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地平線 (小説)⑥

 街を歩きながら、ふと見上げた空に浮かんでいる月があまりにも美しいことに真夏は気がついた。

「えっちゃん、見て。月が綺麗だよ」

「本当だ。」

見上げた絵都の横顔は月明かりに照らされている。夏の夜空がこんなに美しく人を照らすのであれば、いつでも夏が良い。いつも清々しい気持ちで1日を終えられるんじゃないかと真夏は思った。

「真夏ちゃん。かげるさん居なかったよ」

アパートに着き、大家を呼びに行った絵都が戻ると、真夏に告げた。

「あぁ、いったいかげるさん、どこにいるんだろう。今日戻ってくるのかな。」

「もうすこし待ってみる?よかったら私の家おいでよ」

 絵都の言葉に甘えて、真夏は初めて絵都の部屋に上がることにした。絵都の部屋はアパートの2階の角部屋だった。ワンルームの部屋に梯子のかかったロフトつきの部屋だ。絵都はどうやら、そのロフトを寝室替わりにしているようだった。部屋には白いテーブルと、丸椅子が一脚、本棚には色とりどりの本。そして、テレビがあるはずのテレビ台の上にはなぜか沢山のスノードームが置いてある。

「部屋、蒸し暑いね」

エアコンのリモコンを探してつける絵都。

「ラムネ飲む?」

 絵都が冷蔵庫を開けたまま、何かをじっと考えている様子だったので、きっと何もないのだろうと真夏は直感で感じた。

「ありがと。ラムネ飲みたい。」

絵都はラムネ瓶を2本取り出して、流し台でビー玉を押し込むと、こぼれた部分をふいて笑顔で真夏に渡した。

真夏は「ありがとう」と受け取りながら、カランと音をさせて、シュワシュワするラムネの舌触りを楽しんだ。

 「暑い暑い」と言いながら、肩までのびた髪をゴムで束ねた絵都が、床のラックの上に座った真夏に、刺繍の入った白いクッションを渡した。真夏はそれを受け取って、背もたれ替わりにした。

 絵都の部屋は、ほとんど何もない部屋で、生活感をあまり感じなかった。なるべく白で統一されたような部屋には、ものがごちゃごちゃしている真夏の部屋とはちがい、必要最低限のもの以外にそこになかった。あと、大量のスノードームがあるだけ。真夏は、そのうちの一つをとってキラキラとする世界をほんの束の間楽しんだ。親子のイルカが楽しそうに雪の世界を泳いでいた。

「このスノードーム、全部両親の贈り物なんだ。」

絵都がぽつりと口を開いた。そういえば、普段自分のことを深くあまり話したがらなかった絵都の家族の話は初めてだった。

「お店のスノードームも?」

真夏が聞くと、絵都が首を横に振って言った。

「あれは、実は私が作ったんだ。」

「え?スノードームって作れるの?」

真夏のキョトンとした表情を見た瞬間、絵都が吹き出す。

「誰でも作れるよ。作り方さえ覚えちゃえば。初めは瓶からが簡単かもね。」

「へぇ。えっちゃんすごいね。今度、作り方教えて欲しいな。そういえばえっちゃんのご両親、どんな人なの?」

真夏の質問に対し、絵都は一瞬間を開けると、

「さぁ?外国ばかりいて最近は何してるかわからないんだ。」

と答えた。

一体、外国ばかりいて会えない両親てどんな両親なんだろう。絵都が今どこで働いているか、どこに住んでいるのか知っているのだろうか?真夏はラムネ瓶を口につけてぼんやり思った。

「そういえば、えっちゃんのお母さんは絵が好きなんだよね?」

そばであぐらをかいて軽くストレッチしている絵都に真夏は聞いた。

「お母さんね、絵好きだよ。いつか真夏ちゃんにもお母さんが描いた絵を見せたいな。」

絵都が真夏の方を振りむく。

 絵都の部屋は角部屋で出窓が付いていた。そこに小さな陶器のサボテンが置いてある。絵都はそれを寄せると、出窓の扉を少し開いて、下の夜道を見下ろした。

「誰もいないなぁ」

そう言ってラムネを一口飲む。出窓は一人座るのに丁度いい部分があり、いつもそうしているかのように、そこに自然と腰かける絵都。

夜風が白いレースのカーテンをそっと揺らしている。虫の声が聞こえてくる。

「本当に月が綺麗な夜だね。真夏ちゃんのお父さんとお母さんは・・・?」

真夏は家族のことを思い出す。

「うちの家族は、季節なんだ。」

「季節?」

今度は絵都が聞き返す番だった。

「そう、全員季節がバラバラに生まれて、そして名前にも、春夏秋冬入ってるの。本当おかしいよね。」

「おかしくないよ。めっちゃいいじゃん」

絵都が少し興奮しているのがわかった。

「だけど、7年前に父さんが亡くなって。今は、お母さんと妹の3人なんだ。」

 真夏はふといつかの父の笑顔を思い出していた。孝春の好きな生まれ育った田舎の湖を前に、子どものような笑顔で嬉しそうに眺める孝春の横顔。なんでもない、家族4人で帰省したあの夏の日。

 「真夏ちゃん、よければいつでもうち来てね。」

真夏が顔を上げると、絵都がにこっとした。

 「えっちゃんも私の家、今度来てね。」

結局、この日はかげるの帰る気配はなく、真夏は観念し、明日の唐突の彼の呼び出しに備えて、おとなしく家に帰ることにした。なんだか絵都の部屋を後にするのが名残惜しい気持ちになった。サンダルを履いた真夏が振り向くと、玄関まで見送る絵都と少しだけ目を合わせる。

「あ、あっちが戻る方だよ。」絵都がドアを片手で押さえながら指をさして帰る方向を教えてくれた。

「わかった。ありがとう。」

「それじゃあ、明日はかげるさんによろしくね。一体その地図の場所に何があるのか、帰ってきたら教えてね。」

「うん」

真夏は頷くと小さく手を振った。「おやすみ。」

絵都も手を振りながら、真夏はゆっくりとそのドアを閉めた。しばらくして小さく鍵の閉まる音が聞こえた。

 次の朝、真夏は朝6時に目を覚ました。ゆったり響く目覚ましのメロディを止めて、布団にもう一度突っ伏す。

「もう少しだけ・・・。眠い」

真夏はそれでものそのそと起きて顔を洗い、歯を磨いた。鏡にうつる髪がはねている。食い入るように寝癖を見ていた真夏だが、ふと携帯が鳴ったのに気がついた。尚香の番号から通知が届いていた。

「まなっちゃん今日はよろしくね。」

確かに尚香からのメッセージだ。

「ん?」

真夏は少し寝ぼけた頭で考えた。今日はそういえば店の定休日だ。どうやら尚香も一緒なのだと、真夏はその時気がついた。

あの紙の切れ端に書いてある駅まで、真夏の家から1時間半はかかりそうだ。真夏はのんびり支度を始めることにした。

 部屋を一歩出ると、夏の空に大きな入道雲が浮かんでいる。絶好の海日和、向かう先は七里ヶ浜だ。

 最寄り駅に向かう途中で、飲み物とおにぎり、それから大好物のグミを買って、真夏はリュックに詰めた。

 藤沢の駅から、江ノ電に乗り込み七里ヶ浜までおよそ20分で着く。真夏は肩にかけたカメラのキャップを外し、ゆっくりとホームに近づいてくる江ノ電にシャッターを切った。出て行く人と交代でこれから乗る人々が動き出した。

 


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