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ceroの『Orphans』で古語が使われる理由
ceroの『Orphans』とてもいい曲ですよね。
人気の曲ですし、私も好きです。
先日この曲を久しぶりに聞いたとき、ふと気になったことがありました。
それは歌詞の冒頭
終日(ひねもす) 霧雨の薄明かりが包む 白夜の火曜
なぜ歌い出しが「終日(ひねもす)」なのでしょう。
「ひねもす」とは漢字を見てわかるとおり「一日中」を意味する言葉で、日本で古くから使われてきた古語のこと。その起源は万葉集にあるようです。
普通に生きていたら「ひねもす」なんて言い回しは使わないですよね。
ではなぜ古語を歌詞の中に入れたのか。もしかしたら語感がなんとなくいいから、くらいの気持ちで言葉を選んだかもしれませんが、私はそうではないと思います。
その理由は「作中で「ひねもす」という言葉を使っているのは誰なのか」という点にあります。
ひねもすが出てくる場面
作中では「ひねもす」が2回だけ使われます。
それは歌詞の1番の冒頭と、2番の冒頭です。
1番:終日(ひねもす) 霧雨の薄明かりが包む 白夜の火曜
2番:終日(ひねもす) 乗り回して町に戻ってきた 白夜の水曜
実はこの曲、歌詞の構造がちょっと特殊です。
歌の中では女の子と男の子が出てきて、それぞれが一人称視点で物語を語るのですが、1番では女の子の、2番では男の子の一人称視点になっています。
まるで小説のような歌詞ですが、ポイントは1番と2番で視点が変わること。
つまり、1回目の「ひねもす」は女の子が、2回目の「ひねもす」は男の子が語っていることになります。
さっきも述べたとおり、多くの人は「ひねもす」なんて言葉は使いません。
ただでさえ「ひねもす」なんて言葉を使う人は少ないのに、この二人はそれを使っている。奇妙な共通点です。
察しのいい人ならお気づきでしょうか?
要は「ひねもす」は女の子と男の子が”どこか似ている”ことを示すための、物語上の重要な道具になっているのです。
この曲を聞いたことがある人はわかると思いますが、女の子と男の子は作中ではただのクラスメートです。しかし、1日限りの逃避行を通じてお互いがお互いをまるで姉弟のような存在だと感じ始めます。
歌詞で直接それを歌うだけでなく、実は歌の一番最初から「ひねもす」という言葉を使って二人がどこか似ていることを暗示する。
そんな役割が「ひねもす」にはあるのではないでしょうか。
あとがき
上記のようなことを考えついたあとに、ネットで調べてみたのですが私と同じ意見の人はいませんでした。(もしかしたら見落としているだけかもですが、、、)
となれば私が語らざるを得まい!!ということで今回記事にしています。
Orphansは歌詞が本当にいい。
女の子の泣く様子を男の子の視点からしか見せず女の子が何を思って泣いているのか見せないところとか、女の子が男の子を逃避行のパートナーに選ぶ理由の正直さとか、、、
あと、調べている中で気になったのが「白夜」というワード。
ネットの考察には、「白夜が起きるということは現実の日本とは違う世界の話なんだ!」と書いている人がいました。確かにそうかも、と思う反面私はそうではないと思っています。
この歌詞の内容を別世界の話として書く意味はあまりない気がしますし、OrphansのMVで出てくる町はどこからどう見ても現実の日本です。
「白夜」は単に「夜になっても明かり失くならずずっと明るい様子」のことだと思っています。
が、この私の考えも浅すぎる気がするのであまり気に入っていません。
どなたかが「白夜」の意味について詳しい考察をアップしてくれるのを期待しています。