地平線 (小説)①
心の青を辿る。
それは穏やかに澄み渡った誰もいない世界。
空と海が交差する地平線の向こう側には何があるんだろうか。
半年前、えっちゃんに出逢った。彼女は小さなアパートでひとり暮らししていた。
「どこから来たの?」私が聞いてもえっちゃんは
「言ってもわからないとこだよ」とはぐらかすばかりだった。
そんなえっちゃんのこと、深く知ってみたくなった。
えっちゃんとの出会いは6月の初夏。ある晴れた日だった。
なんとなく、フラッと散歩がしたくなって降りた小田急線路沿いの小さな町。駅改札を出ると、商店街がある。そこを少し歩いて路地に入ると小さなカフェが一軒佇んでいる。そのカフェのアンティーク調の扉を開くと、カランコロンと素敵な音が響いた。
「いらっしゃいませ」
カウンター席に、テーブル席。こじんまりとした店内はオレンジ色の間接照明にほんのり照らされている。葉っぱの形をした壁掛け時計が目に入った。時間は午後3時過ぎだった。
真夏(まなつ)は肩から重たいリュックを下ろし、席に着くと手書きのメニュー表に目をやった。店内にはカウンターに一人の客以外誰もいなく、木のぬくもりに包まれた小さな空間があるだけ。
「コーヒーください」
少し間があいて奥の方から
「はい、かしこまりました。」
とだけ、返事が返ってきた。
ホットかアイスか確認することなく、しばらくして一人の少女がお盆からたどたどしくホットコーヒーを真夏の席に置く。外は晴れ間が続き、真っ青で爽やかな午後。とは言え、夏の暑さで真夏は吹き出る額の汗を手でぬぐい、ホットコーヒーに目をやった。テーブルにはなぜか季節感をまったく感じさせないスノードームが置いてあり、中にはニコニコ笑った雪だるまが、赤い手袋をつけてキラキラ光る雪に埋もれていた。
いつもなら「アイスコーヒーがいいです」と言うだろう真夏は、今日はなぜかこれでもいいかと感じた。
小さな店内を見渡すと、テーブルの上には、シュガーやミルクに代わり当たり前のようにスノードームが置いてある。真夏は思わず、スノードームを持ち上げてフルフルと揺すってみた。静かに雪は舞い、吹雪がおきているその小さな世界にしばらく浸りながらホットコーヒーをすすった。まるで季節違いのちぐはぐな店に迷い込んだようだ。
そのとき、店員の少女がはっとしたように目を見開いた。
「あ、すみません!もしかしてアイスコーヒーでした?」
真夏は、その戸惑い具合に思わずふっと微笑んでしまった。
「いえ、ホットで大丈夫です」
本当は暑くてしょうがないが、店内は涼しく、しばらくしたら快適な心地になったこともあり、まぁ良しとしよう。その言葉の瞬間、彼女はホッとしたのか申し訳なさそうに笑った。
これがわたしとえっちゃんの出逢いだ。
「もしかして、写真を撮るんですか?」彼女がおずおずと聞いてきた。真夏は若干戸惑いながら、朝からずっと一緒だった手にしているカメラに目をやった。
「はい、散歩しながら色々撮ってるんです」
「てことは、写真家さんですか?」
思わぬ次の質問に、真夏は
「いえ。趣味でたまに撮っているので」
としか返せなかった。
その時、
「えっちゃん!ごちそうさま」
カウンター席から新聞を読んでいた初老の男性がのそっと立ち上がり、チェック柄の帽子をかぶると、読んでいた新聞をそのままに店のドアを開け去っていった。その声はとても温かく聴き心地のいい声だった。
「お代、払ってないなぁ」その男性がカランコロンと音をさせて出て行く一部始終を見ながら真夏は思った。テーブルには、飲み終わったコーヒーカップと新聞紙。
「彼、常連さんなんですよ」
えっちゃんと呼ばれた少女は、察するとにこっと、爽やかに笑った。
「へぇ」
真夏は少しその関係性に興味を持ちつつ、次に、このえっちゃんと呼ばれた少女に質問することを考えた。
「あの、私も聞いて良いですか。なんでスノードームを各テーブルに置いてるんですか?」
えっちゃんはまたふふっと笑った。
「スノードームを見てると涼しくなってくるかなって思って」
真夏は思わず、「へぇ」としか答えられなかった。こんな季節がちぐはぐしてる店は初めてだったからだ。
「お会計450円です。」
真夏はレジの横に並んだショップカードを一枚とると、「また来ます」と一言残し、店を後にした。
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