U149アニメで考察する橘ありす
今日やっとU149のアニメを見終わりました。
とてもいい作品でした。考察欲が高まってきたので思いついたことをいろいろと書いていきたいと思います。
ネタバレ注意です。
あと使ってる画像は適当にネットから拾ってきてます。
よだかの星とありす
ありすの回想の中で出てきた『よだかの星』
原作には夜鷹という鳥が出てきます。彼はその見た目のせいで、どのコミュニティにも属すことができず苦しみます。居場所を失った彼は、命を懸けて空を飛び、最後には星になるという物語です。
さて、このシーンで『よだかの星』が出てきた理由は何でしょうか?私は、夜鷹とありすには以下のような共通点があるからだと思います。
名前と実像が一致しない
夜鷹は種族としては本物の鷹ではない。本物の鷹からも「お前は鷹ではないから名前を変えろ」と脅される。
ありすは自分の子供っぽい名前を受け入れられない。周囲に「ありすと呼ぶな」と要求する。
肉親とかけ離れた姿
夜鷹は、兄弟のハチスズメやカワセミのような美しい姿ではなく、実に醜い姿をしている。
ありすは、両親のような「カッコよくて仕事のできる人」になりたいが、実際はそうではない。
歌の実力
夜鷹は、鷹のような鋭い鳴き声を持っている。本気で鳴くと他の鳥が恐怖でぶるぶる震えだす。
ありすは歌の才能を持っている。歌声を聞いて米内Pが感心する。
また、Wikipediaを見ると、『よだかの星』には以下のような解釈があるようです。
夜鷹は星になるとき、その飛翔力で天高く飛ぶとともに、持ち前の鳴き声を周囲に響かせながら、星になります。
星になることを自己表現だとするならば、今回は「飛翔力を出し切って死をもって自己表現を果した」ではなく「鳴き声をもって自己表現をした」と捉えることはできないでしょうか?
どこにも属すことのできないアイデンティティを抱え、叫びながら星となり、周囲に自分の存在を焼き付ける夜鷹。
私には、大人になりたいけどなれないという、矛盾する自己を抱えたありすが「in fact」を歌いながらアイドルになる姿と重なるところがあるように思えます。
そう考えると、ありすの最終的な夢が「歌で気持ちを伝えたい」であることにも繋がってくると思いませんか?
11話のありすの心象風景
11話にはありすの心象風景が多く出てきます。
ここでは心象風景をそれぞれ第1層から第3層に分けて考察していきます。
第1層「荒れ狂う海」
両親にアイドルデビューのことを言い出せずに面談から逃げ出したありすは、街をがむしゃらに走ります。
その時の心象風景がこちら
大荒れの海を金魚鉢のようなものに入りながら漂うありす。
上空には巨大な金魚が飛んでます。
既に同じ指摘している人も多くいますが、この心象風景のもとになっているのは以下のカットだと思います。
1話と11話でほとんど同じカットが出てきます。
水、金魚鉢、巨大(に見える)金魚。
誰もいない家に帰るとありすがいつも対面するこの光景。この暗い玄関とゆったりと泳ぐ不気味な金魚が、両親が家にいない寂しさの象徴なのだと思います。
(個人的には金魚がやけにリアルなのもホラー感あって好きです)
第2層「森」
大荒れの海を越えると、陸地につきます。
その先にはうっそうとした森があり、ありすはその中に入っていきます。
ここで心象風景シーンが終わり、しばらく現実のシーンが続きます。
次に心象風景が出てくるのは米内Pが泣いたシーンの直後
この涙を見て、ありすの意識は心象風景の第2層である森の中に戻ります。
葉っぱから滴る水滴が、米内Pの涙と重なる形で現れます。
つまり水滴=涙です。
そして、その水滴に移るのはありすの母親の姿。「スーツを着て出かける母親」「法律の勉強をしている母親」「弁護士バッチをつけている母親」
ここから、第2層の心の中ではありすが母親を求めて泣いていることがわかります。
第3層「化粧台の中」
森の中を進むと、森の最奥部には化粧台と鏡があります。
この化粧台の中に手を伸ばすと、「よだかの星」をはじめとして、忘れていた母親との思い出が堰を切ってよみがえります。
そのすべてが、母親に愛されていた幸せな思い出です。第2層で母親の愛情を欲して泣いていたありすが、ここで母親に愛されていたことを思い出します。
第3層という心の最奥には、本人も忘れていた母親の愛情があったのだと思います。
『大人と子供のちがいってなーに?』は誰の問い?
ここから先は、考察ではなく妄想と呼んだ方がいいかもしれません。
誰の問い?
11話のタイトルである『大人と子供のちがいってなーに?』は、以下のような文字だけのシーンとして登場します。
これって誰が誰に向けて発した言葉でしょうか?
米内Pも同じようなセリフを口にしますが、聞き方が幼すぎるので彼ではありません。では誰でしょうか?実は既にこの問いの答えを持っている人間がいます。
大人は泣かない
11話の冒頭から述べられているとおり、ありすは答えを知っています。
大人は泣かない。子供は泣く。ありすはそれを知っています。
私の予想では、この問いは「幼い日のありす」が「母親」に向かって投げかけた問いなのだと思います。そして母親からの回答が「大人は泣かない」だったのではないでしょうか?
だからこそ、ありすは泣きません。母親に認めてもらうために、大人になるために、寂しくても平気なふりをしています。
なぜ「大人は泣かない」?
ではなぜ母親はそんな回答をしたのでしょうか?
私は「大人なんていない」「母親自身も大人ではない」ということが言いたかったのではないかと思います。
なぜなら、ありすの母親は自分が泣いているところをありすに見せているからです。
大人が泣かないものなのだとしたら、ありすの母親は大人ではないことになります。でもそれこそが伝えたかったことです。大人も子供も変わらない。母親だって全然大人じゃないんだ。ありすの母親はそういいたかったんだと思います。
そして、それがU149のテーマのひとつであるはずです。
しかし、幼いありすはその言葉をそのまま受け取ってしまった。それが呪いとなって自分も母親も苦しめていました。
また、この呪いがあるからこそ誰よりも早く米内Pが泣くわけです。
大人であるはずの米内Pが泣いた姿を見たからこそ、ありすのこの呪いが揺らぎ、心象風景の第2層の先に進んで自分の中の涙に気が付くことができた。そしてその先の第3層で、尊敬する大人である母親も泣いていたことを思い出すという話の進行になっていると思います。
なお母親が泣いていた理由は、司法試験に合格したことなんじゃないかなと想像しています。心象風景の中で勉強していましたし、泣いている姿も泣き笑いだったように見えるので。
その他
以下は雑記です
会長と蝉
会長がありすに「ライブをしたいか?」と尋ねるシーン。会長が去ると蝉が死んでます。なんで????
一応以下のようなことを考えましたがあんまり説得力はない気がします
夏の終わりを表現したかった説
U149は全体として「夏」であることを強調しているので、夏が終わることを強調したかった?でも夏の終わりが何を意味するのかは分かりません
魔法の代償説
ライブ時間を前倒しするという会長の無茶を魔法のようなものだとすると、蝉が死んだことは魔法の代償が存在することを意味しているのでは?実際ライブ時間の変更なんて大変すぎて人が死んでもおかしくなさそうです。演出もホラーっぽかったですしね。
心象風景の最後に出てくるありすの母親の服装
ピンクの色合いとゆったりとしたシルエットから病院の患者衣を着ているように見えるんですが、私だけでしょうか?
仮にそうだとしたら、そこで泣いている理由はありすが生まれたから?しかし、そうなるとあの風景はありすが生まれた直後にありすが見た風景ということになるので現実的ではないですかね