清水潔さんの文庫Xを読んで
今日は最近読み終えた本の感想を書いて残そうと思います。正直にnoteでどれくらいの人がこの記事に出会って目を通してくれるかわかりませんが、残さずにはいられないと強く感じたこと、私がこの本を読み終えるまでに3年もかかってしまったこと、感想を書くまでに3日かかったこと・・・、そして今回「タイトル」はあえて伏せたいと思います。気になる人は検索して欲しいと思いますし、少しでもこの本を知らない人は手にとって欲しい。そして、読んで欲しいと心から願います。
それはジャーナリスト清水潔さんの著書「文庫X」。私はこの本を3年前、旅行中に読むための本を探してる時に手に取りました。いつも本屋に行くと数冊本を買ってしまうのですが、そのうちの一冊で、中身はよくわからないまま、書店員さんのシンプルに熱いメッセージだけを読んで即購入しました。
本のカバーにはこう書かれてありました。
「申し訳ありません。僕はこの本を、どう勧めたらいいか分かりませんでした。どうやったら「面白い」「魅力的だ」と思ってもらえるのか、思いつきませんでした。だからこうして、タイトルを隠して売ることに決めました。この本を読んで心が動かされない人はいない、と固く信じています。500Pを超える本です。怯む気持ちは分かります。
小説ではありません。小説以外の本を買う習慣がない方には、ただそれだけでハードルが高いかもしれません。
それでも僕は、この本をあなたに読んで欲しいのです。
これまで僕は、3000冊以上の本を読んできました。その中でもこの本は、少しでも多くの人に読んで欲しいと心の底から思える一冊です。
この著者の生き様に、あなたは度肝を抜かれそして感動させられることでしょう。こんなことができる人間がいるのかと、心が熱くなることでしょう。僕らが生きる社会の不条理さに、あなたは憤るでしょう。知らないでは済まされない現実が、この作品では描かれます。あなたの常識は激しく揺さぶられることでしょう。あなたもこの作品と出会って欲しい。そう切に願っています。
ここまで読んでくれた方。それだけで感謝に値します。本当にありがとうございます。
さわや書店フェザン店
文責:長江(文庫担当)」
こんなメッセージを読んだら手にとってしまう。そしてよくわからないけど、心が揺れ動いたままレジへ向かう。
3年前、父が亡くなって初めての家族旅行中、飛行機の中でこの本を読み始めた。そして、その内容に衝撃を受けました。読み進めるうちに心が苦しくなってきました。
どう言葉にしていいかわからない・・・。だけど、事実を知りたい。
私は、心苦しいまま、本を一度閉じてしまいました。本の中の河川敷、女の子たちの写真。尊い命が訴えかけてきました。
それから日々過ごす日常の中で、ふと何気ないとき、本棚にあるその本がずっと一番に読んで!とわたしに訴えかけてきました。2020年初夏、私はようやくその本と向き合おうと決意しました。
noteには繊細な人が多いと勝手に思ってます。だから、あえて詳しく内容には触れませんが、きっとずいぶん前の本なので読んだ人も多くいるだろうと思います。
わたしはようやくその本を読み終え、もしもの世界、を考えました。
本の中の幼い女の子がもし生きていたなら、きっと私と同じくらいか、少し下か上の世代。どこかですれ違っていたかもしれない。出会っていたかもしれない。そう思うと、やっぱりどうしても無視することができませんでした。
この本では殺人事件を追うジャーナリスト、清水潔さんや、遺族の方々、冤罪で17年半も捕まった方、違う事件で冤罪になった方、事件の捜査に協力する方々、清水さんの仲間の記者達が出てきます。そして警察官、検察官、司法裁判官の方々が出てきます。
「司法が歪められている。これが事実」「本当に冤罪で捕まった罪なき人がいる」当時「時効間近の事件」、何より「なぜその子だったの」「一番小さな声を聞け」と様々な情報がわたしの頭と心の中でグルグルし始めました。(現在時効が成立してます。)
わたしが小さい頃、よく車の中でお留守番をしていました。その時代、日常的にある光景でした。でも、だんだんと時間が経つうちに、熱中症で亡くなる子どもが増え、一人で子どもを車の中に残してはいけない・・・と言われるようになりました。わたしは小さい頃、車の中で怖い思いをしたことがあります。それでも、親は生きていくために、生活を支えるために必死でした。
小さい頃、知らない大人と仲良くなったこともあります。いつも行く公園でたくさん話すようになり、最後に会ったとき、その人からとても綺麗な宝石のような石を沢山もらいました。最後というのは、親からもう二度と会うなと言われたためでした。
わたし自身、小さい時からたくさんの失敗や苦い経験を繰り返し大人になりました。周りの人や大人達にたくさん手助けをしてもらいましたが、時には危険な目にあったのも事実です。だから、この本の中に出てくる女の子たちを他人事にはどうしても思えませんでした。
本の中の事件はパチンコ店で起こりました。ある日、ある時間を境に忽然と姿を消した女の子。引っ越してきたばかりで、その前の事件を何も知らなかった親御さん。そもそも、以前起きた事件と関連性がないと片付けられたまま、しっかりと事件が注意喚起されていなかったとしたら、自分で何かをきっかけに調べるまで、情報にたどり着くことすらできません。
誰もが、誰をも責めることはできません。パチンコ店に子どもを連れて行った親たちも、「知らない人についていっちゃダメ」と注意されたけど、親元を離れた子どもたちも。誰も責めることはできません。
そして、真実は今も息をひそめたまま、そこにあります。
この本のテーマの一つに「時間の流れ」があるように思います。時間が流れることであらゆることが明るみに出て、歪められていた「真実」にスポットライトが当たります。「声なき声」が戻って聞こえてくるかのようです。
しかし、その時間の流れにより忘れ去れらたり、風化されようとしているのも事実です。
それでも真実は、現実に起きた事件で、事件当時から未だに行方不明の女の子がいます。
「小さな声」に人はどれくらい耳を傾けられるか。清水さんはそのように訴えています。人は自分の「本当」や「絶対」の思い込みをどれくらい疑えるのだろうか、沢山の溢れた情報の中で、どれだけ「真実」に目を向けることができるか、そんなことを考えました。
声を発してないからと言って、黙っているからと言って、そこに声がないわけではありません。「黙っていたら一緒だ」などとよく言いますが、「声」を出しても出る杭が打たれ、真実が歪められるなら、黙るしかないこともあります。それでも前に一歩でて、恐くても勇気を出して声を出さないといけないときがあります。
たった一つの真実は、人の口伝てからの思い込みではなく、実際に現場に足を何度も運び、何度も取材を重ね、粘り強く小さな声に耳を傾け続けた人にだけわかることです。
ですが、私たちには想像力があります。前後の背景を想像したり、人の気持ちを察し、イメージすることもできます。正しさを見極める良心を持っています。そして、真実を知るために動くことができます。
冤罪で捕まり、裁判で無実が証明され釈放されたにも関わらず、本の中では、未だに犯人と疑っている人が出てきたことも事実です。人は一度信じ込んだことを「真実」がどうであれ、自分の考えを曲げることがなかなかできないのです。
残されたご遺族や、冤罪で捕まった方はきっと、耐え忍ぶしかできない時間があったこと。時間がその日から止まったかのように、ただ生きていたかもしれないこと。苦しいのに、苦しいと言えなかったこと。本当に届いて欲しい声が届かなかったこと・・・。そしてなによりも幼い女の子たちの、見つけてほしい、という声が聞こえてきそうです。
もし生きていたなら、その女の子たちとすれ違ったかもしれないこと。出会っていたかもしれないこと。もしかしたら、どこかのパチンコ店で、どこかの隣の席で、犯人がいるかもしれないこと。
そして、実際に交通事故で娘さんを亡くされ、悲しみに寄り添えた清水さんだからこそできた執念の調査と報道。本当に圧巻でした。
私たちは埋もれた「一番小さな声」に耳を傾けることができるでしょうか。
「必要な情報」をどう選び、どう受け止め、声に出していくでしょうか。
そして、それは本当に正しいものか、それとも間違った情報なのでしょうか。
少しでも多くの方にこの本の存在を知ってもらいたい。それがわたしの今の願いです。
#清水潔 #文庫X
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