海うそ
『海うそ/梨木香歩』雑感
いっそ生々しいほどの自然の息吹に漬け込まれた後の、50年後の描写。
読み終わったとき、私の胸はしくしくと痛みを訴えたのだ。
この鈍い痛みは何なのだろうかと考えた時にふと、小学生の私が顔を出した。
小さい頃に避暑地で眺めた急峻な山々。
雲ひとつなく星に満ちた果てしない夜空。
満月の光を映して輝く雪と、その上に落ちる自分の薄墨色の影。
幼かった私の目に映ったその世界は、私に自然の喜びを授けて同時に呪いを残していった。
昔は鬱蒼としていた森も、訪れる度に着々と切り開かれ、整備されていく。その事に嘆いたところで、自分もその森を切り拓いた一人であることを突きつけられる。
沢山のエネルギーを喰らう安心安全の大量消費。お金さえ払えば全部とは言わないけど殆どのものが手に入る社会。生まれた時から便利さと贅沢に首まで浸かってしまった私は、それを否定することが出来ない。
失われていくものを仕方ないのだと言い聞かせて、見なかった事にすることでやり過ごす。
むしろ、父親から叩き込まれた弱肉強食の原則がそれを肯定する。
それでも、ふと脳裏に浮かぶあの景色が私の胸の裡を安らげ、そして罪の意識が小さい私になって私を刺していく。まるで呪いか何かのように。
ーー喪失とは、私のなかに降り積もる時間が、増えていくことなのだ。
秋野さんの答えは、まだ社会人にすらなっていない私には出せない言葉で、今は分かったつもりで居てもその実、何も分かっていないのだと思う。
今こうしてつらつらと書き綴っている言葉も、正直に言ってちゃんと纏まっていないことは自分でも十分自覚している。きっと何度も書き直す事になるだろうし、冷静になってもう一度何が言いたかったのか考えなくてはいけない。でも、私の心にこんなにも突き刺さる本に久々に出会ったので、勢いのままに筆を執ってネットに放流して仕舞うのもいいかもしれない。そう思った。そう思わされてしまった。
いつか私も、本の受け売りではなく心の中からふっとそういう言葉が立ち現れてくる。そんな瞬間が訪れるのだろうか。