胸いっぱいの感謝をミモザの花束に託して
祖母が亡くなった。
わたしが大学を卒業する頃には認知症はだいぶ進行していた。就職のために引っ越しを余儀なくされたとき、《いってらっしゃい》の声はあったが、《おかえり》の声はもう実家にはなかった。帰省したときには病院での生活がすでに始まっていたのだ。
病院と介護施設での転院を繰り返しているなかで、ごはんを食べることもままならなくなったらしい。コロナ禍で会えない日々が続き、コロナが終息しつつあるなかで、面会の時間が取れ、ようやく会えたときには別人のように細くなってしまった祖母がいた。まともに会話することもできず、果たして意思疎通が取れているのか曖昧な状態での面会だった。
わたしという人間を記録している頭の中。そんな最初の頃の記憶──。幼き頃のほとんどの記憶は祖母とのものばかりだった。共働きだった両親の代わりに、幼稚園バスのバス停への送り迎えやおやつの時間、近所への散歩はほとんど祖母との記憶ばかりだ。地方ののんびりした空気と生い茂っていた木々のなかで小道を一緒に散歩した。当時、近所には牛を飼育している家が数件建ち並んでおり、よく牛を眺めるために散歩に出た。会話した内容は全く覚えていないが、これは写真にも残っていない、幽体離脱したように空からわたしたちを眺めた画でもない、幼きわたしの視点から見上げた祖母と牧草地にたたずむ牛の画だった。つまり、作られた記憶ではなく、わたしのなかに残る本物の記憶だった。その本物の記憶の一頁目が祖母との記憶なのだ。
祖母が亡くなったのは3月8日の《国際女性デー》と呼ばれる日だった。わたしはほぼ毎年この日にミモザを買う。それは、誰に贈るためでもなく、自分自身に贈るためのものだ。
わたしはフランスの文化や歴史にものすごく関心があり、フランス菓子やシャンソン、フランスの歌うように交わされる言葉たちが大好きだ。思い起こせば、そのきっかけをくれたのも祖母だったと思う。わたしの祖母はオードリー・ヘプバーンが大好きで(わたしもその影響を大いに受けて今では、憧れの存在、いわゆるロールモデルになっている)、高校生の頃、オードリー主演の《パリの恋人》を鑑賞した。ミュージカルのように進んでいく物語やパリの至るところで繰り広げられるダンスに魅了された。そしてパリの美しさに圧倒された。あの日からパリの街並みをもっと観たいとフランス映画を観ることが増えていき、気がつけば耳がフランス語を欲していた。あっという間にフランスの虜だった。
フランスの文化や慣習について知るようになり、国際女性デーにはイタリアと同じように、女性への感謝を込めて愛や幸福の象徴でもあるミモザが贈られることを知った。
国際女性デーの起源はニューヨークにあり、イタリアでは《ミモザの日》と呼ばれるこの日を、フランスに興味を持っていなかったら、知るのがずっと先になっていたかもしれない。
この季節に自分に贈るために買っていたミモザの花束を今年は祖母のために。
イタリアでミモザの花言葉は《感謝》
フランスでミモザの花言葉は《思いやり》
日本でミモザの花言葉は《優雅》
気品溢れるあなたに教わったたくさんのこと、魅了され続けているフランスの魅力のきっかけをくれたこと、これまでの感謝をミモザに託して──。
ありがとう。
どうか安らかに。
2024.03.08