映画『祝日』を鑑賞して
最近はまたよく映画を観だすようになった。
この数年では、一人で映画館へ行くことも増え、(以前は観賞後すぐに感想を話し合いたいので、映画館では誰かと観ることが多かった。)
年齢を重ねたせいか、展示会や小説の物語の中のような映画は特に、一人で観てから持ち帰ってしばらく感動の余韻に浸ることが多い。
素敵な作品や、その作品から影響、これまでの価値が変わるような衝撃を受けたときに、わたしは言葉がなかなか追いつかないような、出てこない感覚がある。そのときは、ゆっくりとその状況を受け取って最近はあたためてみることにしている。
前前日に別の小さな映画館で、『マリウポリの20日間』を鑑賞し、その帰りに次回観る予定だった『祝日』のポスターを見つけて、思わず写メを撮らずにはいられなかった。
まず、映画『祝日』の中で、わたしが映画を観る前にイメージしていた『祝日』という言葉のイメージとの良い意味でのギャップがあった。
言葉のイメージによっての、当たり前の人の感覚の差に気づかされる。
映画の脚本を担当されたのは、伊吹一さん。
『幻の蛍』の感想でも書かせて頂いたが、伊吹さんのnoteを読んでいると、「あー、伊吹さんの書いた物語だなぁ」と、しっかりと伝わるものがあって、一風変わった天使が出てきても、日常のほのぼのとした会話のやりとり、くすっと笑えるシーンが沢山散りばめられている。
わたしが初期からのnoteを読ませて頂いてる数少ない作家さんの一人で、こうして色々な作品に観客として、一ファンとして触れ合える時間をもたせてもらえることは、とても嬉しく本当にありがたいことだ。
監督は前作の『幻の蛍』に引き続き、伊林侑⾹監督。富山県射水市が舞台のようだが、映像のどこを切り取っても、風景も人々も美しく、スクリーンからは爽やかな風が吹き抜けていく。
物語の主演を演じる中川聖菜さんの演技は、自然体なのにしっかりとした存在感があって、役柄うつむき顔の場面が多い印象だったけれど、そのぶん青空を仰ぐシーン、ところどころ向けるまっすぐな眼差しが力強くて、言葉よりも眼で語るような俳優さんだと感じた。
そして、天使役の岩井堂聖子さん。
わたしは映画『真白の恋』が大好きで、冬になるとよく観てしまう映画だ。
とくに真白と岩井堂聖子さん演じる雪菜ちゃんコンビや言葉の掛け合いが好きなのだけど、(カメラマンの油井くんと、真白のシーンも好き)岩井堂さんの演技は『幻の蛍』の絹川先生も素敵だったし、今回の「天使」役も上映前からとっても楽しみにしていた。
「天使」は人それぞれイメージが違うと思うけれど、共通していえることは、白くて羽があることだと思う。岩井堂さん演じる天使さんは、きっと見えない羽が背中にあって、白いワンピース姿のとっても綺麗な、純粋に人間(希穂ちゃん)を信じていて、神々しくて役柄がぴったりだと感じた。
ひょうきんさもあって、軽やかで、それでいて人間を包み込むような包容力と、自らが辿る物語の結末への覚悟を秘めている。
一人一人に天使がついていてくれたらいいな、できればこんな可愛らしい天使が側に居てくれたらいいなと、ついつい思ってしまう。
希穂ちゃんと天使のやりとりで、初めて天使がお水を飲むシーン。目をきらきらさせて、「おいしい」ってところが、わたしの好きなシーンだ。なぜ、このシーンが私は好きなのだろう?と思ったのだけれど、お水ってなくてはならない飲み物で、日常に欠かせないもので、ある日急に姿を現した天使がグラスのお水を飲んで、喜びに溢れた笑顔でおいしい!って言ってきたら、そうだよね、お水って当たり前じゃないんだよねって思うだろうし、映画館に居るはずのわたしは希穂ちゃんになって、天使を見つめてそんなことを感じていた。
希穂ちゃんが終始、冷めた態度が良いなって思ったのは、観る側が希穂ちゃんと同じように何かに絶望して感情が冷めていても、それ以外の色んな感情を抱いたとしても、それを否定されないような安心感があり、そこがとても良かった。
天使といると、きっと水道から出てくるお水も、カフェではじめに出されるお水も‥日常的なものに魔法がかかったように感じるだろう。
天使と歩く道やいつもの図書館も、いつもの公園や、通学路、お家も特別な場所になる。
雪が降ってなくても、泥団子で泥達磨も作れるし、もう行かなくなってしまった思い出の地を楽しいおしゃべりを聞きながら辿ることだって出来る。
そして、希穂ちゃんとの言葉のやりとりのシーンで、天使の「うん」って頷きひとつひとつも、小さな驚きや戸惑いを含んでいたり、優しさだったり、純粋な無邪気さだったりが混ざった色んな表情を感じられた。
アフロヘアーの芹澤興人さんの、妻と子を亡くして落ち込んでいる料理人のシーン。
この映画では、人生で失くしものをした人たちが沢山出てくるし、(一風変わった独特な人々)、大切な人や思い出など‥‥本当は一人では抱えきれないものを、一人きり抱えて生きてる人もいる。芹澤さん演じるアフロさんは一風変わっているけど、そこには全てに意味があり、何も知らない人からは想像もつかない、表面上計りきれない空気感を漂わせている。
アフロにした意味も、髪型とは相反するような喪服も全てに意味があり、人は一面ではないなって改めて気づかされるのだ。
それに、私自身も色々とやりたいことがあるから、1つの枠にハマるのが苦手だし、こうだよねってはめられてしまうと息苦しくなることがある。
アフロさんは父であって、料理人であって、どうしようもなくアレコレできなくなってしまって、生きていくだけで精一杯で、それでも大切な場面ではいざとなったら、断らずに料理を振る舞ってくれる温かさがある。喪服が、ある感情から解き放たれて苦しみから卒業するまでの数え切れない葛藤とか悩みの象徴であるなら、それらの感情全てが優しさに通じるものなのかもしれない。
わたしが涙した場面は、西村まさ彦さんのシーン。
ネタバレになるといけないのであまり書けないけれど、一見なんで?って思うような突飛な人もみんなどこか傷を抱え、欠けたピースを探しながら生きているよね、と教えてくれた。
中島侑香さんも可愛らしいカフェ店員さんで、あんな風なお洒落なカフェがあったらずっと通いたいな。
どんなダンスも一人でも踊れるかもしれないけど、やっぱり一緒に踊ってくれる人がいれば、さらに楽しいし嬉しい。
それにやはり、人は一人では生きていけない。
アフロさんの言葉、「優しい人が傷つく世界だね。」は、映画『祝日』の中でこの台詞が聴けたからこその、意味がある気がした。
また、この映画を観に行こうと思う。
大好きな人達にもおすすめしたくなるような、優しい時間をくれた映画だった。
日常から何気ない笑いが消えてしまった人にも、ぜひ観てもらいたいです。