パン屋さん
なんと、つい最近日記に書いた近所のパン屋さんが閉店してしまった。
去年引っ越した新しい家の近くにはあまりお店がなくて、小さなカフェとパン屋さんと、ラーメン屋さんに薬局。
パン屋さんのクロワッサンと、チェリーののったパン、イチゴとホイップクリームのサンドイッチがだいすきだったのに。
30年以上、地元の人たちから愛されていたパン屋さんだった。最後にクロワッサンを食べながらお花見の思い出ができてよかった。
このことがあって、久しぶりに映画館で観た以来の『花束みたいな恋をした』をみた。
あの、パン屋さんのシーンを思い出して急にスイッチが入ったから。映画館で観たときは正直、あまりピンときてなかった。ガスタンクの写真集めてる人、居そうだけどね、そうそう居ないよね、なんでガスタンクの写真集めてる人なのに、そっちの路線を走ってしまったの?
そんなに人って環境ですぐ割りきって変われるものなの?って。切り替えが早すぎてついていけなかった。でも、わたしもそういえば、タワークレーンを見るとなぜだかいつも感動して写真を撮りたくなるので、麦くんの気持ち少しわからなくもない。でも、わたしは絹ちゃんのように生きていたい。
映画館で観た当時は、はじめは何もかもぴったり揃っているように見えた麦くんと絹ちゃんの足並みが徐々にずれていっていることが切なかった。ふたりが共有した本棚はずっと変わらずにそこにあるのに、次第に本棚は見向きもされなくなって、いつの間にか忘れ去られ、本も乱雑に扱われて。
多摩川の見える素敵なお家があって、ベランダでピクニックみたいなことをして、帰り道は待ち合わせして夜風にあたりながら珈琲を飲む。
そんな風に穏やかな時間があっても、ふたりの時間は無情にもすれ違って交差していく。
今回パン屋がなくなったこと、わたしはショックだったけど、たしかにショックなことを共有できないことは辛いことだ。悲しいね、あのパン屋さんじゃなきゃだったよね、って隣で言ってほしい。少なくとも、パン屋なんてどこにもあるじゃん、なんて言われたら、今までの思い出どこ‥ってなるだろう。
ラストの方の違う恋人の会話で、過去の思い出が蘇るようなところも、別れを決めるタイミングだけが合ってしまったことも、あぁ、切ない‥。また違う人を好きになっても、相変わらずお互いが言ってることが別れたその後も変わってない場面を見ると、また二人はやり直せるんじゃないかとも思うけど、それぞれまた違う恋人がすでに隣にいて、振り向かず手を振ってお別れした。
本棚を共有できる恋人たちはすごい。
わたしは本棚は共有できない。
先日は友人と、岡本太郎美術館へ。
私にとってのパワースポットで、岡本太郎さんの言葉が好きだから、太郎さんの言葉のマグネットを買った。いつでも目に見えるように冷蔵庫にペタッと張って、たゆんだ心に渇をいれてもらうようにした。
前回は謎の生命体「ノン」のピンバッチを手に入れたのでどこに付けようかと悩んで、帽子につけてみた。そして結局、無難にポーチにつけた。いつか岡本太郎トランプが欲しい。
わりと良い値段なのだ。エジプト展のお土産にトランプを買ったことがあったけど、絵柄がほぼ一緒でなんだか後悔してしまった。あぁ、パピルスにすればよかったなって。
そんなこんな、どうでもいいことを書き連ねてしまいました。
今日は母とランチをして父のお墓参りへ行った。
わたしが今日父のお墓に会いに行こうと思ってたら、母から電話がきて、これからお墓参り行ってくるから帰り道、あんたの家よって一緒にパンをたべようと。美味しいパンを買ったよと。
わたしも調度行きたいと思ってたんだと伝えると、それじゃあ引き返すからそちらへ行くねと。
タイミングがばっちりだった。親子だからか。
でも、母はもうお墓のそばまで来ていたらしく、GWの帰省ラッシュで道が混んでいる中、わざわざこちらまで戻ってくれたらしく、帰省ラッシュをすっかり忘れてしまったから申し訳なかったな。
とりあえず、二人揃って久しぶりにお墓参りができた。
ランチには母が先に買っていてくれた、フランスパン、いちじくとナッツ入りのパン、カレーパンを食べた。どのパンも柔らかくて美味しかった。ご馳走さまでした。