自分が生まれ持ったものと生きること
私の体はとにかくパワーがない。筋力も無いし、柔軟性も無いし、何より体力が無い。筋力と柔軟性をつけよう!と頑張ると、すぐにどこかを痛めて休息すべし、となる。胃腸も弱いので元気にモリモリ食べることもないし、体力もつかない。しかし、こんな体に相反して、心は激アツ。やりたい事をとことんまで突き詰めたい!と心の中はいつもグツグツ燃え滾っている。しかし紙コップにマグマを注ぐが如く、すぐに体がぶっ壊れる。若い頃は「気合」ってやつで何とかなった所も、今では「気合」は全然役に立たない。しかも、年を重ねるにつれ、仕事やその他色々な事に対する「責任の重さ」などをヒシヒシと感じるようになって、精神的にぶっ壊れるというパターンに陥ることもある。なので、熱い思いを遂げられないままドロップアウトした事は数知れず。なんかね。虚しくなるの。この繰り返しで。せめて、上手に身の回りのあれこれをマネジメントする能力があれば良いのだけど、残念ながら備わっていない。いつも、一つの事に集中してグワーっと突き進みバタっと倒れて道半ばで終わる。
神様。
容器と中身のバランスが悪すぎます。
と恨み言を言いたくなることもしばしば。
でも、ぶっ壊れて得るものもある。取捨選択能力だ。出来ないことを斬り捨てるという力。他の人は広々とした道を沢山の荷物を載せてトラックで移動出来るんだけど、私は両側断崖絶壁の細い道を小さな風呂敷包みを抱えて進んでるんだよね。なので、その風呂敷包みに何を入れるのか、真剣に考えなくてはならない。しかも中身は激アツアイテム。本当に限られたものしか入らない。今、その包に入っているのは「家族」と「音楽」と「ちょっとの絵と英語」。ちゃんとした母、嫁で居ることは捨てた。でも家族はいつも私の真ん中にある。ちゃんとしてなかったら評価が下がる、嫌われる、と思ってたけど、ちゃんとしてなくても、家族を真ん中に置いている気持ちが伝われば全然嫌われない。何でもかんでもやろうとしてテンパってる私と一緒にいる方が家族にとっては「勘弁してくれ!」なんだと思う。絵を描くことも好きだけど、やりすぎると体を壊すので、マジな絵をぶっつづけで描き続けることは捨てた。英語は本業なので最低限のラインは死守するけど、期限を設けて定期的にテストにチャレンジするというような事は捨てた。組織で働く事は完全に捨てた。
一般的な皆様にとったらスッカスカの状態に近い。それでも結構バランスの取れない時がある。私のスイッチは「激烈なオン」と「アホみたいなオフ」しかないから、そのスイッチ切り替えを上手く使いこなすのが難しいのだ。(ここまで書いてみて、改めて自分のややこしさに苦笑だわ!)それでも、身軽になってだいぶ楽に歩けるようになった。これからも、こんな自分と付き合いながらやっていくしかない。でも、こんなにややこしいのに自分の事はいつも好き。何故か気に入っている。生まれ持った性質の中で、この「特に理由もなく自己肯定感が湧いてくる」というのが一番有難い。これからも、困った性質と有難い性質と上手く付き合いながら「やりたい事ができないよ!」なんてボヤかずに、自分のやり方で本当にやりたい事をやっていきたいな、と思う。
で最後には「あー、やりきったー!」と思いながら死ねたら良いな。
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