つれづれ杏子 #022.5

書く内容よりも、書きたいな(厳密に言えばキーボードを叩いて入力をしたいな)という気持ちが勝って、ここに文字を打ち込んでいます。杏子です。あんずと読みます。よろしくお願いいたします。

相手が同じように思っている、自分が思ったように考えている、当たり前だと思っている。という思考をすごくナチュラルに、わたしは持ってしまう。だからか、それが外れて思ったようにならないと混乱してショックを受けて、勝手に怒ったりしてしまう。悪い癖だと思う。

そんなところから離陸した思考は、男女関係のそれに到達した。

セックス中の相手の頭の中なんて絶対知りたくないし、己の煩悩も絶対に絶対に相手に知られたくない。ので、知る由もない。饒舌に思考を垂れ流しながら行為に及ぶ殿方とは致したことがない。あんな本能の行為の最中に動物より高次の言葉が出てきたら醒めるだろうね。いろいろなものがね。

もし幼い我が子に「せっくすってなあに?」と聞かれたら言いたいなぁと妄想していた言葉を書き連ねようとして恥ずかしくてやめました。次回の呑み書きで気が向いたら書きます。

じゃなくて、

別々の人間でありながら相手が同じ想いを持っているに違いないと考えて、現実を知り勝手に裏切られた気分になる癖の話。
恋仲の人間同士であるある、かもしれないよね、と思って。
杏子の元彼たちはもれなくこの理不尽な怒りを向けられてきたと思うし。すまぬ。境界を引くのが苦手なんだ。

服という境界もとっぱらって、肌さえ溶けちゃえばいいのに、と願うような行為をしておきながら、相手のことなんて全然わかってない。わからないのに、わからないけど、世界一幸福な気分になれる。愛はそれでいいのかもしれん。

わからないなりに、わかろうとする気持ちの動きは、愛だろうからね。

と考えたわたしの頭に流れてきた。ポルノグラフィティの『夕陽と星空と僕』。

君の形 僕の形
重ねてはみ出したものを
わかり合う事を きっと愛とか恋と呼ぶはずなのに

ポルノグラフィティ『夕陽と星空と僕』より

失恋するたびこの曲にはお世話になってきて、それでもまだわたしはよくわかってなかったかもしれない。わたしはわかり合うんじゃなくて、わかってほしかっただけじゃないか、と思った。愛のない女め。

この春、宮崎にもいつもより春が長く居てくれる気がする。暇なせいか。ようやく、他人は自分とは違う生き物だ、ということが飲み込めそうかもしれない。


倍にして返すくらいの文章を書くよ!!!!!