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マダラ蝶【6】

「なんだか不思議な気分」
お腹が満たされ、持ち込んだゲーム機にすっかり夢中になっている子供たちを眺めながら、咲希はポツリと呟いた。
「毎年ここに帰ってきているけど、今年は全く別のところに来ている気がする。私が知らないだけで、ここも少しずつ変わっていってる。なくなってしまうばかりじゃなくて、新しい変化もきちんとあって。今はなんだか、ちょっとした旅をしている感覚です」
「ゆっくりでも、時は流れていくからね。前に進もうとさえ思えば、どんな風にだって変わっていけるよ。これまで大切にしてきたものを残しながら、新しいものを取り入れることだってできる」「このカフェみたいに?」
「ああ、そうだね」
 咲希と藤永は、顔を見合わせてクスッと笑い合った。楽しい時間というのは、いつでもあっという間に過ぎ去っていく。大好きだった祖母を思い出させるような温かい人たち。楽しい時間の後というのは決まって強い孤独に襲われるもので、咲希は少し、その時が迫ってくるのが恐いとすら感じ始めていた。

 悠太の缶ビールが空になったのを見計らって、薫が藤永に言葉を掛ける。
「藤永さん、私たちそろそろお暇しますね。今日は誘って頂いてありがとうございました」
気が付けば、時刻は20時を過ぎていた。
 片付けに取り掛かった薫の横で、お酒で顔を赤らめた悠太が、子供たちに声を掛ける。葵と蓮は藤永の側にいくと「ありがとう!」と声を揃えた。無邪気な笑顔を見せる兄弟の頭をポンポンっと撫でながら、藤永もくしゃっとした笑顔を見せた。

♦︎

「なあ、星を見に行かないか?向こうにいい場所があるんだ」
薫たちを見送ったあと、藤永は咲希にそう言った。その誘いに、咲希は素直に頷く。
 道路を挟んで向かい側には、雑木林が広がっている。藤永に案内されるまま、幅の広いあぜ道を山に向かって少し進むと、そこには開けた土地が広がっていた。そこは資材置き場のようで、砂利の広がる土地に、伐採された大きな丸太が何本も置かれている。
「見てごらん」
藤永の言葉で、咲希はゆっくりと空を見上げた。頭上には、無数の星たちがひしめき合うように輝いている。
 ふと咲希の頭の中に、幼き頃の記憶が蘇った。母と星空を眺めた記憶。流れ星を見るまで家には入らないという咲希に、母がずっと寄り添ってくれていた日のことだった。
 いつになっても家に入ろうとしない私たちを心配した祖母が、何度も何度も様子を見に来て、結局最後には父もその輪の中に加わった。咲希と関わることを好まなかった父。苦い思い出ばかりで忘れてしまっていたけれど、幼い頃は、父との関係もそれほど悪くはなかったのかもしれない。
 父と母、そして祖母。自分の人生にも、普通の家族と同じような想い出があったことに思わず涙が溢れそうになって、咲希は慌てて藤永の方にに視線を移す。これは、久しぶりに見上げた星空が想像以上に美しかったための涙なのだと、咲希は必死に自分の気持ちを落ち着かせた。
「満天の星空なんて、久しぶりに見ました。藤永さんって意外と、ロマンチックなんですね」
咲希はつとめて明るく、藤永に言葉を投げかけた。
「いや、僕はそんなにロマンチックな男じゃないよ。横浜にいた頃、彼女がよく言ってたんだ。故郷の星空は、横浜の夜景に負けないくらい綺麗なのよって」
「彼女って…薫さんの?」
「ああ。薫さんから、菜月の話を聞いたんだね。もともと菜月は、結婚して暮らすなら田舎で暮らしたいと言っていてね。彼女が大袈裟に言ってるだけだろうと思っていたけど、実際ここにきて本当に驚いたよ。特に、天の川が煌めく夜なんかは、間違いなくこっちの圧勝だね。人工的に作り出された輝きは、自然が織りなす雄大な輝きには敵わないんだって実感したよ」
藤永は、そう言って静かに笑みを浮かべた。

「ご病気だったとか…」
「うん、癌でね。それまでも結婚を考えていなかった訳じゃなかったけど、あの頃はまだ向こうで仕事を頑張りたい気持ちも強くて。なかなか踏ん切りがつかずにいたんだ。虫のいい話に聞こえてしまうだろうけど、彼女の病気が分かってから、ようやく僕も覚悟が出来てね。籍を入れようって何度も言ったんだけど、彼女はそれを許してはくれなかった」
「どうして…?」
藤永は、近くにあった切り株にそっと腰を下ろした。藤永と背中合わせになるような形で、咲希もそこにそっと腰を下ろす。

「僕もそれには、随分と悩まされたよ。これまで結婚を先延ばしにしてきた自分を責めたりもした。でも菜月が亡くなる少し前、彼女は僕に言ったんだ。他人に認めてもらわなくたって、私たちがお互いに相手を思って愛し合った日々は、これから先もずっと変わることはないんだからって。結局彼女は、自分が亡くなったあと、紙切れ一枚で僕を永遠にそこに縛り付けておくのが耐えられなかったんだそうだ。これまでお互いの自由を尊重し合って生きてきたから、これが私たちらしい愛し方でしょう、って。本当に、彼女らしいよ」

 辺りで鳴き続ける鈴虫の声が、暗闇に響き渡っていた。咲希は藤永の方をチラリと見る。自分がもし彼女の立場だったならば、そんな風に考えることなど到底出来やしないだろうと咲希は思った。成り行きで自由に生きてはいるけれど、自分の心は本当の意味で、自由を求めてはいないのかもしれない。
 自分にもし帰る場所があったならば、愛した人にはいつまでも自分を忘れないでと望むだろう。そして、自分がいない人生でその人が幸せを感じることが寂しいとも感じてしまうかもしれない。帰るべきはずの場所から、自ら離れるということは、すごく恐ろしいことのように感じた。
 もしかすると母も、似たような気持ちを抱いていたのかもしれない。いずれにしても、大切な人や帰る場所を持たず、現実から目を逸らしてもがいている自分は、命を終わらせる道を選んだ母親とさほど変わらない状況下にいるのではないかと感じずにはいられなかった。

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