男性用風俗で働く女性のものがほぼほぼで、それは基本的には相当にひどいものだった。
他のお仕事では、本人が必要とするだけの満足な報酬が得られない女性がするお仕事
従事する女性は積極的には就労していない
肉体的、社会的なリスクがとても高く、そのリスクと引換えにようやく報酬が高い
不愉快な思いをすることが多く、心も体も傷つくし、疲弊している
総じてこれは「就業する人は不当に性的に搾取されている」というような捉え方をしていた。
だから風俗というサービスが存在し、そこにお金が流れこんでいることで、サービスそのものが持続すること、就労する人が生まれることを全体的に良くは思っていなかったし、悪しき再生産がなされていると感じていた。
そこに自身が消費者の立場で参加する、ということは、私が誰かをひどく傷つけることに参加することであり、否定している存在を存続させることに繋がると感じていて、それこそが私の「罪悪感」に繋がっていた。
わたしは、ひどくきたなくてみにくいことをしている。
その考えを、急速に変えていってくれたのは、他でもない、私にサービスを提供してくれたキャストさんたちの姿だ。
私が出会った彼女たちは、総じて明るく優しく美しく、品が良くて気遣いに満ちていて、私と会っているその時間、私を楽しませようとすること自体を、楽しんでくれているようにみえた。
それは自身の従事する仕事にやりがいをもって勤める他の仕事の姿と、何も変わらなかった。
搾取とは、一方的に不当に片方が奪うことだ。
私が、彼女たちからのサービスを受けることは、彼女たちを傷つけ、何かを奪うようなことなんだろうか?
彼女たちの尊厳を貶め、踏みにじるようなことをしているんだろうか?
むしろ私は何をか彼女たちから奪えるような、そんな立場の強さを持った存在だろうか?
なにか、それはとても実際の感覚とは違っていた。
「搾取している」と感じること自体が、失礼であるかのような気すらした。
私がこのサービスから感じ取っているもの、受け取っている思いやり、心遣い、楽しさ、幸福感、気持ち良さ。
そういったものは搾取や収奪とはひたすらに遠く、ただただ他の対人サービスと同様に、対価と引換えにプロのサービスを受けているようにしか感じられなかった。
私の中の考えが変わってきた頃と、おそらく大体同時期だったと思う。
コロナでセックスワーカーに給付金が支払われないことに対し裁判を起こした人たちのことを知った。
国から認可され税金も取られているある一つの業種に対し、「国民の理解を得られない」として給付金が支払われない、国による不当な職業差別。
強い憤ろしさを感じ、クラウドファンディングに募金するのと共に、「セックスワークイズワーク」が私の価値観にしっかり落とし込まれていることを感じた。
一方で、私が当初風俗に抱いていたイメージ通りのことも、残念ながらたしかに存在している。
この仕事に向けられる世界の眼差しは暖かいものではないし、就労は社会的なスティグマとなりうるし、強い偏見は存在している。
レズであるということはめちゃくちゃオープンに生きている私自身、今でも友人に「風俗を利用しているよ」とはあっけらかんと言える気はしない。
この仕事をすることを、自ら望んでではなく、状況に追い詰められ他の選択肢がない状態で就業せざるを得ず、尊厳が傷つけられている思いで苦しみながら就業し、この仕事を辞めたいと願っている人たちも確かにいる。
そういう方たちが、その仕事をやらざるを得ないような状況が続いて良いと思っているわけでは、ない。
そこにはまだまだ課題が多く残っている。
けれど、それでも。
私は性サービスを、この世によりよい形であり続けて欲しいサービスのひとつだと思っている。
自分がサービスを利用することが、それだけでなにかしらの搾取や傷害に加担していることだとは、もう思わない。
そのサービスから「幸せ」を受け取る人が、提供者側であれ、消費者側であれ、増えて欲しいと思っている。
そして、そのサービスには、やりがいと自身の楽しさを感じながら提供できる人たちが、就労していて欲しいと願っている。
その人たちがきちんとした報酬と敬意を以て報われること、社会の目はそれ程劇的には変わらなくても、せめて公的に不当な取扱いを受けないことを願っている。