新 もういちど読む山川世界史5

前置き

 先日は伊勢志摩に旅行したのですが(詳細は↓のリンク)、来週またすぐ旅行するので、それまでに進めねば、という心意気で更新します。
 金銭的理由が大きいですが、モラトリアム中に海外旅行はあまり考えておらず。もともと国内旅行大好きマンで、しかも20代の頃からいろんな温泉を訪れるのが好きだったので、よくシブい趣味をしてるねと言われていました。万座温泉が好き。
 とはいえ、友人には海外行かないの!? とよく驚かれるので、やっぱり行った方がいいのかな~とも思ったりします。世界史やってることだしね。

第1章:古代の世界~4 イランの古代国家(P35-36)

さて、本題。前回の古代ローマ帝国の記事はこちら↓。

第4節では、古代イランを取り上げる。

1.古代イランの王朝変遷
 前3世紀にはカスピ海東南のイラン系遊牧民がパルティア王国(※1)を建国し、前2世紀にメソポタミアを奪ってシリアにまで進出した。前1世紀中ごろ、パルティアとローマはユーフラテス川の堺でしばしば争った。
 224年、アケメネス朝(※2)がかつて所有していたイラン高原南部からおこったササン朝がパルティアを滅ぼした。ササン朝もローマとはげしく争い、シリアでローマ軍を破り皇帝を捕虜にした。また、クシャーナ朝(※3)を屈服させ領土を広げる。異民族の侵入を受けながらも、6世紀に中央集権化政策を推し進めて全盛期を迎えた。
 陸路・海路の東西中継点に位置し、交易で栄えたササン朝だが、7世紀前半に王位をめぐって争いが起き、新興のイスラーム教徒アラブ人の攻撃によって651年に滅亡した。

2.イラン文化
 ササン朝ではゾロアスター教(※4)が国教となり、経典『アヴェスター』が成立した。ササン朝はギリシアやインドの文化を取り入れる、国際性に富んだイラン文化をうんだ。美術・工芸・建築に優れた文化であり、その影響は中国を経て天平時代の日本にも及んだ(※5)
 3世紀には、ゾロアスター教、ユダヤ教・キリスト教などの教義を融合させたマニ教(※6)がうまれた。

おもしろ&わからんポイント

1.古代イランの王朝変遷
※1.パルティア王国
 
前回記事の※7で言及。ローマ帝政期後半でパルティア人やゲルマン人の侵入にローマ帝国が苦慮して衰退していく話。パルティアとローマはそれ以前にも争いを繰り返していたわけだ。

※2.アケメネス朝
 古代オリエントの回で言及。前6世紀にオリエントを統一したペルシア人の王朝。前330年にアレクサンドロスに滅ぼされるまで続いた。

※3.クシャーナ朝
 
古代インドの王朝。この後出てくる。

※4.ゾロアスター教
 
古代オリエントの回の※7で言及。創始者はゾロアスター(ツァラトゥストラ)。なんでゾロアスターがツァラトゥストラになんねん、と思ったら、ギリシア=ラテン語名がゾロアストレス(=ゾロアスター)で、聖典に書かれた言語アヴェスター語ではザラスシュトラと読むので、むしろツァラトゥストラの方が近いんだね(ザラスシュトラのドイツ語読み)。ごめんニーチェ、疑って。
 ゾロアスターがアケメネス朝時代にギリシアに伝えられた際に魔術的な司祭とされたことから、ゾロアスター教はルネサンス時代や近代にいたるまで呪術的で特異な宗教として誤解されることが多い。ニーチェもそうだろうね。
 しかし、ゾロアスター教は啓示によって開かれた最古の世界宗教であり、ユダヤ教・キリスト教に影響を与えたことからも、どの宗教よりも人類に影響を与えた宗教と言える。
 ゾロアスター教のポイントは2点。1点目は、火を崇拝する一神教であること。最高神アフラ=マズダを光明神とし、象徴となる火を崇拝する。2点目は、世界を光明神と暗黒神の対立とする二元論的世界観。例えば昼と夜も、それぞれの神の霊の抗争と捉えている。やがて終末には救世主(サオシュヤント)が現れて最後の審判が下され、暗黒神であるアーリマンは敗北するとされる。つまり、神は光明神のみとなるため、一神教である。
 ゾロアスター教は、のちにイスラーム教の広まりによってササン朝とともにほぼ消滅する。一部の教徒がインドに逃れ、現代にも続くパールスィーと呼ばれるゾロアスター教のカーストを形成している。現代でも創始者がゾロアスター教を信仰したタタ財閥は、汚職の多いインドでも厳しい企業倫理を保ち信頼を得ている。
 ……などなど、参考資料を読んでるとめっちゃおもろいのだが、特におもしろいと思ったのが、下記の引用文(孫引き引用ですみません)。

ゾロアスターはこのように、個々の審判、天国と地獄、肉体のよみがえり、最後の大審判、再結合された魂と肉体の永遠の生ということを、初めて説いた人であった。これらの教義は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教に採り入れられて、人類の宗教の多くにおいてなじみある項目となった。しかし、これらのことが、充分に論理的一貫性をもっているのは、ゾロアスター教においてである。
 というのは、ゾロアスターは、肉体を含む物質的な創造が善であることと、神の正義の揺るぎない公平さとを合わせて主張したからである。彼によれば、個人の救済は、その人の考えや言葉や行動の総量によるもので、いかなる神も、同情や悪意によってこれを変えるよう介入することはできない。そのような教義の上に、「最後の審判」があると信じることは、充分に畏怖すべき意義をもち、各人は自分の魂の運命について責任をとるだけでなく、世界の運命についての責任も分かたなければならないとされた。ゾロアスターの福音は、このように高尚で努力を要するものであり、受け入れようとする人々に、勇気と覚悟を要求するものであった。

M=ボイス/山本由美子訳『ゾロアスター教』2010 講談社学術文庫 p.74
こちらの記事より孫引き引用
強調はnote執筆者によるもの

 ↑これはおもしろい。責任という概念がここで出てくるとは思わなかった。宗教と責任というのは気になるテーマだ。
 他にも、参考資料ではアウグスティヌスが一時(ゾロアスター教から派生した)マニ教を信仰していたことも記載されている。前回記事でヒッポで住民励ました話があったけど、マニ教などの(キリスト教からしたら)異教にも信仰していたが改宗したと。そこにはマニ教の厳しい教えと肉欲に揺れるアウグスティヌスの姿も伺えると。アウグスティヌスほんと憎めない。
(参考:ゾロアスター教 (y-history.net)ゾロアスター (y-history.net)アウグスティヌス (y-history.net)

※5.天平時代の日本にも及んだイラン文化
 
ヘレニズム時代の回の※13でも、ヘレニズム文化が天平時代に日本に入ってきた話があったけど、イラン文化(ペルシア文化)も入ってきていたと。
 ちょっと調べてみると、こんなHPが。シルクロードを経由して中国でササン王朝ペルシア製食器が大流行し、正倉院にペルシア製のカット・グラスが収蔵されているとか。

※6.マニ教
 マニ教のおもしろポイントは3点。
 1点目は、マニ教が各宗教を折衷した宗教であることは、ヘレニズム的環境が背景にある点。東西の文化融合に寛容なヘレニズムの環境から、プラトンやアリストテレスのギリシア的思弁法とユダヤ教の世界観が融合したグノーシス派を母体とするマニ教がうまれている(キリスト教も同様の背景)。
 2点目は、創始者であり預言者のマニ自身が自ら教義書『シャープーラカーン』を書いた点。教義を自ら著した最初の預言者らしい。マニは、初めてローマ皇帝をボコした捕虜にしたシャープール1世の庇護に置かれた。
 最後は、ローマ帝国の脅威になるほど信仰が広がっていた点。マニは伝道に積極的で、キリスト教とは各地でぶつかった。前回記事にあるように、オリエント的専制支配で自らを神聖化してローマ帝国を統治したディオクレティアヌス帝は、キリスト教と並んでマニ教も迫害した。つまり、キリスト教と同じくらいの脅威として捉えていた。
 どうでもいいけど、ディオクレティアヌス帝、引退後キャベツ作ってたってマジ? ウケる。私もキャベツ栽培しようかな。
 (参考:マニ/マニ教 (y-history.net)エデッサの戦い/エデッサ伯国 (y-history.net)ディオクレティアヌス帝 (y-history.net)

後書き

 しかし、こんだけおもしろい話満載なのに、イランに割くページ数が少なくてなんかモヤっとしました。このあとも少し目は通してあるんだけど、東南アジアのページ数もそう。やっぱり後の時代への影響度?とかからフォーカスする地域や文化を決めているんでしょうかね。まあそのあたりは議論を経てのこの形なんだろうけど。
 ま、それ以前に人間の半数いるはずの女性や、子ども、少数民族等々のマイノリティの歴史が詳細に描かれないという点は、散々指摘されていると思います。どうにかすべき。

 しかし、過去の記事を見返しちゃったら、まあ~誤字がひどい。気づいたときに余裕があればちょこちょこ直してますが、恥ずかしい~。
 今後もあると思いますが、何卒ご容赦ください。。。

 おわり。

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