つれづれ
冬の分厚いコートから春の軽やかなコート、ジャケット、ニットを着ている人で溢れた街。
ふんわりした春のような匂いが漂う夜の原宿も。
お客さんの着ているコートを、ハンガーにかけて、今日は温かいですね、なんて話す。
今日はどんより曇り空だけど、おやすみなのでゴロゴロしながら朝早くから昼まで音楽を聴く贅沢な時間。
昨日は昔長く付き合った人からの結婚報告。おめでとうと明るく言ったけど、なんだか複雑な気持ちになる。その人の幸せは何より嬉しいはずだ。
どんな人にも経験があると思うけれど、あの時、あの道を選んでいたら、なんて。
あんな世界があったのかなぁって、想像してみる。
でも、ぼんやりと考えた後にそれはやっぱりありえなかったのだと気づく。後悔とかではなく、人生それの繰り返し。動かない限り、もしもの世界はないのだと気づく。
職場のこが、ぽろっと打ち明けてくれた本音。女ばかりの職場、でも居心地がいい。チョコレートもたくさんあって太っちゃうねって話しながら食べてる。
バレンタインはずっと観たかった映画に、仕事後、走ってなんとかギリギリ間に合う。3人で観にいく。小さな街の映画館。
『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』
わたしはボーッとしてるところや、行動が母いわくすずさんに似てるそう。なんとなく、わたし自身観ていて通ずるものがあり、すずさんに親近感がわいてくる。あんなに慎ましくはないけれど。
どんなに時代がかわっても変わらない人。それでも時代に翻弄される人。
でもやっぱりこの時代だからこそ、もっと逞しく生きたいと思う。それは自らの手で選択するということも含めて、ちゃんと言葉にするということも含めて、周作さんのお姉さんのように、居場所を自分で作っていくということ。すずさんを選んだ周作さんのように、選択するということ。右手を無くしても、すずさんのように言葉にして気持ちを伝えるということ。
リンさんのように、誰かの記憶に鮮明に残るということ。誰かとの秘密の思いでは贅沢なこと。だけど、それを共有することで、存在を確かめることも贅沢なこと。
どんな時代でも笑い合える人がいる、それは素敵なこと。